説教「恵みの時を生きる者として」

2013年9月22日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第19主日

説教・「恵みの時を生きる者として」、鈴木伸治牧師
聖書・コヘレトの言葉3章1-13節
    テサロニケの信徒への手紙(ニ)3章6-15節
     マタイによる福音書20章1-16節
賛美・(説教前)54年版216「あぁうるわしき」
    (説教後)54年版369「はたらきびとに」

 前週の9月19日は連れ合いのスミさんの誕生日でした。私は5月10日が誕生日で、二人とも74歳になりました。私からの誕生日プレゼントとしては、昨年2012年9月10日から11月6日までの二ヶ月間、娘の羊子がいるスペイン・バルセロナに夫婦で行き、そこで過ごした記録をブログで公開しましたので、それを冊子にしたものです。2011年4月にも二ヶ月間バルセロナに行き、やはりブログをまとめて冊子にし、スミさんの誕生日 プレゼントとしています。今年は3月から三ヶ月間、マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴きましたので、それは既にブログに公開していますので、近いうちに冊子にしたいと思っています。これらの外国滞在記をブログに公開しましたが、もともと「隠退牧師の徒然記」として、ひと頃は毎日記して公開し、今は週に三回くらいの割合で公開しています。その記録を見ると、間もなく900回にもなるようです。ブログを書くと言うことは私自身の近況報告でありますが、「恵みの時を生きる者として」の証しでもあるのです。
 ブログは牧師・園長在任時代の2006年から書き始めています。長いこと書かない時もありましたが、書いては休み、休んでは書いているので、約7年間で900回も書くことになっています。在任中は忙しさの中で、時間をやりくりしながら執筆していましたが、隠退の身分になった今、しみじみと人生を振り返りながら記しているのです。 従って、昔は思わなかったのですが、今は74歳になって、「恵みの時を生きる者として」、しみじみと日々の歩みを示されています。そして、今自分が生きている者として、今までお交わりいただいた皆さんを示され、出会いを感謝しているのです。
 「恵みの時を生きる者として」は、皆さんも同じように恵みの時を歩んでいるのです。私達はイエス・キリストにより神の国を生きる者へと導かれています。今の境遇がどのようなものでありましょうとも、イエス様により、今が神の国であると示されており、喜びつつ日々の歩みをしているのです。まさに今に至るまで恵みの時を与えられて歩んで来ました。1969年に牧師になり、最初は青山教会で4年間、伝道師と副牧師を務め、その後は宮城県の陸前古川教会で6年半、牧師として務めました。その中1年間は登米教会の兼任牧師として務めました。そして、その後は神奈川県の大塚平安教会に招かれ30年6ヶ月の牧師を務め、ドレーパー記念幼稚園の園長としても務めました。大塚平安教会の関係施設である綾瀬ホーム、さがみ野ホームの嘱託牧師としても務めましので、利用者の皆さんとのお交わりが導かれています。八王子医療刑務所、神奈川医療少年院の務めもあり、人間の生きる姿を示されていたのです。日本基督教団の書記として8年間勤めましたが、祈りの課題を数多く示されたのでした。どなたにも言えることですが、数々の「時」を与えられ、いずれもめぐみへと導かれていることを感謝しているのです。

