説教「神に従う道」

2010年10月10日 
聖霊降臨節第21主日

説教・「神に従う道」、鈴木伸治牧師
聖書・ダニエル書3章13-26節、使徒言行録5章27-42節
マルコによる福音書14章53-65節


 今回の説教は、今回ばかりではなく、今後でありますが、教会の講壇に立っての説教ではありません。10月10日の聖書日課として御言葉に向かう説教であります。本来、説教は会衆がおられ、会衆に向けての御言葉の解き明かしであります。その中でも、御言葉に向かいつつも、一人の方を示されており、その方へのメッセージとして取り次ぐこともあるのです。あるいは教会の全体的な示しとして取り次ぐこともあるのです。そうでありますから、会衆に向けてではない御言葉の解き明かしになりますが、私の中にはさまざまな皆さんが示されているのです。直接それらの皆さんに御言葉の取り次ぎをするのではありませんが、皆さんを心に示されながら御言葉に向かうということです。私に示されている皆さんは大塚平安教会の皆さんであり、横浜本牧教会の皆さんであり、清水ヶ丘教会の皆さん、青山教会の皆さん、陸前古川教会の皆さん、登米教会の皆さん、バルセロナで羊子と出会った皆さん、その他の出会いの皆さんです。ネットに載せるので、どなたかが説教を受けとめてくださると存じます。そのような姿勢で、無任所教師となりましたが、これからも日本基督教団の日曜日の聖書日課により、御言葉に向かいたいと思います。
 10月を歩んでいますが、いろいろと思い出がある月でもあります。何よりも私が洗礼を受けたのは10月の第一日曜日、世界聖餐日の礼拝でありました。このことにつきましては前週10月3日、横須賀上町教会の礼拝説教でお話していますので、ブログで参照してください。この10月はお二人の召天された方を心に示されるのであります。お一人は伊藤雪子さんです。伊藤雪子さんは2000年10月3日に召天されました。85歳のお誕生日をお祝いして、お子さんたちとニューカレドニアに行かれ、楽しまれている最中に召天されたのでした。77歳で教会に出席されました。ご子息が教会員でありました。それまでのご苦労を担いつつ礼拝に出席されるようになり、翌年には洗礼を受けられました。ピアニストでありましたので、以後、教会学校の礼拝で奏楽のご奉仕をされていました。77年間の人生を振り返りつつ、きっぱりと「神さまに従う道」に切り替えられたのであります。召天されるまでの8年間は、まさに祝福の歩みであったと示されています。
 もう一人の方は佐竹正道さんです。2002年10月7日、73歳で召天されました。お誕生日が5月10日であり、私の誕生日と同じで親しみを持っていました。佐竹さんは祖父の佐竹音次郎さんが社会福祉施設児童養護施設を開設され、利用者の皆さんと共に歩まれました。そしてご自身も1961年から10年間、社会福祉法人綾瀬ホームの園長として働かれました。その後は綾瀬町の町長に就任されました。そして1979年から社会福祉法人さがみ野ホーム園長に就任されます。1991年には神奈川県県議会議員になられ、広く活躍されました。何よりも信仰に生きることであり、7人のお子さんたちには、「牧師先生の説教は神様の声として聞きなさい」と諭されていたのであります。感銘深い歌を残されていますので、いくつかを紹介しておきましょう。「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」、「あの方の感謝の祈りにリズムあり 主の祈りの如詩編読む如」、「この週も悔い改めの数多き 説教聞きつつ悔いつ祈りつ」等の歌は心に示されるのでありました。神様に従う道、「正道」を貫かれたのであります
 神様に従う道を歩む、と一口で言いますが、日々の歩みはまさに祈りつつ歩む日々なのです。私たちは神様にしっかりと向き合い、祈りつつ歩むことです。神様に従う道として、しっかりと踏みしめた聖書の人々を示されましょう。

