説教「人生の道を定める」

2014年1月19日、六浦谷間の集会 
降誕節第4主日

説教・「人生の道を定める」、鈴木伸治牧師
聖書・エレミヤ書1章4-10節
    使徒言行録9章19B-22節
    マルコによる福音書1章14-20節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・120「いざうたえ友よ」、
    (説教後)讃美歌54年版・370「めさめよ、わが霊」


 先週の水曜日は私達が住む金沢区付近も大変寒い日となりました。金沢区六浦付近は三浦半島の入口であり、気候が温暖な地域であります。私達の子ども達は相模原や海老名に住んでいますが、時々六浦の家に来るのですが、随分と暖かいと言っています。家の中にいても、日中はエアコンもストーブも使わないで過ごしています。それでも夕刻になると暖房していますが、県央地区でもある相模原や綾瀬、海老名では日中も暖房しなければならないのです。随分と気候が異なるようです。隠退して、比較的暖かい地域に住むことができて感謝している次第です。私たち自身、30年間は寒さが厳しい綾瀬市に住んでいたのです。しかし、日本海側の地域では連日の雪で、雪との戦いが大変のようです。この辺は暖かいからと喜んでいる訳にはいきません。早く春を迎えて過ごしたいと思っています。
 昨年は3月からマレーシアのクアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴くにあたり、今ごろは準備していた頃でした。3月13日に出発し、6月4日に帰りました。マレーシアは常夏の国ですから、寒さということはありません。なにしろ一年中が夏なのですから、寒さ知らずというものです。3月から赴きましたので、日本において花粉症被害も受けず、常夏の国と言っても熱中症になることはなく、過ごし安い国でした。6月に帰って、それから夏が始まりましたので、昨年の半年間は夏を過ごしたのでした。昨年のことを示されながら、今年は特に大きな目的がありませんが、今は「人生の道を定める」ときであると示されています。今ごろから大学や高校の入学試験が行われますので、若い皆さんは寒い中で大変であろうと思います。
 入学試験ということでは、私自身の思い出、経験を持っています。私は小学校3年生の時から近くにある関東学院六浦の中にある教会、日曜学校に通うようになりました。日曜学校の生徒はほとんどが関東学院小学部の生徒でした。友達は皆、そのまま中学部に進むのです。そのような友達と交わっているうちに、私自身も関東学院中学部に行きたくなったのです。両親も理解してくれて受験しました。しかし、その受験は失敗に終わりました。小学生のころですが、大きな挫折であったと思います。小学校の先生は、このまま皆と一緒に公立中学校には行きたくないだろうからと、私立中学を勧めてくれたのです。それが横浜高校附属中学校でした。そして、中学生になると共に二人の姉達が出席していた横浜の清水ヶ丘教会に出席するようになったのです。ここに私の人生が定められたと思っています。清水ヶ丘教会に出席しているうちに、高校生の多くが県立商工高等学校の生徒でした。だから私も高校はそちらの学校に進みました。そして教会の高校生の皆さんと交わりをしているうちにも、自分の人生を定める導きが与えられたのです。将来は伝道者、牧師になる道を歩む導きが与えられたのです。私が、もし関東学院中学部に合格していたら、また異なる人生を歩むことになったでしょう。私にとっては大きな挫折でしたが、それは導きの道、私の人生を定める道でありました。
 2014年を歩み出している私達ですが、人生の道を定めつつ歩む導きが与えられたいのであります。今朝は主イエス・キリストが神様の御心、救いを与えるお働きのために、お弟子さんを選任しています。そのことから私達もイエス様のお弟子さんに召されていることを示されるのです。私の人生はイエス様のお弟子さんに導かれているということです。