 このようにいろいろな「時」を迎えながら、そのために祈り、与えられた人生を歩みたいのであります。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と示しているのは旧約聖書コヘレトの言葉3章であります。新共同訳聖書になって「コヘレトの言葉」との題になりましたが、口語訳聖書では「伝道の書」と称していました。旧約聖書のコヘレトは「集まる」とか「集会を開く」という意味があります。そこで、集会で神様のお心を語るのでありますから、伝道者とも理解されるのであります。そのため「伝道の書」と称しましたが、1章1節に「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」と記されるので、コヘレトとは人の名前と理解するようになりました。ダビデの子とありますので、知恵者ソロモンではないかと考えられていましたが、そうでもなく、知恵ある人のニックネームとしてこの名が使われているのであろうと理解するようになっています。
 1章2節では「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と言っています。空しさを教えているようでありますが、神様の御旨のままに歩むことが示されているのです。神様の御旨の前にあっては、人間の計画、行動はまさに空しいと示しているのであります。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」とまず示されています。3章1節から8節までの中に「時」が28回出てきます。人生にはすべて「時」があるということです。「生まれる時、死ぬ時」と示しています。私たちは自分が時を定めて生まれてきたのではありません。そしてまた、自分が決めた時をもって死ぬのではありません。神様の大きな御旨なのであります。「植える時、植えたものを抜く時」と示しています。植える時期については人間の判断のように思えますが、種蒔きの季節、実りの季節は神様の導きであるのです。その後は対象的な時を示しています。「殺す時、癒す時」、「破壊する時、建てる時」「泣く時、笑う時」「歎く時、踊る時」があります。5節の「石を放つ時、石を集める時」は何を示しているのでしょう。聖書の国は石の国であります。建築にしても農作業にしても石が登場します。羊飼いは悪い動物が来たときに備えて投石用の石を用意しています。戦争には大きな石が投げられます。だから平和の時にはいつも石を備えるといわれます。「抱擁の時、抱擁を遠ざける時」と示します。抱擁は必ずしも愛し合う男女について述べているのではなく、家族や友達との抱擁があります。いわゆるハグと言いますが、日本では習慣化されていませんが、欧米では生活の一部にもなっています。スペインから帰ってきた娘が、まずしたことはハグでした。日常の生活で、全くしないので、親はおろおろしながらハグに答えるわけです。これらも神様の大きな御手の中にあることを示しています。その後の「求める時、失う時」、「保つ時、放つ時」、「裂く時、縫う時」、「黙する時、語る時」、「愛する時、憎む時」、「戦いの時、平和の時」と対象の言葉が並べられています。
 このように「時」の流れの中におかれている人間でありますが、11節に示されるように、「神は時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」のであります。「永遠を思う心」と言われますと、永遠の生命を考えますが、旧約聖書ではその信仰はありません。「永遠を思う心」とは、時の流れを受け止め、一つひとつの出来事を認識し、歴史の流れを受け止めることができることを示しているのであります。それは神様の恵みを認識することであり、神様の恵みを喜ぶことができる人間として示しているのであります。「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ」と示しています。「空しい」と最初に示していましたが、空しいと思える時の育みの中で、やはり神様の恵みの時としての今があるということを示されなければならないのであります。今の時が不本意であったとしても、今は神様が与えた時であり、恵みの時なのであります。人の判断ではなく、神様のご判断に身を委ねるということであります。

 神様の御判断に身を委ねること、その生き方が「天の国の働き人」であります。新約聖書マタイによる福音書20章1節以下は「ぶどう園の労働者」のたとえをイエス様がお話されています。「天の国は次のようにたとえられる」としてお話しされました。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きました。そこで、主人は一日につき一デナリオンの約束で労働者と契約し、働いてもらうのです。全体の文脈からして、労働者は朝の6時から働き始めています。その後、主人は再び広場に行くと、働く場がないので立っている人がいたので、「あなたたちもぶどう園で働きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と約束しました。主人は12時頃、3時頃に広場に行くと、まだ仕事が無くて立っている人がいますので、ぶどう園で働くようにしてあげます。そして5時頃に行くと、まだ立っている人がいます。それで、その人達にもぶどう園で働かせてあげるのです。仕事は6時に終わりました。主人は一番後に来た人達、5時から働いた人達から賃金を払いました。5時から来た人達は1時間しか働きません。主人はその人達に一デナリオンの賃金を払ってあげました。この一デナリオンは朝6時から働き始めた人達との約束の賃金です。主人は9時から働いた人にも、12時から働いた人にも、3時から働いた人にも同じように一デナリオンの賃金を払いました。問題は朝6時から来て12時間働いた人です。渡される賃金を見ながら、自分は12時間も働いたのだから、1時間の人が一デナリオンなので、自分には沢山の賃金が支払われると思っていたのです。ところが払われた賃金はみんなと同じように一デナリオンでありました。そこでこの人は主人に不平を述べ、抗議します。不公平であるというわけです。「最後に来たこの連中は1時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中と同じ扱いにするとは」と言うのです。すると、主人は「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」というのでした。
 このたとえ話で示される「時」に注目したいのです。朝の6時から働き始めた人は、恵まれた人でありましょう。働くつもりで備えることができていたのです。ところが、おそらく9時頃でありましょうが、職を求めて広場に立つ人がいました。本来、求人関係は朝の6時であり、それよりも遅く広場に行かなければならなかった人の「時」の問題があるのです。何かの事情で遅くなったのか、働きたくないのでごろごろしていて、しかし働かなければならないので広場に行ったのか、いろいろ事情があるにしても、9時の「時」が重くのしかかっているのです。12時、3時の人も同じことが言えるでしょう。まして、5時の人は、ようやく広場に立つ「時」へと導かれたと思わなければならないのです。
このたとえ話はこの世的にはまさに不公平であります。しかし、イエス様は「天の国は次にたとえられる」としてお話しされたのであります。天の国に生きることの恵みであります。朝6時に働き始めた人は、そのような時を与えられたのであります。夕方5時に来た人も、そのような時が与えられているのであり、神様の恵みであります。神様の恵みを人間的に換算することに間違いが出てくるのです。神様は働き人、すなわち主イエス・キリストの十字架の救いを与えられ、主の御旨に生きる人々を同じように祝福なさいます。

