説教「主の食卓に招かれる」

2012年6月17日、六浦谷間の集会
「三位一体後第2主日

説教、「主の食卓に招かれる」 鈴木伸治牧師
聖書、イザヤ書55章1-7節
   エフェソの信徒への手紙2章14-22節
   ルカによる福音書14章15-24節

賛美、(説教前)讃美歌54年版・67「よろずのもの」
   (説教後)讃美歌54年版・520「しずけき河のきしべを」


 本日の6月17日はメソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーの生誕日であります。前任の大塚平安教会も、今も月に一度礼拝を担当している横須賀上町教会も、歴史においてメソジストの流れの中で存在しており、関わりがありますので最初に触れておきましょう。
 メソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーはオックスフォード大学で神学を学んでいましたが、学生時代に弟のチャールズ・ウェスレーと共にHoly Club を始めるのです。信仰において聖なる生活をしようと言うわけです。後にメソジスト運動に発展していきますが、生活の方法(メソッド)を信仰的に実践したのでした。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まったと言われています。ウェスレーは厳しい戒律主義者で、自らもそれを実践していましたが、ずっと自分の信仰に自信を持てずにいたと言うことです。そんな時、ルターの説教集を読むことにより信仰に目覚めるのです。救いの確信は戒律や善行の末に与えられるものではなく、自らの不完全さと罪深さを悟ったときに、主イエス・キリストの十字架の贖いによって救われることへと導かれたのでした。この福音とそれに基づく社会奉仕を広めるため、彼は信仰覚醒運動を開始します。しかし英国国教会側の激しい反発を招き、邪教集団として迫害されるようになります。信徒たちも初期には国教会の礼拝に出ていましたが、次第に遠ざかり、独自の礼拝と集会所をもつようになります。メソジスト教団ができるのはウェスレーが死んだ後になりますが、彼がその運動の創始者であったのです。教会自体に軍隊組織を採用した救世軍、「聖潔」(きよめ)を強調するホーリネス運動聖霊の働きを強調するペンテコステ派などもこのメソジスト運動の流れであります。
 大塚平安教会は開拓時代、メソジスト教会の人々が伝道して成長しました。一緒に伝道した近藤義一さんは救世軍の信仰をもっていましたが、基本的にはメソジストの流れの中で共に伝道されたのでした。メソジスト教会の流れの中で設立された大塚平安教会ですが、今はその面影はありません。日本基督教団の教会としての歩みが導かれているのです。横須賀上町教会は聖壇の部分に「恵みの座」が今でももうけられています。会衆はその「恵みの座」にぬかずいて聖餐式に与るのです。しかし、今はそのような伝統はありません。相模原教会は今でも「恵みの座」で聖餐をいただいています。次第にそのような造りがなくなっていく状況です。
 私は神学校を卒業して最初の任地は東京の青山教会でした。こちらの教会は日本基督教会の流れを持つ長老主義の教会でした。その後、宮城県の陸前古川教会に赴任しますが、こちらも日本基督教会の流れを持つ長老主義の教会でした。そして、大塚平安教会に就任しますが、こちらはメソジスト教会の流れを持つ教会であったのです。どの教会も今では日本基督教団に属する教会ですから、信仰の歩みは変わりません。しかし、やはり高齢の皆さんは、伝統的な流れの信仰を持たれています。長老主義の教会は、役員を長老と称していますが、権威ある存在です。一方、メソジストの流れを持つ教会は、監督主義であり、牧師の権威を重んじています。いずれにしても、今は伝統ではなく、日本基督教団の教会としてそれぞれの歩みが導かれているのです。
 歴史的にはいろいろな伝統がありますが、伝統ではなく、私達は聖書に示される主イエス・キリストのお招きをいただいて、信仰が導かれているのです。今日もイエス様のお招きをいただき、お応えしたいのであります。

