説教「生涯のささげもの」

2010年9月5日 横浜本牧教会
聖霊降臨節第16主日

説教・「生涯のささげもの」、鈴木伸治牧師
聖書・列王記上21章1-16節、ガラテヤの信徒への手紙1章6-10節
マルコによる福音書12章41-44節


 暑い8月が終わりましたが、9月に入っても暑さは続いています。早苗幼稚園は前週の3日から始まりました。今週から二学期の園生活になるのですが、暑さが続くので三日間は半日にすることにしました。なるべく早く帰り、家で過ごしてもらいたいのです。幼稚園の教室にはエアコンが設置されていますが、締め切っている訳ではなく、いつも開放されていますので、エアコンの効力がないというわけです。
 暑さの中で暑中見舞いをいただいていますが、その中に訓盲院からのお見舞状がありました。訓盲院は今村さんのご親類の方が担っておられ、横浜本牧教会もお祈りに覚えていることであります。訓盲院は大塚平安教会に在任していたときから、そのお働きを覚えさせて頂いておりました。大塚平安教会は附属のドレーパー記念幼稚園を運営していました。このドレーパー記念幼稚園は、ミス・ウィニフレッド・ドレーパーさんのお名前をいただきました。お父さんのギデオン・ドレーパー宣教師が昔の蓬莱町教会に関わりながら、綾瀬方面に伝道にやってまいりました。農村の社会で農民福音学校を開設したりして伝道したのであります。ドレーパー宣教師と一緒にやってきたのが娘のウィニフレッド・ドレーパー先生でした。その頃の綾瀬は養蚕農家が主流でありました。親が養蚕で忙しい時は、子ども達は所在なく過ごしていたのであります。ドレーパー先生はそういう子供たちを集めて託児所を開きました。親の忙しい時だけ開く季節託児所でありました。数年後にはドレーパー宣教師一家はアメリカに帰国しますが、季節託児所は大塚平安教会が担うようになり、その後幼稚園を設立するにあたり、ドレーパー先生の子供たちへの取り組みを基としましたので、ドレーパー記念幼稚園と命名したのであります。そのミス・ウィニフレッド・ドレーパー先生のお母さんが訓盲院を設立したとうかがっています。そのような関わりがありますので、ドレーパー記念幼稚園も大塚平安教会もいつも訓盲院を覚えさせていただいていました。
 その訓盲院を覚えるということで、私は神様の不思議な導きを示されています。私が二十歳の頃だと思いますが、盲人が必要な点字の世界を知りました。日本点字図書館が点字の通信教育をしていましたので、私も受講することになり、勉強することとなりました。時々、日本点字図書館から募金の依頼がありましたが、23歳で日本聖書神学校に入りましたので、点字の勉強も途中で終わってしまい、募金については両親に託したのであります。募金を私から託された両親は、年に一度募金の依頼にこたえて献金していたようです。両親が年をとり、献金ができなくなった後は、姉が続けて献金していました。そして姉が亡くなりまして、日本点字図書館から募金依頼があったとき、姉が亡くなったので、これからは私が献金しますと書いて送りました。すると点字図書館から、「鈴木さんのお宅からはご両親様、姉上様、そして弟さんに引き継がれて、今年で45年を経ております。長年のご支援をありがとうございます」とのお手紙をいただいたのであります。私はその時、初めて知りました。日本点字図書館からの募金依頼を両親に託しましたが、もう忘れていたのであります。両親が毎年献金し、姉が引き継ぎ、そして私が引き継いでいるのでありますが、もう50年以上は、わずかではありますが献金させていただいております。
 大塚平安教会牧師に就任し、ドレーパー記念幼稚園園長に就任し、そこで訓盲院を覚えることができ、さらにこの横浜本牧教会の代務者となったとき、訓盲院を身近に示されるようになりました。私は直接には盲人の皆さんとの触れ合いはありませんが、私の生涯の祈りとして示されているのであります。

 私に与えられた示しを生涯にわたり担い、祈っていくこと、今朝は聖書の示しをいただいています。旧約聖書は列王記上21章であります。「ナボトのぶどう畑」の物語が記されています。ナボトはイズレエルの土地にぶどう畑を持っていました。ぶどう畑はサマリアのアハブ王の宮殿のそばにありました。アハブ王はナボトに「お前のぶどう畑を譲ってくれ。わたしの宮殿のすぐ隣にあるので、それをわたしの菜園にしたい。その代わり、お前にはもっと良いぶどう畑を与えよう。もし望むなら、それに相当する代金を銀で支払ってもよい」と頼むのであります。それに対してナボトはアハブ王に、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と答えたのであります。アハブ王は、このナボトの言葉にすごすごと引き下がりました。王様なのだから、自分の権威でナボトの畑を自由にすることができると思われます。実際アハブ王の妻イゼベルは、アハブ王の弱気な姿勢を嘲るかの如く、王の名においてナボトをならず者によって殺させ、ナボトの畑をアハブ王のものにしてしまいます。それは聖書に記される通りであります。アハブ王がナボトの言い分を聞いて、すごすごと引き下がったのはアハブ王もナボトの言い分をよく理解していたからであります。すなわちナボトが述べた「嗣業の土地」ということであります。
「嗣業」とはもともと賜物と言う意味でありますが、神様によって与えられる土地を意味するようになりました。アブラハムに神様の召しが与えられた時、嗣業としての土地を与えるということであります。そして、モーセの時代に奴隷の国エジプトから脱出し、カナンの土地に入っていきますが、そこで得た土地がイスラエルの12部族の嗣業の土地になりました。そして、部族から個人の嗣業になっていったのであります。嗣業は神様の恵みによって与えられた土地であり、その土地を通して祝福の歩みが導かれることなのであります。嗣業の土地は大切なものであり、人に売ったり、関係ない人が相続することは許されないことでありました。このような嗣業の意味は、聖書の人々自身が神様の嗣業であると信じられるようになったのであります。従って、神様の嗣業でありますから、与えられた十戒を守り、正しく生きることが嗣業としての人々なのであります。
アハブ王とイゼベルの行為は許されざることでありました。神様は神の人エリアを通して、アハブに対する審判を告げます。アハブ王は自分したことは悪いことであることを知っていましたから、エリアの言葉を聞くと、すぐさま悔い改めを行います。アハブ王はエリアの審判の言葉を聞くと、「衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、打ちひしがれて歩いた」と21章27節以下に記されています。神様はアハブの悔い改めを受けとめ、アハブ王の命を長らえさせたのでありました。嗣業に対するアハブ王の姿勢も示されているのであります。神様の恵み、賜物は大切であり、生涯の恵みとし、嗣業を通して神様を仰ぎ見ることなのであります。

 嗣業には賜物という意味がありますが、新約聖書ではタラントンのたとえ話があります。主イエス・キリストの示しであります。ある人が旅に出かけるにあたり、僕たちに持っている財産を預けます。ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントンを預けます。預けられた人は商売をし、陪の利益を得るのであります。主人が帰ってきて預けた財産の清算をした時、陪にした人たちは褒められました。しかし、何もしないで地面に隠しておいた人は叱られたというのです。タラントンは神様が人々に与えている賜物であり、その賜物を通して神様の祝福に与ることであります。タラントンは嗣業でもあるのです。十分に与えられた嗣業を用いるということなのであります。
 そこで新約聖書の示しは「やもめの献金」であります。イエス様は神殿で、人々がささげものをするのをご覧になっています。大勢の金持ちが沢山のささげものをしていました。そこに一人の女性がやってきました。この人はレプトン銅貨二枚をささげたと言われます。レプトン銅貨は最も低いお金であります。1デナリオンの128分の1と言われます。1デナリオンは一日の日当と考えられています。イエス様は弟子たちに言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもた

