説教「祝福の旅路」

2010年11月7日 、横須賀上町教会
「降誕前第8主日

説教・「祝福の旅路」、鈴木伸治
聖書・創世記18章1-15節、ローマの信徒への手紙9章1-9節、
ルカによる福音書3章1-14節
賛美・讃美歌21・579「主を仰ぎみれば」、385「花彩る春を」

 今朝は召天者記念礼拝です。日本基督教団では「聖徒の日」(永眠者記念日)としています。今は天におられる皆さんを示される日であります。特に信仰をもって歩まれた皆さんを示され、その証しから私たちが励まされるのであります。10月26日から28日まで開催された日本基督教団総会では、二日目の朝に「逝去者記念礼拝」がささげられました。逝去者は日本基督教団の教師の人々であり、2年間に85名の皆さんが天に召されました。日本で伝道された宣教師の皆さんは9名おられます。これらの皆さんのお名前が読み上げられました。いわゆる牧師の皆さんであり、信徒の皆さんを覚えるとしたら、多くの皆さんの名簿が読まれることになります。教区によっては信徒の皆さんを覚えての記念礼拝をささげています。教団問安使として、今年もいくつかの教区総会に出席した時、召天された信徒の皆さんのお名前が読み上げられていました。6月に開催された神奈川教区総会の開会礼拝の担当をしました。神奈川教区の開会礼拝は教団と同じように逝去された教師を記念する礼拝でもありました。それで、礼拝の説教の中で、神奈川教区においても信徒の皆さんを覚えての記念礼拝をすべきであると申し上げました。教師は教団総会で覚えられるからです。受け止められるとよいと思っています。
 ところで今朝は横須賀上町教会の講壇に立たせていただいておりますが、この教会と関わりがある一人の信仰者を覚えています。その信仰者は石渡タキさんといわれ、実は私の叔母であります。私の家のすぐ近くに家がありました。娘が横浜の清水ヶ丘教会で信仰の導きが与えられ、教会員として歩んでいました。私の長姉が信仰に導かれるのも、この従姉の影響があったのです。長姉が信仰に導かれ、そして二番目の姉も清水ヶ丘教会に導かれるようになり、教会員としての歩みが導かれていました。そういう中で叔母も娘に導かれて清水ヶ丘教会に出席するようになり、洗礼を受けたのであります。清水ヶ丘教会は多くの教会員がいます。婦人会も壮年会も、青年会も高校生会も会員が多く、それぞれよいお交わりを重ねながら歩んでおりました。そのようなお交わりを喜びながら、叔母の石渡タキさんはこちらの横須賀上町教会に転会しました。清水ヶ丘教会の大勢の婦人会の皆さんとのお交わりを喜びながらも、自分の存在を顧みたのかもしれません。今までのいくつかの教会でも、そのような方がおられました。この教会にいても自分の働く場がないと思われるのです。もっと少人数の教会で奉仕したいと願われるのです。叔母もそのような思いであったと思います。当時の斎藤雄一牧師は清水ヶ丘教会の出身でありましたので、何回か出席しているうちに転会を決意されたのでしょう。その叔母がこちらの教会でどのような教会生活をされたかについては存じません。しかし、その後はこちらの教会員でありましたから、喜びつつ信仰の歩みをしていたと思います。
 その叔母が天に召された時、叔母の葬儀は仏教で行われました。息子夫婦と生活していたのです。私の姉たちを教会に結ぶきっかけを作った従姉、叔母の娘はアメリカ人と結婚してアメリカに在住しています。すべて息子の思いで葬儀が行われました。喪主として当然なのかもしれません。叔母が亡くなった時、私の姉が斎藤雄一先生に連絡を差し上げ、先生はすぐに石渡家を訪ねました。しかし、息子は牧師の訪問を喜びませんでした。葬儀は、本人が生きた信仰において行われるべきと思っています。その意味ではキリスト教の葬儀ではありませんでしたが、仏教で葬儀が行われたとしても、叔母の信仰に生きた証しはこの世に残されているのです。今年は横須賀上町教会の講壇に立つ導きを与えられ、石渡タキさんの信仰を示されることを神様のお導きだと思っています。

