説教「執り成しの祈り」

2010年10月3日 横須賀上町教会
聖霊降臨節第20主日

説教・「執り成しの祈り」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記32章7-14節、
マルコによる福音書14章43-52節


 横須賀上町教会は9月末で、今まで18年間、牧師として務めてまいりました森田裕明先生が退任され、今後しばらくは湯河原教会牧師の金子信一先生が代務者となり、歩むことになりました。代務者になりましても、金子先生は牧会する湯河原教会がありますので、毎週の礼拝で説教することはできません。そのため、何人かの牧師が講壇に立つことになりました。その最初の講壇に私がお招きをいただいたことは、関係というものをつくづくと示されるのであります。森田裕明先生は10月から横浜本牧教会の牧師に就任しました。その横浜本牧教会は今年3月で牧師が退任しました。それで後任の牧師が赴任するまで私が代務者として務めたのであります。4月から9月までの半年間でしたが横浜本牧教会の代務者、附属幼稚園の園長として留守番牧師の務めを果たしたのであります。
 私は今年の3月まで大塚平安教会の牧師として30年6ヶ月、務めてまいりました。森田裕明先生はその大塚平安教会の出身であります。森田先生との出会いはさらにさかのぼりまして、35年くらい前になります。その頃、私は宮城県の陸前古川教会の牧師でした。その教会に中学生であった森田先生が隣の町からバスに乗ってくるようになりました。中学生、高校生の頃、教会学校や教会の交わりの中で導かれていたのです。その後、私は大塚平安教会の牧師になりましたが、数年後に森田裕明先生が現れ、礼拝に出席されるようになり、洗礼を受け、そして神学校に行かれるようになったのであります。神学校を卒業した後は北海道の教会で牧会しましたが、その後こちらの教会に招かれまして今日まで牧会されたことは、とても大きな喜びでありました。こちらの教会としては残念なことですが、牧師は教会が変わりますと、また違った成長が導かれるものです。どうか、新しい歩みをされる森田裕明牧師、聖子さんの歩みをお祈りいただきたいとお願い致します。
 私はもともと横須賀の生まれであります。横須賀市浦郷町で生まれましたが、近くに追浜飛行場がありました。それは日本軍の飛行場でもありました。太平洋戦争のさなかであり、その辺は危ないと言うので、横浜市金沢区六浦に転居したのであります。4歳頃でありました。23歳で神学校に入り、寮生活そして教会の牧師になりましたので、六浦の家には住むことはありませんでしたが、大塚平安教会を退任した後は、再び六浦の家に住むようになりました。こちらの教会にはそれほど遠い距離ではなく、原則として月一回は横須賀上町教会の講壇に立つことを代務者の金子信一先生に伝えています。いつであったか、お招きを受けて礼拝説教をさせていただいたことがあります。大塚平安教会時代も教会の皆さんと共に、この横須賀上町教会をお祈りのうちに覚えさせていただきました。
 以上、自己紹介を含めてお話致しましたが、今朝この講壇に立たせていただく経緯でもありますが、神様のお導きと信じています。森田先生が、この教会を退任されたことの執り成しでもあるようです。今朝は「執り成しの祈り」を示されるのでありますが、人間関係において神様に執り成しのお祈りをささげるのであります。