説教「慈しみが結ぶ実」

2010年9月12日 横浜本牧教会
聖霊降臨節第17主日

説教・「慈しみが結ぶ実」、鈴木伸治牧師
聖書・申命記15章1-11節、コリントの信徒への手紙(二)9章6-15節
マルコによる福音書14章3-9節


 今朝は聖書における神様の「慈しみ」を示されています。申命記にしても、コリントの信徒の手紙にしても、マルコによる福音書にしても神様の「慈しみ」が示されています。「慈しみ」は旧約聖書では「へセド」という言葉であります。神様の「慈しみ」を現す言葉であります。「へセド」には「愛、あわれみ、親切、恵み、良き業」等の意味があります。神様が「へセド」をもって私たちを導いてくださっていることを示されるのであります。前週水曜日に聖書研究会が開かれ、コリントの信徒への第二の手紙4章を輪読し、パウロの示しを与えられたのであります。パウロは、私たちを「土の器」とし、この土の器に宝物が与えられていると示しているのであります。宝物とは、「キリストの栄光に関する福音の光」であり、「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光が与えられている」ということであります。福音と神様のご栄光が、私の土の器の中に輝いていることを示されたのであります。それも「へセド」であります。神様の「慈しみ」「憐れみ」「神の愛」がこの土の器の中に与えられているということであります。自分を顧みるならば、「へセド」に満たされていることを確信しなければならないのであります。
 前任の幼稚園のことについては前週も触れましたが、ドレーパー記念幼稚園の園庭には大きなケヤキの木が二本存立しています。一本は道路に面していますが、もう一本は園庭の中にあります。もう、かなり大きくなって、両手を木にまわしても手と手がくっつかないのであります。夏の間は豊かな緑の葉によって木陰が与えられ、喜びでありますが、秋になり落葉の季節となると大変であります。毎朝、教職員が落葉拾いをしなければなりません。今までも大変であるので切り倒すことが要望されていましたが、そのままにしています。むしろ、ケヤキの木が幼稚園の象徴的な存在になっています。卒業した子どもたちが、幼稚園を思い出すのはケヤキの木でもあるのです。木陰で遊んだこと、落葉を集めて焼き芋をしたこと。掃き寄せた落葉の山に転がり込んだことなどが思い出されるのです。
 そのケヤキの木に新しい歴史が造られました。3月に退職するにあたり、記念になるものを購入するなり、作るなりしてもらいたいとして寄付金をしたのであります。そしたら、その象徴的ケヤキの木にアスレチックをからませて造られました。三段までステージを作り、登ったり降りたりと楽しい場所となりました。そのアスレチックの名を「のぶらはむのいえ」と命名したのであります。園長先生がいつまでも子どもたちを見守っていることを示すものであると言われました。
 自分の存在をしっかりと支え、見守っていること、幼稚園のケヤキの木を思い出しては示されることであります。それはまた神様の「へセド」でありますが、子ども達も象徴的なケヤキの木の存在から、それとなく「へセド」を示され、成長しているのであります。神様の「慈しみ」「あわれみ」により生かされていることを強く示されるのであります。

 「へセド」を実践しなさいと申命記は示しています。今朝の旧約聖書申命記15章1節から11節までであります。「負債の免除」の示しなのであります。借金を帳消しにしなさいとの教えであります。「7年目ごとに負債を免除しなさい」との教えは、まさに聖書の人道的な教えであります。人道的な教えとして、よく示される聖書は「落ち穂」の教えであります。麦刈をするとき、落ち穂を拾い集めてはならないし、むしろ落ち穂が出るような麦刈をしなさいとも教えているのであります。落ち穂は貧しい人々が、麦刈の後に畑に入り、落ち穂を集めて生活の糧にするのであります。こうした人道的な教えが他にも多くありますが、「負債の免除」もその一つであります。人にお金なり、物なりを貸した場合、6年経っても返すことができない。そして7年目には免除してあげなさい、との教えです。「だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除を布告されたからである」と示しています。聖書の民族は小さな民族であり、歴史において400年間も奴隷の苦しみを味わいました。苦しみを味わったあなたがたは、人に対して苦しみを与えてはならない、ということが神様の「へセド」であります。神様のあわれみ、慈しみによって奴隷から解放されたのであります。へセドを多く与えられているあなたがたは、神様のへセドを実践しなさいとの教えであります。「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい」と示しています。貸してあげなさい、免除しなさいと繰り返し教えています。
 やはり人間ですから、基本的には自分が損をしたくないのであります。神様の教えであっても、どこかですり抜けることを考えています。そのことも、ちゃんと示されています。「7年目の負債免除の年が近づいた」、とよこしまな考えを持って、「貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい」と示されるのであります。そして、最後に言われたことは、「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」と示されています。
 教会は貧しい者に手を大きく開いている、ということを知っている人々がいます。「今日は朝から何も食べていない。いくらか貸してもらいたい」というので、パンや果物等をあげたりしますが、あまり喜ばないのであります。お金がほしいわけです。巧みに話を持ちかけてくる人もいます。「ダンプカーで仕事をしているが、駐車場がなくて困っている。この辺はダンプカーを止めるところがあるので、引っ越してくる。教会に来る途中で財布を落としてしまい、家に帰れない。ついては1万円ばかり貸してもらいたい。引っ越してきたら返す」というわけです。見事に引っかかってしまい、貸してあげました。連れ合いから、甘さを指摘されたりしました。そういう連れ合いも結構訪ねて来る人にお金を与えているのです。お金をあげなかったので、悪魔と言われたことがあります。その人は、教会は福祉に力を入れていますね、と社会的な話から始まり、結局はいくらか恵んでもらいたいということでした。どうも、最初から見え見えのお話なので、意地悪にもお金をあげませんでした。そしたら、「お前は悪魔だ。この教会は悪魔の教会だ」と言いつつ帰って行きました。なんか後味が悪くて、「お前は悪魔」の言葉が今でも耳に残っているのです。
 「この国から貧しい者がいなくなることはない。生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」と申命記で示しています。