 旧約聖書はダニエル書3章です。ダニエル書は困難な状況の中でも、神様に従う道を歩み、信仰の勝利者を示されるのです。ダニエル書の前半1-6章は、ダニエルを中心とした物語です。時代的な背景は聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンの空の下で生きることになった時代です。青年ダニエルは3人の友人と共にバビロンに移されました。青年たちは神様の恵みにより、知識と理解力に富み、バビロンの王様に仕えることになりました。今朝の聖書はダニエルではなく、3人の友人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の証しです。この3人について王様に密告をする者がいました。「御命令によりますと、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえたなら、だれでも金の像にひれ伏して拝め、と言うことでした。そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです。バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々はご命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません」と言いつけるのです。そこで今朝の聖書になりますが、「これを聞いたネブカドネァアル王は怒りに燃え、
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れてくるように命じ、この三人は王の前に引き出された」のであります。
 王様は3人に改めて金の像を拝むよう命じます。しかし、拝まないなら直ちに燃え盛る炉に投げ込ませるというのでした。それに対して3人は、「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知下さい。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決して致しません」と答えたのであります。王様は血相を変えて怒り、彼らを燃え盛る炉に投げ込ませたのであります。炉はいつもの七倍も熱く燃やすよう命じたのであります。炉が激しく燃え上がり、3人を炉に連れて行った者が焼け死ぬのであります。
 しかし、王様は驚きの声をあげました。王様は縛ったまま炉に投げ込んだ3人の少年たちが、火の中で自由に歩いている姿を見るのです。王様が炉の中にいる3人に、「いと高き神に仕える人々よ、出てきなさい」と呼びかけます。彼らは体のどこも損なわれておらず、上着も元のままでした。この時、王様は、「彼らの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神により頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうとしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。彼らの神をののしる者がれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことができる神はほかにはない」と言うのでした。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の勝利をダニエル書は示しているのです。
 ダニエル書は、聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連れて行かれたことが時代背景になっています。バビロンに捕囚となるのは紀元前587年であり、538年にはバビロンが衰退し、ペルシャによって捕囚が解かれることになります。しかし、ダニエル書が書かれたのは紀元前164年頃であります。つまり、その時代において信仰を持って生きることが困難な状況であり、迫害に苦しむ人々を励ますために、バビロン捕囚を背景にダニエル書が書かれているのです。実際に迫害の中で信仰を持って生きる人々への励ましであり、導きであるのです。「神に従う道」は必ず祝福へと導かれるということであります。