 私達に主イエス・キリストが福音の喜びを与えてくださいました。福音とは喜びの良き訪れであります。従って、キリスト教でなくても福音という言葉は使われます。困っている状況に朗報がある。福音が訪れたと言われることがあります。私たちは主イエス・キリストにより与えられる福音であります。イエス様の十字架の救いが前提となる福音であります。十字架による救いの喜びを世の人々にお知らせするのです。そのお知らせをし、福音のもとに人々を招くことが、イエス様の救いをいただいている私達の務めであります。
 旧約聖書におきましては、神様の救いを人々に示す人を預言者と称しました。預言者の前は先見者とか神の人とも言われています。あるいは士師記に登場する士師とも言われる人々です。神様の召しをいただき、神様の御心にあって働く人々なのです。今朝の働き人は預言者エレミヤであります。預言者は人々に神様の御心を示し、正しい方向に導く働きをする人であります。
 今朝は預言者エレミヤが若い時に神様の召しをいただく状況が記されています。エレミヤ書1章4節、「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。』」と言われたのであります。生まれる前からエレミヤが預言者へと召されていたのであります。それを聞いたエレミヤですが、「ああ、わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と言うのであります。エレミヤは自分を「若者」と言っています。その若者と言うのはヘブライ語ではナアルであり、ナアルは20歳未満の年齢であります。エレミヤの言うとおり、まさに「若者にすぎない」のであります。しかし、神様は言われます。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、誰のところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と言われるのでありました。「あなたと共にいる」とは神様が働き人に使命を与えるときには、必ず言われる言葉であります。モーセが神様の召しをいただいたとき、それはエジプトにいる奴隷の人々を救い出す大きな役目でした。モーセは「わたしは何者なのでしょう。どうして、エジプトの王様のところへ行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導きださねばならないのですか」と躊躇するのです。それに対して、神様は「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われ、モーセを励ますのであります。モーセの後継者ヨシュアに対しても、「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる」と励ましています。
 「若者にすぎない」と言ってはならないのです。モーセは「わたしは口が重い」と言いました。つまり口下手と言うわけです。しかし、モーセが口下手なら、モーセの兄アロンをモーセの口とし、モーセが全体の指導者となるのです。「何々にすぎない」、「私はこんな者だから」、「そういうことはできない」等、私たちは自分にとって不都合なことに対して、いろいろと理由をつけて避けようとします。しかし、聖書の人々は、神様の召しに従っています。若者に過ぎなくても、口下手であったとしても、神様の召しは優れた者を召すのではなく、ただ神様のお心にある人を召しているのであります。「見よ、わたしはあなたの口に、わたしの言葉を授ける。見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」と神様はエレミヤに力を与え、神様の働き人としてのすべての業を与えているのであります。エレミヤは神様に押しだされて、人々の中で御心を語り続けたのでありました。

 主イエス・キリストガリラヤに行き、神様の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と人々に示されました。時は満ちた、すなわち今こそ神様のお心に生きる時が来たのですよと示されたのであります。それぞれが真に神様のお心に生きること、それが福音であります。御心と言う福音に生きることであります。今は神様の御心に生きることが福音としていますが、福音が真に私たちの福音になりますのは、イエス様が十字架にお架かりになり、私たちを真にお救いになられることであります。十字架の贖いによって私たちが生きるようになること、それが真の福音であります。しかし、今は神様の御心へとお導きになることであります。
 そのために、主イエス・キリストは福音の働き人を召されるのであります。マルコによる福音書1章16節以下に4人の働き人にお声をかけておられます。イエス様がガリラヤ湖のほとりを歩いていた時、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になります。その彼らに、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。二人はすぐに網を捨てて従ったと記されています。旧約聖書に見られるモーセ、エレミヤのように躊躇することなく、自分はできないなどと言うこともなく、彼らは自分達の仕事を後にしたというのです。同じく、その後にヤコブヨハネにも声をかけられました。彼らも仕事を後にしてイエス様に従ったのであります。彼らがイエス様の福音の働き人に召される何の理由も記されません。ただイエス様の御心において働き人へと召されたのであります。ただ一つ示されることは、彼らは漁師でありました。イエス様が言われるように、魚ではなく、人間をとる漁師へと召しているのです。その意味では漁師であった4人の働き人は、意味のある召しであったのでありましよう。人間をとるとは、福音へと導くことであります。神様の御心へと人々を導くことであります。
 マルコによる福音の働き人への召しは、イエス様が最初から働き人と共に福音を述べ伝えたということであります。例えば、ルカによる福音書の場合は、汚れた霊に取り付かれた人を癒し、多くの病人を癒し、いろいろな町々で福音を述べ伝えた後に漁師をお弟子さんにしているのです。マルコによる福音書の場合は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣べはじめたと同時に4人の漁師を働き人に召したのであります。しかも、声をかけられた人々はすぐにイエス様に従っているのです。この後、2章14節で徴税人レビに声をかけられます。アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われました。すると彼は立ち上がってイエス様に従ったのであります。6章1節では、イエス様が故郷にお帰りになられたとき、弟子達も従ったと記しています。イエス様の召しがあります。するとすぐに従うお弟子さん達、そして福音を喜ぶ人々をマルコは記しているのであります。
 旧約聖書の人々はいろいろと口実を述べて、神様の召しを断ろうとしています。しかし、マルコによる福音書の証しは、福音の働き人はすぐに従っているのであります。口実をのべて断ることもなく、むしろ喜んで福音の働き人になっていくことを示しているのであります。新約聖書でもルカによる福音書の場合は、イエス様の奇跡を示されたペトロやアンデレたちは、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言って、自分の至らない姿を告白しています。しかし、マルコによる福音書は、イエス様の召しに、すぐに従う人々を示しています。福音の働き人になるために、あなたは何が不足しているのか、と言っているようです。福音の働き人になることをイエス様が望まれているのに、あなたはどんな理由でしり込みしようとしているのか、と問いかけているのがマルコによる福音書なのです。召しをいただいた福音の働き人は黙々とイエス様について行ったのであります。その福音の働き人は、豊かな祝福へと導かれて行ったのであります。