 「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる」と言われているのは主イエス・キリストであります。むしろ今、しなければならないことを示されているのがイエス様なのです。マルコによる福音書14章3節以下は、イエス様がベタニアのシモンの家で食事をしているときのことです。一人の女性が食事をしているイエス様の頭に、非常に高価なナルドの香油を注いだのであります。それを見た何人かが憤慨します。「なぜ、香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言うのです。申命記に示されていますように、聖書の世界では、貧しい人々を顧みることは神様の示しなのであり、社会的にも奨励されていることであります。女性のした行為は、批判し怒った人々の言う通りなのであります。300デナリオンもするナルドの香油は300日分に相当するお金になります。このように批判した人々にイエス様は、「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」と言われました。確かにイエス様にとっては高価なナルドの香油を注がれたのですから、うれしいことでありますが、もはや時が迫っているということであります。この後の聖書は、ユダが裏切りを計画し、最後の晩餐があり、裏切られて逮捕されるのです。マルコによる福音書14章は、もはや最後のイエス様なのです。十字架への道がはっきりと示される段階になっているのであります。
 この世の判断、聖書の世界では「貧しい人々に手を開くこと」は社会の常識になっています。申命記では「貧しい者がいなくなることはない」と示し、イエス様も「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」と示しています。そういう中で、イエス様が女性の行為を肯定しているのは、神様に向かっての好意であるからです。当時の宗教的倫理、あるいは旧約聖書における人道的な戒めを行うことは人々の生活であります。しかし、イエス様は、それぞれの行為は相対化されているのであります。この女性の行為は無駄使いでありますが、時が迫っているイエス様にささげた行為であり、神様を仰ぎ見つつの行為なのであります。だからイエス様は祝福されたのでもあります。
 マルコによる福音書1章16節以下でイエス様が4人の漁師を弟子にすることが記されています。彼らに「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしよう」と言われたのであります。彼らは網を捨ててイエス様に従ったのであります。社会的には魚を取る漁師が大切であります。それが人間を取る漁師になる。人間の常識ではない行為が求められたのであります。さらにマルコによる福音書2章13節以下では。「レビを弟子にする」ことが記されています。その中で、イエス様が罪人と言われている人々と食事をしていることで、当時の社会的指導者達が批判するのです。宗教的倫理においては、罪人と食事をすることなど考えられないのです。イエス様は批判があっても罪人と言われている人々と交わりました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われたイエス様であります。その他、安息日論争があります。ユダヤ教においては土曜日の安息日は、一切の労働は禁じられています。しかし、イエス様は安息日に病人をいやしました。癒された病人は床をたたみ、担いで帰ります。労働行為であります。人々はイエス様の癒しを批判しますが、イエス様は、今救われることが必要であるとし、安息日を超えていたのであります。
 ナルドの香油は神様のへセドそのものであります。この世的に考えれば、香油を売って300デナリオンにし、貧しい人々に施してあげることです。貧しい人々は喜びますが、それと共に私自身の誇りが高くなるでしょう。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」とイエス様は教えておられます。地の塩・世の光として生きるとき、まさに人々は喜びへと導かれるのであります。その時、イエス様は「地の塩・世の光」を教えつつ、「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイによる福音書5章13節以下)と教えておられるのです。今、わたしがしていることは人々に喜ばれることでありますが、そこに神様のへセドがあるか、と言うことであります。
 ナルドの香油をささげた女性は神様のへセドを実践しているのであります。この世的な300デナリオンではなく、救いの十字架に向かう主イエス・キリストヘの信仰なのであります。へセドと信仰が結びついているのであります。貧しい人々への救済運動は必要なことであります。しかし、神様のへセド、神様の愛、神様の慈しみを原点としなければならないのであります。

 横浜本牧教会は早苗幼稚園という大切な取り組みをしています。子どもたちをイエス様のお心によって育み、送り出しているのです。この幼稚園が歴史のある名門幼稚園ということでは存立の意義がありません。へセドとしての幼稚園であるかが問われるのであります。10月15日から募集開始であり、願書を配布することになります。今までの入園案内がありますが、もう少し早苗幼稚園の方針を知ってもらう意味でも、新しく入園案内を作ることにし、今検討しているところであります。
 キリスト教主義の幼稚園は障害を持つ子どもたち、またその傾向の子どもたちを積極的に受け入れています。しかし、一般の幼稚園はそれらの子どもたちをあまり受け入れない傾向があります。前任の幼稚園でのことです。願書を取りに来られた一人のお母さんが、お子さんが障がい的傾向があるので、入園できるのか心配され、事務員に繰り返し尋ねていました。そして11月1日の朝7時になって受付にこられましたが、心配のお気持ちは変わらず、繰り返し受付けてもらえるかと聞くのです。そして、その方の面接となりました。面接室に入ってきたとき、動揺していて、しばし言葉が出ません。「少し深呼吸されては」と言い、ようやくお話しが出来るようになりました。とにかく、障がい的傾向の子どもであり、受け入れてもらえるか、心配そうに尋ねます。面接をしているからには、もう受け入れているのですよ、と言いますと、涙を流しつつ喜ばれるのでした。
 キリスト教の幼稚園は、本当は園児があまり集まらないのが普通なのです。神様のへセドを実践することにより、希望が少なくなるということです。しかし、それでも神様のへセドを実践しつつ幼児教育に取り組むのは、教会の背後の祈りがあるからです。教会はへセドの祈りをもって幼稚園を支えているからであります。パウロも励ましています、「あなたがたの慈しみが結び実を成長させてくださいます」(第二コリント9章10節)。
<祈祷>
聖なる御神様。神様の御慈しみをいただき、十字架の救いを与えられ感謝致します。与えられている慈しみを世の人々に証しさせてください。主の御名により。アーメン。

説教「救いの出来事」

2010年9月19日 横浜本牧教会
聖霊降臨節第18主日

説教・「救いの出来事」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記12章21-28節、ヘブライ人への手紙9章23-28節
マルコによる福音書14章12-26節


 今朝、私達は礼拝に導かれ、皆さまと共に礼拝をささげています。それは救いに与った者として、救いの喜びを確信し、この救いを基として歩むためであります。あるいはまた、救いを求めて礼拝をささげておられる方もおられます。救いを与えられている者、求めておられる方、いずれも「救い」が中心であります。聖書を開けば、「救い」という言葉があふれています。「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む」(創世記49章18節)、「今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(出エジプト記14章13節)と旧約聖書は神様による救いを次々に示しています。主イエス・キリストも「今日、救いがこの家に訪れた」(ルカによる福音書19章9節)と言われ、また「あなたの信仰があなたを救った」(マタイによる福音書9章22節)と言われて、一人の存在の救いを喜ばれているのであります。そして、お弟子さん達もイエス様の救いを人々に伝え、「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマの信徒への手紙10章9節)と示しています。聖書は救いを示しているのであり、どこを開いても救いに関する出来事が記されているのであります。救いを示す聖書でありますが、救いの出来事の根本を今朝の聖書は示しているのであります。
 救いは聖書に示される過越しであり、十字架の救いであります。しかし、「救い」という言葉はキリスト教でなくても使われています。貧しさからの救い、病む人々の救いは人間の根本的な願いであります。私たちにとって、「救い」は聖書の救いの出来事であります。聖書の救いの出来事ではない「救い」の一人歩きがあります。宮城県の教会にいる頃、夏のお祭りには必ず出てくる人々がいます。その人たちは町の人たちがお祭りを楽しんでいるとき、「死後さばかれる」とか「今は救いのとき」などと書かれたプラカードをかざしながら、スピーカーを背負い、放送して歩くのです。こちらは子供を連れてお祭りを楽しんで歩いているのですが、近所の人から「関係あるのですか」などと聞かれるので、「全く関係ありませんよ」というのであります。他の牧師は、そういう人たちが来ると、「この人たちは私たちの○○教会とは関係ありません」とスピーカーで言って歩くなどと聞きました。一方、モルモン教の宣教師たちは町の人たちと共に歩むことが狙いであり、一緒になって神輿を担いだり、山車に乗って太鼓をたたいたりしていました。救いの出来事を真実示すことが伝道であります。 