 旧約聖書出エジプト記モーセが聖書の人々の罪に対し、審判を与えようとしている神様に執り成しのお祈りをささげています。聖書の人々はエジプトという国で奴隷でありました。苦しむこと400年と言われています。その奴隷の苦しみから救うために、神様はモーセという人を選び、その任にあたらせました。今朝の出エジプト記の前半は救いの出来事を記しています。モーセがエジプトの王様ファラオに対して、奴隷の人々を解放するように交渉しますが、王様は承諾しません。モーセは神様の力をいただき、エジプトに災害の審判を与えます。水が血に変わったり、いなごの大群、疫病、雹を降らせたりします。災害で苦しい時は、解放を承諾しますが、災害が無くなると心を翻し、再び過酷な労働を強いるのでありました。ついに最後の審判が降ります。エジプトにいる人々で最初に生まれた人は死ぬということであります。その審判により王様のファラオは解放を承諾します。聖書の人々はようやく奴隷から解放され、エジプトを脱出するのであります。
 エジプトを脱出した聖書の人々は三月目にシナイ山の麓に到着し、そこで宿営することになりました。シナイ山モーセがエジプトで苦しむ人々を救う使命を与えられた山でありました。そこでモーセは聖書の人々が奴隷から解放されたことを報告するためにシナイ山に登りました。シナイ山は2,285mの高さです。
 聖地旅行は致しましたが、エジプトに入り、シナイ半島をバスで行きます。そしてシナイ山に登るのですが、夜中の2時頃に出かけました。暗くてよく分からないのですが、麓からラクダに乗り、山道を登って行くのです。ラクダはすいすいと山道を登って行きました。最後は険しい道で歩かなければなりません。ついに山頂につきますが、まだ暗く、何も分かりません。しかし、周囲で話し声が聞こえます。かなりの人たちが既に山頂にいたのです。やがて東の空から太陽が出てきますと、またたく間に明るくなりました。赤い山々が見渡すことができました。そして下山は歩いておりました。こんな険しいところをラクダがすいすいと歩いてきたかと思うと、何かぞっとする思いでした。昼間でしたらラクダに乗っていても怖くて登れないと思いました。モーセが一歩一歩険しい道を登って行ったことが示されるのでした。
 モーセシナイ山に登ると神様は十戒を示されました。そして、戒めに関していろいろな示しを与えられたのであります。モーセシナイ山に登ったまま、なかなか降りてこないので、聖書の人々は不安になりました。今まではモーセという力強い指導者に従ってきたのです。今朝の聖書は出エジプト記32章7節からですが、1節以下にモーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、人々がアロンのもとに集まってきて、「さあ、我々に先だって進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」というのであります。アロンはモーセの兄ですが、モーセと共に出エジプトの働きをした人です。アロンは人々の要求を受けとめざるを得ませんでした。実際にモーセという指導者がいなくなってしまったからです。それにより金の子牛が造られました。つまり金の子牛がモーセに変わり、人々の先に立って進むことになったのであります。人々は金の子牛の前で踊り戯れたと記されています。
 そこで今朝の聖書になりますが、偶像礼拝を始めた聖書の人々に神様は怒りをあらわします。すぐに下山するようにモーセに言いました。偶像崇拝を行う人々に対し神様は審判の言葉を告げるのです。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼしつくし、あなたを大いなる民とする」と宣言されるのであります。それに対して、モーセは執り成しのお願いを致します。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼしつくすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思いなおしてください」と切なるお願いをするのであります。このモーセの切なる執り成しの祈りにより、「主は御自分の民にくだす、と告げられた災いを思いなおされた」と記されています。
 神様の御心を変えることはできないでありましょう。しかし、聖書はモーセの切なる執り成しの祈りこそ、神様の御心を変えることを示しているのであります。執り成しの祈りということではアブラハムの執り成しが示されます。アブラハムの甥のロトが住むソドムの町が悪に染まり、神様はこのソドムの町を滅ぼすことにしました。神様の御使いがソドムに赴く途上、アブラハムは神様の御使いを引き止めてもてなします。その時、神様の御使いはソドムの町は滅ぼされることを告げます。ソドムには甥のロトと家族がいますので、アブラハムは執り成しの願いを致します。「もし、そこに50人の正しい人がいたらどうしますか」と聞きます。50人の正しい人がいれば赦すと言われます。アブラハムは次第に少なくし、最後は「10人の正しい人がいたら」と問います。10人正しい人がいれば赦すと言われるのです。しかし、アブラハムの執り成しにも関わらず、ソドムには10人の正しい人がいなかったのです。結局、ソドムの町は滅ぼされてしまうのでした。
 聖書には執り成しの祈りがいろいろな状況の中で示されています。神様の審判を当然受けなければならないのですが、切なる執り成しの祈りをささげることにより、救いの道が開かれてくることを示しているのであります。