 まず旧約聖書の普遍的な神様のお招きを示されます。「渇きを覚えているものは皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい」と招いています。このイザヤ書55章は第二イザヤの最後になり、招きと救いを述べて終わるのです。第二イザヤ書は40章から55章になりますが、48章まではバビロンで捕われの人々に預言されています。そして、49章からは捕われから解放された人々に示されている預言です。従って、この55章はもはや捕われの身から解放されている人々への招きの言葉なのです。「水のところに来るがよい」と導いていますが、解放されても都エルサレムに帰らない人々がいるのです。彼らはバビロンに残り、「糧にもならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか」と言われる人たちです。神様のもとに帰ろうとせず、「糧にもならぬ」地上の富に執着し、「飢えを満たさぬ」金のために生きようとしている人たちなのです。都に帰還しても豊かにはならないと思っている人々です。生きる糧は金銀であると思っているのです。「来て、銀を払うことなく穀物を求め、値を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」と示しています。神様のもとには食べるものが満たされているのです。「わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」と示しています。
 神様はあなたを食べるもので養ってくださるということです。神様の御心によって養われることですが、具体的にも生活の糧を与えて、喜びへと導いてくださるのです。食べるものを与えて生きる者へと導いてくださる神様を、旧約聖書は繰り返し証ししています。奴隷の国エジプトから脱出して、荒野の40年間を彷徨する中で、神様はマナを持って養い、水を与えて渇きを満たしていたのです。エリヤによってサレブタの女性と子どもが尽きぬ粉と油を与えられて生き伸びたことも記されています。神様は導く者には生活の糧を与えて養ってくださることを聖書は証言しているのです。神様の導きに委ねるということは、御言葉をいただきつつ歩むのですが、そのためにはこの身体が健康でなければなりません。健康な身体が与えられて、御言葉を力強く実践すること、これが神様の導きなのです。だから、「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」と導いています。今こそ神様があなたを呼んでくださっているのであり、そのお呼びに応えなければならないのです。「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」と招きの言葉を与えています。

 新約聖書ルカによる福音書14章15節以下に記される、主イエス・キリストの「大宴会」のたとえ話です。15節、「食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、何と幸いことでしょう』と言った」と記されていますが、これは前の段落で、イエス様が「客と招待する者への教訓」をお話されていますので、それを聞いた人が賛辞を送っているのです。そのお話には二つの教えがありました。一つは、「婚宴に招待されたら末席に座りなさい」と教えていることです。初めから上席に座って、そこはあなたの座るところではないと言われるかもしれないのです。後から、もっと上席に進んでくださいと言われた方が面目を得ることになるというわけです。謙遜にふるまいなさいということです。もう一つは、食事に招待する場合は、貧しい人や体の不自由な人を招きなさいとの教えです。招待するにしても、お返しの招待ができない人々を招きなさいとの教えでした。それこそ幸いなことであると示しているのです。
 このお話をした後に一人の人が賛辞を述べたので、「大宴会」のたとえ話をされたのです。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招いた」と言うお話です。この人は予め宴会のお知らせをしていました。宴会の時刻になったので、僕を送り迎えに行かせました。ところが、一人の人は「畑を買ったので、見に行かなければなりません」と言って断ります。他の人は、「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くので」と断ります。さらに別の人は、「妻を迎えたばかりなので」と断るのでした。予めお知らせしておいた人たちはみんな断って来たのです。家の主人は立腹して、「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい」と僕に言いつけました。それでも宴会の席が空いているので、家の主人は「通りや小道に出て行き。無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と言うのでした。ここには三様の人々が示されています。聖書的に考えて、第一のグループは誰々、第二のグループは誰々と考える必要はありません。第一のグループはユダヤ人であると考えるならば、私達もまた予めお招きをいただいている存在なのです。このお話の問いかけは、この世の営みにおいて神の国の宴会、食事を断る姿であるのです。せっかく神の国の食事に招かれているのに、断ってしまう姿は私達にもあるのです。
 「神の国の宴会」としていますが、あたかも食事に招かれることのようです。しかし、主イエス・キリストの十字架の贖い、救いへと導かれることが「神の国の宴会」に与るという意味なのです。実際、教会の歩みは、いつも食事を共にすることです。前任の大塚平安教会時代も、愛餐会を重ねつつ歩んでいました。第一日曜日には「シオンの会」が「そば・うどん」を作ってくださり、礼拝後は三々五々、一緒にいただきつつお交わりが深められていました。そのうち、壮年会がカレーライスを作るようになり、さらに婦人会も昼食を用意するようになるので、ほとんど毎週のように愛餐会のお交わりが導かれていました。何と言っても、クリスマスやイースターの食事はポトラックで、皆さんが家で作って来た食事を一つのテーブルに並べ、それぞれのご馳走をお皿に乗せては食べることでした。この食事をいただく度に、私は「神の国の宴会」を示されていただいていたのです。「この家をいっぱいにしなさい」とは宴会を催した主人の言葉ですが、「この教会をいっぱいにしなさい」とはイエス様のご命令であります。教会はいつも「神の国の宴会」を催すように喜びに満たされているのです。