 旧約聖書出エジプト記を示されています。神様の救いの根本がここに示されています。最初の人アブラハム、イサク、ヤコブの族長時代の救いというものも示されますが、奴隷からの解放、救いは聖書全体の救いの下敷きになっているのであります。
 今朝の聖書、出エジプト記12章21節以下は神様の救いが実現するにあたり、聖書の人々が救いに与る準備をする所であります。聖書の人々がエジプトで奴隷である、この意味を分からない人々がいます。奴隷として働かせているエジプト人も、奴隷として働かせらせている聖書の人々、イスラエル人も、なぜなのか分からない人々がいるのです。これは少し遡らなければなりません。族長ヤコブの時代、飢饉、冷害が起こり、食べ物に窮することになりました。それでエジプトに食料があるというので、ヤコブの子ども達10人が買い出しに行くのであります。そこで、はからずも11番目の兄弟ヨセフに出会います。ヨセフはエジプトで王様に次ぐ大臣になっていました。兄弟達は驚くと共に恐れるのであります。なぜならば、このヨセフを兄弟達が奴隷として売り渡してしまったからであります。ヨセフはヤコブの12人の子ども達の中でも、父のヤコブがこよなく愛している息子でした。他の兄弟達は面白くありません。何とかしなければとの思いが、ヨセフを奴隷として売ってしまうことでした。本当は殺すことまで考えたのですが、一番上の兄が殺すことは思いとどまらせたのでありました。売り飛ばされたヨセフは、不思議な力がありました。それは夢を解くということです。王様が変な夢を見ました。誰もその夢を解き明かすことができません。それがヨセフへの導きとなり、ヨセフは王様の不思議な夢を解き明かすのであります。7年間は豊作が続き、その次に来る7年間の飢饉は豊作を飲み込んでしまうというものです。だから、豊作の期間、穀物や食料を貯蔵することを王様に進言するのであります。王様はヨセフの夢の解き明かしを喜び、ヨセフを大臣にして食料の管理をさせたのであります。そこで食料の買い出しに来た兄弟達との再会になりました。ヨセフは恐れる兄弟たちに、「わたしはあなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と言うのであります。
 こうしてヤコブの一族はエジプトに寄留することになりました。その後、ヤコブもヨセフも死んでしまいます。そして、このエジプトに外国人が住んでいることの意味を知らない王様の時代になります。自分の国で外国人が多くなっていくことに恐れを持つのであります。それにより奴隷の時代が始まるのであります。奴隷として苦しむこと400年と言われています。この苦しみの声を神様が受けとめ、モーセという指導者を立てて救い出すのであります。モーセはこの大きな職務に恐れを持ち躊躇します。しかし、神様はモーセを励まし、救いの業を行わせるのであります。モーセはエジプトの王様ファラオに、聖書の人々がこの国から出ていくことを交渉します。しかし、王様は応じません。今や奴隷の力はエジプトにとっては大きな力になっているのであります。奴隷の労力がなければ何もかも進められなくなるのであります。かたくなに拒否をする王様に、モーセは神様の力を持って迫ります。水を血に変えてしまいます。いよいよ飲み水がなくて、王様は出て行ってもよいと言うのですが、元に戻ると再び過酷な労働を命じるのであります。この後、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災い、疫病の災い、はれ物の災い、雹の災い、いなごの災い、暗闇の災いを与えました。災いを与えられて苦しむときには、もはや奴隷を解放すると言うのですが、災いが無くなると心を翻してしまうのであります。
 そして、ついに最後の災いが下されるのであります。それが今朝の聖書になります。神様の最後の災いは、エジプトに住むすべての初子は死ぬということでした。聖書の人々もエジプトに住んでいるのです。神様の審判から救われるために、聖書の人々の家の鴨居に羊の血を塗っておくのです。審判の日、モーセは聖書の人々に、「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血をご覧になって、その入り口を過ぎ越される」と示すのであります。
 こうして過越の救いが与えられたのであります。この救いの過越は定めとし、永遠に守らなければならないと示しているのであります。子どもたちが、この儀式にはどういう意味があるのですか、と尋ねるならば、こう答えなさいと示します。「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と示しなさいと言うことです。従って、毎年この過越の祭りがおこなわれ、救いの原点を示され、救いを確認しつつ歩むのであります。救いは昔の出来事ではなく、今の出来事であると受けとめるのであります。今生きている場が救いの出来事であるということであります。

 主イエス・キリストも過越の食事を致します。旧約聖書過越の祭りが、イエス様による救いの時となるのであります。「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意致しましょうか」と弟子たちが聞きました。すると、イエス様は、「都に行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子達と一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい」と言われたのであります。
最初のところに「除酵祭」とありますが、これは「種入れぬパンの祭り」であります。旧約聖書で、神様の最後の審判の時、羊の血を家の鴨居と二本の柱に塗っておきました。それによりエジプトに審判が下され、王様のファラオは奴隷を解放したのであります。人々は急いで種入れぬパンを作り、それを持って脱出したのであります。種とは膨らまし粉、イースト菌であります。パンをこねて、ゆっくりとパンを作る時間がありません。急いで脱出した記念であり、救いの記念でありました。それは歴史を通して守られてきました。イエス様の時代も種入れぬパンの祭りとして過越の祭りがお祝いされたのであります。
 こうして準備された食卓で、イエス様は救いの儀式を示されたのであります。マルコによる福音書14章22節以下は「主の晩餐」として示されていますが、「最後の晩餐」なのであります。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の地である』」と言われたのであります。イエス様の十字架による贖いはこの後ですが、あらかじめ儀式を示されたのであります。イエス様が十字架にお架りになり、復活されたとき、お弟子さん達はイエス様の残された儀式をしっかりと受け止め、聖餐式として守るようになりました。イエス様が十字架にお架りになる前に、最後の晩餐を通して聖餐式をお定めになられたのは、十字架の救いが前提であります。十字架により血が流されること、その血は救いの印しであるということを示されているのであります。従って、十字架の救いを信じて聖餐式に与ることが救いの確信となるのであります。