 「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(フィリピの信徒への手紙3章20節)と示されています。私たちの本国は天にあり、この世に生きる私たちは旅人なのであります。人生の旅路を、イエス様のお導きをいただきながら歩みます時、やがて本国の天の国へと召されていくのであります。今はこの世の旅路を歩んでいる私たちが祝福の旅路を導かれたいのであります。
 旧約聖書アブラハムは祝福の旅路を歩んだ人として示されています。聖書は創世記18章1節からですが、アブラハム物語が始まるのは創世記12章からであります。アブラハムの父親テラは家族と共にカルデアのウルを出発し、カナン地方に向かいましたが、ハランという場で落ち着いたのでありました。アブラハムの父テラはそこで生涯を終えました。その後、神様はアブラハムに現れ、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」と言われました。神様が「わたしが示す地」と言われても、そこが何処であるのか分かりません。しかし、アブラハムは神様のお言葉を信じ、神様のお導きに委ねて出発したのであります。アブラハムが75歳の時でありました。その時、アブラハムの妻サラ、甥のロトも一緒でした。「あなたを大いなる国民にする」と言われています。しかし、アブラハムとサラの間には子供が生まれませんでした。神様の約束を信じて故郷を後にしたものの、子供ができないし、約束の土地にも行きあたらない現実を受け止めていました。そういう思いが、人間的な苛立ちにもなっていました。それで妻のサラの提案で、サラに仕えるハガルから子供を得たのであります。ハガルがアブラハムの子供を産むと、ハガルは主人であるサラを見下すことになります。それでアブラハムはハガルを追放してしまうのです。その辺りは極めて人間的な思い、行いがどろどろと示されるのです。焦りと人間的な思いで過ごしている時、神様のお使いがアブラハムの家を通過しようとしていました。今朝の聖書になります。旅人をもてなすことは神様のお心であります。アブラハムは三人の神の人を呼びとめ、休息を進めるのです。アブラハムは大層なもてなしを致します。その時、神の人が不思議なことを言うのでした。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラには男の子が生まれているでしょう」と言うことでした。陰でそのことを聞いていたサラは思わず笑ったのです。それを知った神の人は「なぜサラは笑ったのか」と言いました。サラは自分が笑ったことを否定しますが、「あなたは確かに笑った」と念を押されてしまうのです。サラが笑うこと、それは、サラは既に90歳にも近かったからである。その来年の今ごろはアブラハムが100歳、サラが90歳になっているのです。昔のこととしても高齢です、高齢の身では子供は生まれないと思うのは当然であり、神の人の言葉であったとしても、自分にはあり得ないこととして笑ったのであります。
 しかし、神様のお約束を信じて故郷を後にしたアブラハムとサラです。約束が実現しない苛立ちを持ちながらも、基本的には約束に従っていたのです。そして、神様の約束が実現しました。彼らに与えられた子供はイサクと命名されたのです。アブラハムに関しては、まだいろいろな出来事がありますが、今朝はただ神様の約束を信じて従っているアブラハムから示されています。いろいろなことがありますが、アブラハムは約束を信じて旅路を歩んだのであります。その旅路が祝福の旅路でありました。アブラハムはイサクという子どもが与えられましたが、「大いなる国民にする」との約束は感じられません。また、土地はと言えば、サラが死んで埋葬する墓地だけがアブラハムの土地でした。約束はなんであったのかと思います。しかし、神様はその後のイサク、ヤコブを通して次第に民族の祝福を与え、多くの民になったのです。そして、約束の土地をも与えられたのであります。自分に与えられた約束は、後の代になって実現されていくのです。アブラハムは現実には約束の実現を見ないにしても、神様の約束を信じて歩んだのです。祝福の旅路であったのです。ヘブライ人の手紙11章1節以下、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められたのです」と示されています。ヘブライ人の手紙は、その後にアブラハムの祝福の旅路を讃えているのです。