 「渇きを覚えているものは皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい」と旧約聖書イザヤ書で招きの言葉をいただいております。この世のものに執着せず、神様がくださる水のもとに導かれることです。渇くことがない喜びを与えられるのです。同じように主イエス・キリストは、「疲れた者、重荷を負うものは、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)と招いておられます。しかし、この招きの言葉を受け止めるとき、そこには付帯条件が付けられているのです。「わたしは柔和で謙遜なものだから、私の軛を負い、私に学びなさい」と言うことです。神様の招きの言葉にお応えし、神の国の宴会に与るには、イエス様が示しているように、イエス様に学ばなければならないのです。それはイエス様の軛を負うということです。軛は牛や馬が首に荷を引く道具をつけられることです。イエス様の軛を負うことは、イエス様が繰り返し教えておられる「自分を愛するように、隣人を愛する」ことなのです。この軛を持って生きるとき、一人の存在を真実見つめなければならないのです。いろいろな関わりがある一人の存在を、自分の思いを超えて受け止め、共に生きることなのです。それにより、今までわだかまりがありましたが、「安らぎを与えられる」歩みが導かれるのです。
 今朝のエフェソの信徒への手紙2章14節以下は、平和への導きとして示される言葉です。「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と示しています。そして、「従って、あなたがたは、家族なのです」と締めくくっています。主イエス・キリストの御心に生きること、「神の国の宴会」に招かれることですが、イエス様の軛に生きることで、美味しい食事の席に招かれるのです。そうすると、行いによって祝福に与るように思えるのですが、何よりも招きに応えることなのです。イエス様の十字架が常にわたしたちを「神の国の宴会」へと導いてくださっているのです。
 ある教会で、創立記念日のお祝いを開催しました。地域の人々にも呼びかけて、立食パーティーが開かれまし。教会の玄関には、その旨の看板が掲げられています。皆さんが楽しく立食を楽しんでいるとき、いつの間にか路上生活者の人が入って来て、彼も美味しいご馳走を食べ始めた言うことです。そうしたら、出席している人達は彼を遠巻きにして見つめているのでした。ご馳走がおいてある中央のテーブルには近づかないのです。彼がそこにいるからです。彼も喜んで食べているのですから、一緒に言葉を交わしながら食べたらよいのです。彼が暴れたりしている訳ではなく、看板にも案内が書かれているのですから、そのような皆さんも受け入れなければならないのです。
 主の食卓に招かれるとき、みんな同じようにイエス様の十字架の贖いと救いに導かれている人達なのです。自分を超えて共に主の食卓を喜ぶことなのです。
<祈祷>
聖なる御神様。私達を常にお招きくださり感謝致します。お応えして、イエス様の軛を持ちつつ歩ませてください。キリストの御名によりおささげいたします。アーメン。