 救いの出来事は生涯にわたり、信仰者の基であります。救いの出来事をいつも原点にしつつ歩むことが私たちの願いであります。
 今朝は敬老祝福式を行います。信仰に生き、なお力強く歩んでおられ皆さんは信仰者の目標であります。レビ記19章32節には、「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい」と教えられています。引っかかるのは、「髪の薄い人の前」と言ってないことであります。長老は神様のお心を長い人生でよく示されているのであります。従って、聖書の人々は高齢者を敬い、神様の御心を示されていたのであります。その高齢者は救いの出来事を証しています。過越の祭りの意味を伝えたのは高齢者であり、主の十字架の救いを示すのは高齢者であります。使徒言行録には「神はこう言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(2章17節)と示されています。預言も幻も夢も神様の示しであり、御心でありますが、老人には夢を持って御心が示されるのであります。敬老ですから、私たちの信仰の高齢者を敬い、高齢者は祈りつつ救いの出来事を証しするのであります。
前週の金曜日の夕刻に、「神の庭サンフォーレ」支える会が開催されることで案内をいただきましたが、私は教団の委員会があり欠席の返事を出しました。返事を出しながら、改めて「神の庭サンフォーレ」の存立について思いを馳せたのであります。「神の庭サンフォーレ」は高齢者の居住施設であります。秦野の丹沢の麓に建てられています。信仰を持って人生を生きた人たちの終の住み家であります。神奈川教区の中にキリスト教の高齢者ホームを建設する計画が建てられたのは、私が神奈川教区議長の時でありました。しかし、神奈川教区が独自に高齢者のホームを造り、運営することは困難なことであります。いろいろと協議しているなかで、高齢者ホームを造り、運営している人に出会いました。私達の計画を受けとめてくれました。高齢者ホームを運営するのはサンフォーレという会社であり、ソフトの面、居住者がキリスト教の信仰をもって生活することができるために教区が関わるという計画です。そのような計画を議案として教区総会に上げました。しかし、さまざまな意見が出てまいりました。責任問題もあり、教区が民間会社と提携して取り組むことに対する疑義も出されたりして、なかなか決議には至りませんでした。総会から総会へと継続になり、これ以上論議しても並行意見は変わらないと判断しました。そして、有志が株式会社サンフォーレと提携して取り組むことになったのであります。それが「神の庭サンフォーレ」であります。月に二回の礼拝がささげられています。いろいろな教会の皆さんが訪問してくれています。クリスマスには皆さんでお祝いの集いを致します。本当に信仰をもって終の住み家で過ごすことの喜びを与えられているのであります。
 キリスト者の高齢者ホームを建設する目的は、最後まで救いの喜びを持ち続けることでありました。朝、目覚めれば讃美歌が耳に入り、夜休む時には祈りのうちに目を閉じる。「神の庭サンフォーレ」には牧師が主事となり、牧会の務めを果たしているのであります。
 救いの出来事をしっかりいただいて、天に召されるまで救いの出来事を基としつつ信仰の歩みが導かれることを今朝は示されたのであります。
<祈祷>
聖なる神様。救いの出来事により、主の十字架の救いを与えてくださり感謝致します。救いの出来事が生涯の支えとなり、導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。

説教「みこころに適うこと」

2010年9月26日 横浜本牧教会
聖霊降臨節第19主日

説教・「みこころに適うこと」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記32章23-33節、コロサイの信徒への手紙1章24-29節
マルコによる福音書14章32-42節


 今朝は横浜本牧教会の最後の講壇となりました。お招きをいただき、この半年間、代務者としての務めをさせていただき感謝しています。前任の大塚平安教会を3月に退任することになり、4月からは無任所教師としてゆっくり過ごしましょうとの思いを持っていました。10月の教団総会で日本基督教団の総会書記を退任するので、それまでは隠退ができません。少なくとも今年の2月27日の神奈川教区総会まではそのように思っていました。教区総会のお昼の休憩のとき、古旗誠牧師や森田裕明牧師、他の牧師と共に食事をしました。その時、古旗牧師が横浜本牧教会の代務者をしていただけないかと再度打診されました。再度というのは、その前にも要請があったのですが、4月以降はゆっくりしたいとの思いがあり、お断りしていたのです。食事をしながら、再度依頼されて、思わず「行ってみるか」と言ってしまいました。そしてら、古旗牧師は他の牧師たちに、「聞いたよな」と確認させたのです。みんな「聞いた、聞いた」と言うのです。もう後には引けず、そこで決定となったのであります。変な代務者としての就任でありますが、それからは気持ちを変えて、横浜本牧教会の牧者として勤めを目指したのであります。原則として講壇は毎週立たせていただきました。皆さまと共に御言葉に向かうことができ、感謝しています。
 今朝の聖書を通して「みこころに適うこと」を示されるのでありますが、御心が与えられている私たちは、御心から逃げることなく、みこころに従うということを示されています。大塚平安教会の牧師は知的障害者施設の綾瀬ホーム、さがみ野のホームの嘱託牧師として関わることでありました。次の牧師が10月から赴任するので、それまで勤めることになりました。そして、先週の金曜日の礼拝で二つの施設の嘱託牧師としての職務が終わったことになります。ところがホームの利用者が召天され、本日は前夜式、明日は告別式の葬儀を行うことになりました。何か、まだまだと言われながら、職務に追いかけられているのであります。こちらの早苗幼稚園の入園案内を私が作ることになり、最終的に出来上がるのは9月30日であります。いろいろなところで、「まだ仕事があるよ」と後ろから声をかけられているようであります。
 自分自身が「みこころ」にどのように従っているのか。つくづく反省させられています。そういう私に示される御言葉は、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練をうけたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブライ人への手紙3章7、8節)であります。この私に「みこころ」が示されているということ、そのみこころに従うことが求められているのであります。今朝の聖書は私に与えられている御言葉であり、皆様と共に御心を示されたいのであります。

 旧約聖書は創世記32章23節以下、ヤコブの召命が示されています。「ペヌエルでの格闘」と題されていますが、この格闘を通してヤコブがみこころに従う者へと導かれていくのであります。ヤコブは聖書でも初期の人でありますが、極めて人間的に生きた人であります。その意味でヤコブを批判したくなりますが、しかしヤコブはこの私の自分の姿であると示されるのであります。聖書の最初の人物はアブラハムであり、ついでイサクに継がれ、そしてヤコブの時代になります。ヤコブはイサクの双子の子どもとして生まれますが、弟になります。ヤコブは自分が弟であることが面白くなく、兄エサウから兄の権利を奪ってしまうのであります。兄の怒りから逃れるために、ヤコブは母の兄ラバンのもとに逃れる事になります。ここで平和な生活をすることになりますが、伯父さんの羊を飼う仕事は、いくら働いても自分の財産とはならないのであります。そのため、伯父さんの羊とは別に、自分の羊を飼うようになり、それも随分と多くの羊を飼うようになるのであります。このこともヤコブの人間的に巧みな生き方でもありました。ヤコブは、年月を経ていよいよ故郷に帰ることにしました。しかし、故郷には騙した兄がおり、その兄のもとに帰ることの危険がありますが、やはり故郷へと帰って行くのであります。故郷を前にして、ヤコブは兄エサウへ沢山の贈り物を届けさせました。そして、明日は兄エサウとの再会というとき、ヤコブは家族や僕たち全員をヤボク川の向こうに渡します。そして、その夜は一人ヤボク川のこちら側で夜を過ごすことにしたのであります。
 そこで今朝の聖書になります。もはや夕刻でありますが、ヤコブが一人でいると、何者かが現れ、ヤコブと格闘をしたと言うのであります。その辺りは詳しく記されません。一晩中格闘したと記しています。「その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた」と記しています。するとヤコブと格闘している人は「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」と言いました。するとヤコブは、「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」と言いました。すると、格闘していた相手は、ヤコブの名を確かめ、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と言われたのでありました。
 ここに示されていることは、何かよく分からない面があります。ヤコブと闘った相手は神様であるということは、ヤコブ自身が分かるようになります。そして、自分と闘っている存在が神様であるとき、ヤコブは相手に祝福を与えてくれるまで離さないと言いました。まさに、今まで人間的に狡猾と思える生き方でありました。今までは人間に対しての生き方でありましたが、今まさに神様と向き合うことになったということであります。人間ではなく、神様に向くとき、神様の祝福をいただかなければならないのであります。イサクの双子として生まれ、弟であるので家を継ぐことはできません。家を継ぐのは兄であり、父からの祝福をいただかなければなりません。ヤコブは兄をだまし、その祝福を狡猾な手段でもぎ取ってしまったのです。人間に対しては祝福をもぎ取ることはできました。しかし、神様の祝福はもぎ取ることはできないのです。だから、「祝福を与えてくださるまで離さない」というとき、「みこころに適うことをさせてください」と願っているのであります。そのように願うヤコブに、神様は「お前の名はなんというか」と尋ねます。「ヤコブです」とはっきり答えているのであります。ヤコブが自分の名は「ヤコブです」と答えたとき、それまでのヤコブの生き方がありました。人間的に狡猾に生きてきたヤコブです。自分の望む通りの生き方でありました。「ヤコブです」と答えたヤコブは、自分の人生のすべてを神様に申し上げたのであります。こういう私ですが、みこころに適うことを、させてくださいと願っているのであります。そのようなヤコブでありますが、神様はヤコブに御心を示しました。ヤコブは、もはや個人ではなく、イスラエル国家の中心になって行くのであります。神様のみこころに適うことを求め、また実践する者へと導かれていったのであります。