 どのような苦しみがあり、迫害があっても、神様を仰ぎ見つつ歩むことを示されておられるのは主イエス・キリストであります。教団の聖書日課は主イエス・キリストが十字架への道を一歩一歩踏みしめて進んでおられることを、毎週の聖書で示されています。本来、イエス様のご受難の聖書は春に迎える四旬節、レント、受難節で示されるのですが、今の示しになっています。イエス様はご自分のご受難を3度も予告しました。そして、ご受難へと進んで行かれるのでありました。過越しの食事をして、聖餐式を示されました。お弟子さん達の離反をも指摘されています。ゲッセマネではご自分の気持ちを願いながらも、神様に委ねておられます。そして、裏切られ、逮捕されるのであります。今朝の聖書は逮捕されたイエス様が最高法院で裁判を受けている示しであります。最高法院とは議会でありますが、ユダヤ教の社会の中で指導的な立場の人が議員になっていました。指導的な立場とは祭司、長老、律法学者、ファリサイ派サドカイ派の人々でありました。人々は主イエス・キリストに対し不利な偽証を次々に申し立てるのです。しかし、それに対してイエス様は反論することもなく、黙っていました。大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言いますと、イエス様「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と言われたのでした。大祭司は衣を裂きながら、神を冒涜する言葉であると断言します。それにより、最高法院は死刑の判決を下すのであります。しかし、最高法院が死刑の判決を下しても執行することはできません。ユダヤの国はローマの支配下にあり、全権を委ねられているローマの総督の判断が必要なのであります。それはこの後、マルコによる福音書は15章からになります。総督ピラトの尋問を受け、死刑の判決を受け、十字架につけられるのでありますが、教団の聖書日課は今朝の聖書でイエス様のご受難は終わりとなります。この後は春の四旬節、レントになって示されるのでしょう。
 私たちは主イエス・キリストのご受難をしっかり受け止めなければなりません。ダニエル書で示されましたように、神様のお導きにすべてを委ねることであります。イエス様はご自分の気持ち、願いを持ちながらも神様に委ねておられるのです。そして、十字架への道を歩むことが、神様の御心であることを受けとめ、人間の救いの基となることを知っておられたのであります。「神に従う道」は私の知らない道です。この道を歩むことで、どのようになるのか未知の世界です。ただ、神様の御心に従うことが、その道を歩むということなのであります。そして、神様のお示しになる道を歩むことが、祝福の人生であり、永遠の神の国、永遠の生命へと導かれるということであります。この世の苦しみがあるとしても、救いに至る順序として受けとめつつ歩むことです。
 使徒言行録5章27節以下では使徒たちの信仰の証しを示しています。使徒たちは主イエス・キリストの証しを人々に示していました。それに対して時の社会の指導者たちが、使徒たちの働きを妨害したのです。使徒たちも最高法院で裁かれることになりました。大祭司が尋問します。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか」との尋問に対して、ペトロと他の使徒たちは「人間に従うよりも、神に従わなければなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」と証しするのです。これを聞いた人々は使徒たちを殺そうとします。しかし、指導者のガマリエルと言う人が、過去の例をあげ、「邪教なら自然に消滅する。しかし、真実なら神に逆らうことになる」と人々を説得するのです。これにより釈放されるのですが、ペトロや使徒たちはなおもイエス様の福音を人々に示していくのであります。神様に従う道を示し、救いを与えたのであります。迫害や困難がありましたが、永遠の祝福を信じて神様の道を歩み続けたのであります。

 2010年のノーベル平和賞が発表されました。中国の民主化運動を推進した劉暁波(りゅう・ぎょうは)さんです。一党独裁体制の廃止などを求めた「08憲章」の起草者であります。今は国家により牢獄に入れられています。中国にとって不都合な人物です。劉暁波さんは中国の一党独裁を批判し、一人一人の人権の自由を叫んでいるのです。これは中国にとって一党による支配ですから、危険極まりない思想です。しかし、これこそ平和の根源です。一人の存在が国の考えで拘束されるのは、一人の人権が損なわれているのであり、一人の人間として神様の道を歩むことを阻止されることになるのです。
 一党独裁は他の国でも見られています。歴史においてはローマの国が、皇帝は神だとし、拝むよう求めました。主イエス・キリストの救いを信じる人々は抵抗し、決して人間を拝むことがなかったのです。それに対して迫害があり、苦しみの中で死んで行くのです。最近、再び「クォ・ヴァディス」をDVDで鑑賞しました。ネロ皇帝によるキリスト教迫害が悲惨に描かれています。ネロが驚くのは、ライオンにかみ殺されたキリスト者達の死に顔が、皆笑っているということでした。笑って死ぬのか、と驚きの声を上げる場面があります。信仰の勝利者と言うことであります。日本におきましても、太平洋戦争時代、天皇を神として拝むよう求めたのであります。しかし、キリスト教の人々は拝みませんでした。それらの人たちが迫害を受け、多くの人たちが獄死したのであります。しかし、やむなく拝まなければなりませんでした。日本基督教団の歴史においても、戦争に協力し、アジアの人々にも協力を求め宮城遥拝を求めたのであります。日本基督教団は過去において戦争に協力したことを深く悔い改め戦争責任告白を公にしました。「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を1967年鈴木正久議長名で出しました。日本基督教団の名において公にできなかったことも問題が残されているのです。
 「神様に従う道」は主イエス・キリストの十字架の救いを信じ、喜びと希望を持って歩むことであります。途上の諸問題はイエス様が共に担ってくださるのです。
<祈祷>
聖なる神様。日々の歩みを十字架のイエス様がお導き下さり感謝します。永遠の生命を目指して、信仰を深めて歩ませてください。主イエス・キリストの御名により、アーメン。