 執り成しの祈りをささげておられるのは主イエス・キリストであります。今朝の新約聖書はイエス様が裏切られ、逮捕されることが記されています。今朝はマルコによる福音書14章43節以下でありますが、前の部分32節以下に「ゲッセマネで祈る」イエス様が示されています。そこで、イエス様は、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように祈られています。そして、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたのであります。神様にすべてをゆだねておられるのです。この主イエス・キリストの姿が「執り成しの祈り」なのであります。主イエス・キリストの十字架は、人間の罪を贖うためであります。人間はどうしても自分で自分を救うことはできません。自分の中にある自己満足、他者排除を克服することができないのであります。そこで神様は主イエス・キリストを十字架で死ぬことを御心とされました。イエス様が十字架で血を流しつつ死ぬことにより、人間の奥深くにある罪なる姿をも滅ぼされたのであります。「御心に適うことが行われますように」との祈りこそ執り成しのお祈りでありました。
 今朝のマルコによる福音書には記されないのですが、ルカによる福音書にはイエス様がご自分を苦しめる人々の赦しを祈り求めています。23章34節、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないからです」と祈られました。十字架上のイエス様のお祈りなのです。この言葉は、のちに書き加えられたということですが、イエス様の祈りとして加えられているのであります。主イエス・キリストは十字架につけられて殺されました。それは、私たちの奥深くにある罪なる姿を贖うためであります。神様に執り成しの祈りとして十字架の道を歩まれたのであります。

 今朝は世界聖餐日であり、世界宣教の日として定められています。世界の人々が聖餐式与り、主イエス・キリストの執り成しの祈りをいただく日であります。実は私はこの世界聖餐日の日に洗礼を受けました。高校三年生であり、18歳の時でした。私は中学・高校生の頃、横浜の清水ヶ丘教会に通っていました。高校生のグループ、ぶどうの会があり、そこで信仰が導かれ、交わりが深められたのであります。その頃、以前こちらの牧師であった斎藤雄一先生が伊豆半島の宇佐美教会の牧師でした。斎藤先生も清水ヶ丘教会の出身でしたので、高校生の修養会を宇佐美教会で毎年のように開催していました。清水ヶ丘教会の青年会が葉山のレーシー館で修養会を開催しまして、高校生の私も参加しました。二人の姉が青年会の会員でもあったからです。海水浴のプログラムがあり、泳いでいるうちに、いつの間にか倉持芳雄牧師と一緒に泳いでいたのです。その時、今まで心にあった気持ち、洗礼を受けたいという気持ちが、自然に口からでできたのです。泳ぎながら、倉持牧師は喜んでくれました。この洗礼志願告白が倉持牧師の強烈な印象になったようです。洗礼式の当日の説教で、泳ぎながらの洗礼志願告白を皆さんに紹介していました。私たちの婚約式、また結婚式におきましても、海上洗礼志願告白を皆さんにお話するのでした。
 海からの出発という印象があります。私たちが結婚した時、先輩の牧師が祝電を送ってくれました。「レントのさなか船出する。主の働き人に幸多かれと祈る」というものでした。私は41年間6ヶ月牧師として務めてまいりましたが、牧師の祈りは常に「執り成しの祈り」でなければなりませんでした。まさに荒海であり、あるいは緩やかな波もあり、いろいろな波の上を教会の皆さまと共に、執り成しの祈りをささげながら歩んで来たのであります。10月からは無任所教師でありますが、教会に所属しなくなっても、今まで出あつた人々をお祈りする務めがあるのです。
 今朝は「世界宣教の日」であります。昨年、プロテスタント伝道150周年をお祝いしました。超教派の集いがパシフィコ横浜の大講堂で開催されました。150年前に諸外国宣教師たちがプロテスタントキリスト教を宣べ伝えたのであります。今、私たちはその恵みの上にいるのです。宣教師たちの執り成しの祈りがあって、今日のプロテスタント教会が存立しているのであります。日本基督教団は世界宣教委員会を通して約20名の宣教師を海外に派遣しています。それらの日本の宣教師たちも現地で執り成しの祈りをささげているのであります。私達は主イエス・キリストの十字架の救いを人々に示し、世界のため、日本のため、社会のため、家族のために執り成しの祈りをささげていくのであります。すなわち、伝道すること、イエス様の福音を人々に示すことが執り成しの祈りなのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様のお執り成しで救いに与りました。私達も人々のために執り成しの祈りをささげることができますようお導きください。主の名により。アーメン。