 ヤコブと同じような存在が、新約聖書のペトロであります。マタイによる福音書16章13節以下にペトロの信仰告白が記されています。イエス様は世の中の人々がイエス様をどのように理解しているのかお弟子さん達に尋ねました。するとお弟子さん達は、昔現れたエリアだとかエレミヤであると人々の評判を言うのでした。するとイエス様は「それではあなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお聞きになりました。シモン・ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。するとイエス様は、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われたのであります。「この岩の上に」と言っていますが、「あなたはペトロ」と言われたとき、「ペトロ」とは「岩」を意味している言葉でありました。従って、ペトロという岩の上に、教会ができることを示しているのであります。イエス様が、「あなたはペトロ」と言われたとき、ペトロは実に間違いの多い人でした。湖の上でおぼれそうになるのはペトロであります。その時、「なぜ、疑ったのか」とイエス様から叱られるのであります。イエス様がお弟子さん達の足を洗うと言えば、手も頭も洗ってくださいと言うのはペトロでした。そして、ペトロはイエス様とは関係がないと三度も否定してしまうのであります。そのように人間的に弱いペトロでありますが、「あなたはペトロ」であると言われ、御心を示されているイエス様なのです。旧約聖書ヤコブ新約聖書のペトロはまさに人間的に弱い人達でありましたが、その彼らに神様は「みこころに適うこと」を示し、導いておられるのであります。御心をお示しになるとき、はっきりと自分の存在を確認させ、その上で御心を示されたのであります。今のあなたに御心を示すということであります。他の誰かのような姿でなく、知識があり、学問があり、あるいは優れた存在としての私ではなく、私というありのままの存在に御心が示されるということであります。
 「みこころに適うこと」を実践されているのは主イエス・キリストであります。マルコによる福音書14章32節以下はイエス様が「ゲッセマネで祈る」ことが示されています。もはや主イエス・キリストの十字架の救いの時が、目の前に迫っている状況であります。マルコによる福音書は1章15節でイエス様が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われて、宣教を開始しました。そして、ガリラヤで伝道を始められたのであります。まず、4人の人をお弟子さんにしました。シモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネであります。汚れた霊に取りつかれている人をいやし、多くの病人をいやしました。さらにお弟子さんを加え、12人のお弟子さんと共に神の国の実現のために伝道されたのであります。そのイエス様の前に立ちはだかり、イエス様の伝道を批判するのは指導者達、律法学者やファリサイ派の人々でした。イエス様はユダヤ教の宗教社会の中で、新しいキリスト教を広めていったというのではなく、神様のお心に導かれ、現実を神の国として生きるということでありました。しかし、人々は主イエス・キリスト神の国の福音を示されながらも、現実を神の国として生きることができなかったのであります。神様は人々の自己満足、他者排除をお救いになるために、旧約聖書以来、戒めを与え、預言者を通して教え導いて来ましたが、人間は救われない存在でありました。ついに神様は主イエス・キリストにより救いを完成させるのであります。主イエス・キリストの十字架による贖いであります。人間の自己満足による他者排除を十字架により滅ぼされることでした。主イエス・キリストは神様の御心を知ります。神の国の実現のために伝道を致しますが、救いの原点がない限り人間は救われないことを示されるのであります。ご自分が十字架にお架りになることであります。神の国の福音を述べ伝えながらも、十字架の道を踏みしめて進むことになるのであります。そして、ご自分が「多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」とお弟子さん達にお話するようになりました。このことは三度もお弟子さん達にお話致しますが、お弟子さん達はその都度、「そんなことがあってはなりません」とイエス様に進言したりしていました。その時が迫ってきました。
 今朝の聖書はイエス様の救いの時、十字架の救いの時が間近に迫ったことが記されているのであります。マルコによる福音書14章は、イエス様がお弟子さん達と最後の晩餐をします。そこで記念となる聖餐式の原型をお示しになりました。そして、食事の後、お弟子さん達と共にゲッセマネのというところに参りました。イエス様は、「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われ、少し離れたところでお祈りするのであります。イエス様は地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにお祈りされたのであります。「アッバ、父よ、あなたは何でもお出来になります。この杯をわたしから取りのけてください」とお祈りします。イエス様は一人の人間としてこの世に現れているのです。苦しいことは同じように苦しいのです。死にゆくこと、苦しみつつ死ぬことの恐れはあるのです。いよいよ、この時が来たのです。この時を見つめながら、神の国に生きる喜びを人々に示されてきたのです。しかし、ご自分の十字架の贖いがない限り、人々が神の国に生きることは実現できないのです。いよいよ、その時になりました。「この苦しみを過ぎ去らせてください」とお祈りしています。しかし、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」とお祈りされています。神様の御心のままにしてくださいとお祈りしているのであります。すべてを神様に委ねておられるのであります。
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 「みこころに適うこと」、自分の思い、計画ではありません。神様の「みこころに適うこと」は、祈りつつ求めることであります。私は本日の講壇により代務者の務めが終わりますが、これは神様の「みこころに適うこと」と示されています。この3月で大塚平安教会を退任し、4月からはゆっくりとお茶でも飲みながら過ごしましょう、というのは自分の思いでありました。10月26日から開催される教団総会で書記の任が解かれるので、後はのんびり過ごしましょう、と思っています。その私に、どんな御心が示されるのでしょうか。「みこころに適うこと」を祈りたいと願っています。横浜本牧教会の皆さんにありましても、「みこころに適うこと」を祈りつつ歩むことであります。礼拝をささげ、祈りを共にし、お交わりを深めていくこと、「みこころに適うこと」であります。
<祈祷>
御神様。主の十字架の救いを与えられ、この群れの一員として歩むことができ感謝致します。みこころに適う歩みをお導きください。主の名によりおささげします。アーメン。

説教「執り成しの祈り」

2010年10月3日 横須賀上町教会
聖霊降臨節第20主日

説教・「執り成しの祈り」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記32章7-14節、
マルコによる福音書14章43-52節