 「恵みの時を生きる者として」イエス様のお導きを与えられている私達は、いろいろな人々との出会いが与えられています。出会った皆さんは、今朝の「ぶどう園の労働者」に示されるように、朝6時から主の御心に生きている人、9時の人は青年と言えるでしょうか、12時の人は働き盛りの人でしょう。3時の人は初老の人かもしれません。そして5時の人は高齢者なのかもしれません。どんな年代でありましょうとも、イエス様の十字架の救いを信じて生きるようになりましたので、同じように一デナリオン、すなわち神様の祝福をいただいたのです。このような人々との出会いを喜び、共に信仰生活をされている皆さんですが、一人の方のお証を示されましょう。
マレーシアのクアラルンプール日本語キリスト者集会が今年で30周年を迎え、記念の「証し集」を発行しました。その中にウォルターブッシュ幸子さんが「KLJCF30周年に思うこと」と題して証しを記されていますので示されておきましょう。
「私が夫の転勤でマレーシアへやってきたのは1994年、丁度、前年に創立10周年を迎えたKLJCFの証集を読ませていただいたのを覚えています。前任地の香港は、騒音に満ちた繁華街や高い人口密度の地、それに比べ、空間も人もゆったりとしたマレーシアにやって来て『マレーシア大好き人間』になった私ですが、3年後にはミャンマーへ、その後に2度目のマレーシア滞在を主に備えられ今日に至っていますが、こうして30周年をお祝いできるとは、ただただ感慨深く、心から感謝です。私はドイツで暮らしていた時に、こどもの頃から興味をもって断続的に触れていた聖書の学びを日本語で続ける機会を与えられ、デュッセルドルフ日本人教会の前身の聖書集会で『神の前に義人は一人もいないが、罪人のためのイエス様の贖罪』を信じ、受洗に導かれました。その後に結婚、娘が与えられ、やがて海外での転勤生活が続くわけですが、滞在する国にJCF(日本語キリスト者集会)が備えられていて、聖書の学びや教会の礼拝、兄弟姉妹の交わり等、信仰生活が守られてきたことは、主の大きなあわれみ故でした。海外にあるJCFは超教派ですから、日本の母教会からいらした方は戸惑うことも多いようです。例えば、出身の教会では賛美歌しか使わない、又は聖歌しか使わない、受洗は滴礼、又は浸礼のみ、リビングプレイズは歌ったことがない等々。でもJCFしか知らない私にとっては、多様な要素がある教会は自然であり、いろいろな派の兄弟姉妹から学ぶことも多く、そういう意味では、下記の御言葉を具現しているのが海外にあるJCFではないかと思うのです。又、その延長として、日本人教会だけではなく世界中にあるキリスト教会とも教義の相違を乗り越えてつながるのは可能と感じています。『主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです』(エペソ4:5)」。
「恵みの時を生きる者として」の証しとして、深く示されたのであります。今が「恵みの時」であります。イエス様の十字架の救いをしっかりといただく時が「恵みの時」なのです。いよいよ主の十字架を仰ぎ見つつ歩みましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。どのような状況に置かれましょうとも、恵みのお導きを感謝致します。主のお恵みをしっかりと受け止めさせてください。主の御名によりささげます。アーメン。