 祝福の旅路は神様のお約束を信じて、信仰の歩みを続けることです。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」との信仰を強めて歩みましょう。新約聖書ヨハネの証しです。
 ルカによる福音書3章1節以下はバプテスマのヨハネの宣教が記されています。新約聖書にはヨハネさんが多数登場致します。イエス様のお弟子さんのヨハネヨハネによる福音書を書いている人、ヨハネの手紙を書いている人、ヨハネ黙示録に登場するヨハネ、そして今朝のヨハネさんです。ヨハネが人々にバプテスマを授けたので「バプテスマのヨハネ」と称しています。このヨハネはイエス様より先に人々に現れ、神様のお心を示しました。それと共に、後から現れる主イエス・キリストの証をしたのです。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打もない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と救い主を示したのであります。ヨハネは時の社会に向かって悔い改めることを叫びました。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく示しました。ヨハネの教えは人々にとって恐ろしい審判として示されたのです。だから不安になり、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」というのであります。徴税人と言われる人たちも洗礼を志願し、「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。それに対してヨハネは、「規定以上のものは取りたてるな」と言うのでした。次に兵士も「このわたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。「誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」とさとしています。
 バプテスマのヨハネの教え、諭しは十戒を基としています。他の存在を思いやること、だましたり、盗んだり、むさぼってはいけないと示しています。この世に生きる者として、アブラハムが祝福の旅路を歩んだように、あなたがたも祝福の旅路を歩みなさいと示しているのです。だから、ヨハネは人々に、「我々の父はアブラハムだ」などという考えを起こしてはならないと示しています。人々にとって、先祖のアブラハムが祝福の旅路を歩んだので、だから我々も祝福を受けていると思っているのです。だからヨハネは、はっきりと示しました。アブラハムアブラハム、あなたがたはあなたがたであるということです。個人責任論と言うものです。昔は全体主義でした。誰かが悪いことをすれば、部族全体が裁かれました。それに対して、次第に個人の生き方の責任が求められてきたのです。エレミヤ書31章29節に、「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と示されています。またエゼキエル書18章2節にも同じような示しがあります。先祖がこうであったから、我々がこうなのだと、先祖と結び付けて考えることです。ヨハネアブラハムを示しながら、アブラハムの祝福の旅路はアブラハムの信仰であると示したのであります。だから、あなたがた一人一人は神様のお心にたち、祝福の旅路をしなさいと示したのであります。
 こうしたバプテスマのヨハネの教えと諭しがありますが、ヨハネが証ししますように、人々が真に祝福の旅路が導かれるのは、主イエス・キリストの十字架の贖いを与えられてからであります。イエス様はご自分が十字架にかけられて、私達を真に祝福の旅路を導いてくださっているのであります。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」と示されています。

 先ほどもお話致しましたが、日本基督教団の総会では逝去者記念礼拝がささげられました。教団に属する牧師、教師の皆さんを記念しました、そして、9人の宣教師を覚えましたが、よく存じあげている宣教師のお名前があり、初めて知ることであり、ご召天を深く受けとめたのであります。その方はリチャード・ノルトン宣教師であります。記録によりますと2010年1月4日に89歳で召天されたということです。ノルトン宣教師は34年間、日本で宣教を致しました。その最後の3年間、大塚平安教会のある湘北地区で協力宣教師として働かれたのです。それは1984から1986年になります。大塚平安教会の牧師として赴任して5年目ですが、ノルトン協力伝道委員会の一人として、ノルトン先生と共に湘北地区の宣教を担いました。ノルトン宣教師を地区内17の教会は、どのようにお招きして良いか分かりませんでした。だから、当初は説教者としてお招きしたのです。それに対してノルトン先生は、「自分は日本語が話せても、説教を語るには十分に伝わらない。そこで教会の宣教のお手伝いをしたい」と申されました。役員研修会、信徒訓練、教会暦による信仰の歩み等を先生により指導されるようになりました。
 「わたしたちの本国は天にあります」との示しを私達に示されたリチャード・ノルトン先生のお働きであったと示されています。アメリカから日本に来て34年間、私たちがこの世の旅路を歩む者として、祝福の旅路ができるように導いてくれたのです。主イエス・キリストが十字架の贖いにより、私たちの祝福の旅路を導いておられるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。祝福の旅路となるよう十字架の導きをくださり感謝致します。本国の天国へとお導きください。主イエス・キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。