 横須賀上町教会は9月末で、今まで18年間、牧師として務めてまいりました森田裕明先生が退任され、今後しばらくは湯河原教会牧師の金子信一先生が代務者となり、歩むことになりました。代務者になりましても、金子先生は牧会する湯河原教会がありますので、毎週の礼拝で説教することはできません。そのため、何人かの牧師が講壇に立つことになりました。その最初の講壇に私がお招きをいただいたことは、関係というものをつくづくと示されるのであります。森田裕明先生は10月から横浜本牧教会の牧師に就任しました。その横浜本牧教会は今年3月で牧師が退任しました。それで後任の牧師が赴任するまで私が代務者として務めたのであります。4月から9月までの半年間でしたが横浜本牧教会の代務者、附属幼稚園の園長として留守番牧師の務めを果たしたのであります。
 私は今年の3月まで大塚平安教会の牧師として30年6ヶ月、務めてまいりました。森田裕明先生はその大塚平安教会の出身であります。森田先生との出会いはさらにさかのぼりまして、35年くらい前になります。その頃、私は宮城県の陸前古川教会の牧師でした。その教会に中学生であった森田先生が隣の町からバスに乗ってくるようになりました。中学生、高校生の頃、教会学校や教会の交わりの中で導かれていたのです。その後、私は大塚平安教会の牧師になりましたが、数年後に森田裕明先生が現れ、礼拝に出席されるようになり、洗礼を受け、そして神学校に行かれるようになったのであります。神学校を卒業した後は北海道の教会で牧会しましたが、その後こちらの教会に招かれまして今日まで牧会されたことは、とても大きな喜びでありました。こちらの教会としては残念なことですが、牧師は教会が変わりますと、また違った成長が導かれるものです。どうか、新しい歩みをされる森田裕明牧師、聖子さんの歩みをお祈りいただきたいとお願い致します。
 私はもともと横須賀の生まれであります。横須賀市浦郷町で生まれましたが、近くに追浜飛行場がありました。それは日本軍の飛行場でもありました。太平洋戦争のさなかであり、その辺は危ないと言うので、横浜市金沢区六浦に転居したのであります。4歳頃でありました。23歳で神学校に入り、寮生活そして教会の牧師になりましたので、六浦の家には住むことはありませんでしたが、大塚平安教会を退任した後は、再び六浦の家に住むようになりました。こちらの教会にはそれほど遠い距離ではなく、原則として月一回は横須賀上町教会の講壇に立つことを代務者の金子信一先生に伝えています。いつであったか、お招きを受けて礼拝説教をさせていただいたことがあります。大塚平安教会時代も教会の皆さんと共に、この横須賀上町教会をお祈りのうちに覚えさせていただきました。
 以上、自己紹介を含めてお話致しましたが、今朝この講壇に立たせていただく経緯でもありますが、神様のお導きと信じています。森田先生が、この教会を退任されたことの執り成しでもあるようです。今朝は「執り成しの祈り」を示されるのでありますが、人間関係において神様に執り成しのお祈りをささげるのであります。

 旧約聖書出エジプト記モーセが聖書の人々の罪に対し、審判を与えようとしている神様に執り成しのお祈りをささげています。聖書の人々はエジプトという国で奴隷でありました。苦しむこと400年と言われています。その奴隷の苦しみから救うために、神様はモーセという人を選び、その任にあたらせました。今朝の出エジプト記の前半は救いの出来事を記しています。モーセがエジプトの王様ファラオに対して、奴隷の人々を解放するように交渉しますが、王様は承諾しません。モーセは神様の力をいただき、エジプトに災害の審判を与えます。水が血に変わったり、いなごの大群、疫病、雹を降らせたりします。災害で苦しい時は、解放を承諾しますが、災害が無くなると心を翻し、再び過酷な労働を強いるのでありました。ついに最後の審判が降ります。エジプトにいる人々で最初に生まれた人は死ぬということであります。その審判により王様のファラオは解放を承諾します。聖書の人々はようやく奴隷から解放され、エジプトを脱出するのであります。
 エジプトを脱出した聖書の人々は三月目にシナイ山の麓に到着し、そこで宿営することになりました。シナイ山モーセがエジプトで苦しむ人々を救う使命を与えられた山でありました。そこでモーセは聖書の人々が奴隷から解放されたことを報告するためにシナイ山に登りました。シナイ山は2,285mの高さです。
 聖地旅行は致しましたが、エジプトに入り、シナイ半島をバスで行きます。そしてシナイ山に登るのですが、夜中の2時頃に出かけました。暗くてよく分からないのですが、麓からラクダに乗り、山道を登って行くのです。ラクダはすいすいと山道を登って行きました。最後は険しい道で歩かなければなりません。ついに山頂につきますが、まだ暗く、何も分かりません。しかし、周囲で話し声が聞こえます。かなりの人たちが既に山頂にいたのです。やがて東の空から太陽が出てきますと、またたく間に明るくなりました。赤い山々が見渡すことができました。そして下山は歩いておりました。こんな険しいところをラクダがすいすいと歩いてきたかと思うと、何かぞっとする思いでした。昼間でしたらラクダに乗っていても怖くて登れないと思いました。モーセが一歩一歩険しい道を登って行ったことが示されるのでした。
 モーセシナイ山に登ると神様は十戒を示されました。そして、戒めに関していろいろな示しを与えられたのであります。モーセシナイ山に登ったまま、なかなか降りてこないので、聖書の人々は不安になりました。今まではモーセという力強い指導者に従ってきたのです。今朝の聖書は出エジプト記32章7節からですが、1節以下にモーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、人々がアロンのもとに集まってきて、「さあ、我々に先だって進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」というのであります。アロンはモーセの兄ですが、モーセと共に出エジプトの働きをした人です。アロンは人々の要求を受けとめざるを得ませんでした。実際にモーセという指導者がいなくなってしまったからです。それにより金の子牛が造られました。つまり金の子牛がモーセに変わり、人々の先に立って進むことになったのであります。人々は金の子牛の前で踊り戯れたと記されています。
 そこで今朝の聖書になりますが、偶像礼拝を始めた聖書の人々に神様は怒りをあらわします。すぐに下山するようにモーセに言いました。偶像崇拝を行う人々に対し神様は審判の言葉を告げるのです。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼしつくし、あなたを大いなる民とする」と宣言されるのであります。それに対して、モーセは執り成しのお願いを致します。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼしつくすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思いなおしてください」と切なるお願いをするのであります。このモーセの切なる執り成しの祈りにより、「主は御自分の民にくだす、と告げられた災いを思いなおされた」と記されています。
 神様の御心を変えることはできないでありましょう。しかし、聖書はモーセの切なる執り成しの祈りこそ、神様の御心を変えることを示しているのであります。執り成しの祈りということではアブラハムの執り成しが示されます。アブラハムの甥のロトが住むソドムの町が悪に染まり、神様はこのソドムの町を滅ぼすことにしました。神様の御使いがソドムに赴く途上、アブラハムは神様の御使いを引き止めてもてなします。その時、神様の御使いはソドムの町は滅ぼされることを告げます。ソドムには甥のロトと家族がいますので、アブラハムは執り成しの願いを致します。「もし、そこに50人の正しい人がいたらどうしますか」と聞きます。50人の正しい人がいれば赦すと言われます。アブラハムは次第に少なくし、最後は「10人の正しい人がいたら」と問います。10人正しい人がいれば赦すと言われるのです。しかし、アブラハムの執り成しにも関わらず、ソドムには10人の正しい人がいなかったのです。結局、ソドムの町は滅ぼされてしまうのでした。
 聖書には執り成しの祈りがいろいろな状況の中で示されています。神様の審判を当然受けなければならないのですが、切なる執り成しの祈りをささげることにより、救いの道が開かれてくることを示しているのであります。