 私は福音の働き人として42年間歩んでまいりました。神学校を卒業し、最初に赴任したのは東京の青山教会でした。最初は補教師、伝道師として、その後は正教師、副牧師として4年間務めたのであります。その後は宮城県の陸前古川教会に招かれ、6年半勤めました、最後の1年間は登米教会の兼任牧師にもなりました。また、そこでは幼稚園の園長も務めました。そこでは兼任牧師でありました。陸前古川教会と登米教会の牧師として働いている頃、両親はそろそろ85歳になる頃でした。両親を長姉に託して牧師になってしまいましたので、せめて両親の近くの教会で働きたいものだと思っていました。その祈りが適えられました。友人の牧師から大塚平安教会の牧師が退任するので、来る気はないかと言うことでした。実はその時、私は箱根にいたのです。全国教会幼稚園の園長会が箱根で開催され、出席していました。それで大塚平安教会の牧師である乙幡和雄先生に連絡を取り、会議を抜け出して大塚平安教会に参りました。その時は乙幡和雄先生から教会の様子等を聞かせていただいた次第でした。その後、教会役員会と面接があり、まもなく招聘の連絡をいただきました。いわゆるお見合い説教はありませんでした。
 乙幡和雄先生が辞任を申し出られ、臨時総会を開催したのは1979年6月10日でした。そして、鈴木伸治牧師招聘についての臨時総会が開催されたのは一ヵ月後の7月15日でした。乙幡和雄先生は6月末で辞任され、大塚平安教会は7月と8月の2ヶ月間無牧となりました。その間、周辺の牧師に応援をいただき礼拝をささげつつ歩んだのであります。その頃、長内敬一神学生がおられたので、事務的なことは長内神学生に託したのであります。そして、鈴木伸治牧師家族は8月の末に転居し、9月より就任したのでありました。牧師は40歳、連れ合い39歳、長女の羊子は小学校4年生、次女の星子2年生、三女の百合子が幼稚園児でありました。それから30年間経ちました。家族が教会の牧師館に住み、福音の働き人として、歩んで来られましたことは、恵みであり、喜びであります。
 「人生の道を定める」こと、それは主イエス・キリストにあって定めることです。豊かな祝福の人生が与えられるのです。今朝は私の祝福の人生をお話させていただきました。
<祈祷>
聖なる御神様。人生の道をイエス様と共に歩ませてくださり感謝いたします。主の福音を携えて世の人々に証させてください。主イエス様のみ名によりおささげします。アーメン。