 執り成しの祈りをささげておられるのは主イエス・キリストであります。今朝の新約聖書はイエス様が裏切られ、逮捕されることが記されています。今朝はマルコによる福音書14章43節以下でありますが、前の部分32節以下に「ゲッセマネで祈る」イエス様が示されています。そこで、イエス様は、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように祈られています。そして、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたのであります。神様にすべてをゆだねておられるのです。この主イエス・キリストの姿が「執り成しの祈り」なのであります。主イエス・キリストの十字架は、人間の罪を贖うためであります。人間はどうしても自分で自分を救うことはできません。自分の中にある自己満足、他者排除を克服することができないのであります。そこで神様は主イエス・キリストを十字架で死ぬことを御心とされました。イエス様が十字架で血を流しつつ死ぬことにより、人間の奥深くにある罪なる姿をも滅ぼされたのであります。「御心に適うことが行われますように」との祈りこそ執り成しのお祈りでありました。
 今朝のマルコによる福音書には記されないのですが、ルカによる福音書にはイエス様がご自分を苦しめる人々の赦しを祈り求めています。23章34節、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないからです」と祈られました。十字架上のイエス様のお祈りなのです。この言葉は、のちに書き加えられたということですが、イエス様の祈りとして加えられているのであります。主イエス・キリストは十字架につけられて殺されました。それは、私たちの奥深くにある罪なる姿を贖うためであります。神様に執り成しの祈りとして十字架の道を歩まれたのであります。

 今朝は世界聖餐日であり、世界宣教の日として定められています。世界の人々が聖餐式与り、主イエス・キリストの執り成しの祈りをいただく日であります。実は私はこの世界聖餐日の日に洗礼を受けました。高校三年生であり、18歳の時でした。私は中学・高校生の頃、横浜の清水ヶ丘教会に通っていました。高校生のグループ、ぶどうの会があり、そこで信仰が導かれ、交わりが深められたのであります。その頃、以前こちらの牧師であった斎藤雄一先生が伊豆半島の宇佐美教会の牧師でした。斎藤先生も清水ヶ丘教会の出身でしたので、高校生の修養会を宇佐美教会で毎年のように開催していました。清水ヶ丘教会の青年会が葉山のレーシー館で修養会を開催しまして、高校生の私も参加しました。二人の姉が青年会の会員でもあったからです。海水浴のプログラムがあり、泳いでいるうちに、いつの間にか倉持芳雄牧師と一緒に泳いでいたのです。その時、今まで心にあった気持ち、洗礼を受けたいという気持ちが、自然に口からでできたのです。泳ぎながら、倉持牧師は喜んでくれました。この洗礼志願告白が倉持牧師の強烈な印象になったようです。洗礼式の当日の説教で、泳ぎながらの洗礼志願告白を皆さんに紹介していました。私たちの婚約式、また結婚式におきましても、海上洗礼志願告白を皆さんにお話するのでした。
 海からの出発という印象があります。私たちが結婚した時、先輩の牧師が祝電を送ってくれました。「レントのさなか船出する。主の働き人に幸多かれと祈る」というものでした。私は41年間6ヶ月牧師として務めてまいりましたが、牧師の祈りは常に「執り成しの祈り」でなければなりませんでした。まさに荒海であり、あるいは緩やかな波もあり、いろいろな波の上を教会の皆さまと共に、執り成しの祈りをささげながら歩んで来たのであります。10月からは無任所教師でありますが、教会に所属しなくなっても、今まで出あつた人々をお祈りする務めがあるのです。
 今朝は「世界宣教の日」であります。昨年、プロテスタント伝道150周年をお祝いしました。超教派の集いがパシフィコ横浜の大講堂で開催されました。150年前に諸外国宣教師たちがプロテスタントキリスト教を宣べ伝えたのであります。今、私たちはその恵みの上にいるのです。宣教師たちの執り成しの祈りがあって、今日のプロテスタント教会が存立しているのであります。日本基督教団は世界宣教委員会を通して約20名の宣教師を海外に派遣しています。それらの日本の宣教師たちも現地で執り成しの祈りをささげているのであります。私達は主イエス・キリストの十字架の救いを人々に示し、世界のため、日本のため、社会のため、家族のために執り成しの祈りをささげていくのであります。すなわち、伝道すること、イエス様の福音を人々に示すことが執り成しの祈りなのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様のお執り成しで救いに与りました。私達も人々のために執り成しの祈りをささげることができますようお導きください。主の名により。アーメン。

説教「神に従う道」

2010年10月10日 
聖霊降臨節第21主日

説教・「神に従う道」、鈴木伸治牧師
聖書・ダニエル書3章13-26節、使徒言行録5章27-42節
マルコによる福音書14章53-65節


 今回の説教は、今回ばかりではなく、今後でありますが、教会の講壇に立っての説教ではありません。10月10日の聖書日課として御言葉に向かう説教であります。本来、説教は会衆がおられ、会衆に向けての御言葉の解き明かしであります。その中でも、御言葉に向かいつつも、一人の方を示されており、その方へのメッセージとして取り次ぐこともあるのです。あるいは教会の全体的な示しとして取り次ぐこともあるのです。そうでありますから、会衆に向けてではない御言葉の解き明かしになりますが、私の中にはさまざまな皆さんが示されているのです。直接それらの皆さんに御言葉の取り次ぎをするのではありませんが、皆さんを心に示されながら御言葉に向かうということです。私に示されている皆さんは大塚平安教会の皆さんであり、横浜本牧教会の皆さんであり、清水ヶ丘教会の皆さん、青山教会の皆さん、陸前古川教会の皆さん、登米教会の皆さん、バルセロナで羊子と出会った皆さん、その他の出会いの皆さんです。ネットに載せるので、どなたかが説教を受けとめてくださると存じます。そのような姿勢で、無任所教師となりましたが、これからも日本基督教団の日曜日の聖書日課により、御言葉に向かいたいと思います。
 10月を歩んでいますが、いろいろと思い出がある月でもあります。何よりも私が洗礼を受けたのは10月の第一日曜日、世界聖餐日の礼拝でありました。このことにつきましては前週10月3日、横須賀上町教会の礼拝説教でお話していますので、ブログで参照してください。この10月はお二人の召天された方を心に示されるのであります。お一人は伊藤雪子さんです。伊藤雪子さんは2000年10月3日に召天されました。85歳のお誕生日をお祝いして、お子さんたちとニューカレドニアに行かれ、楽しまれている最中に召天されたのでした。77歳で教会に出席されました。ご子息が教会員でありました。それまでのご苦労を担いつつ礼拝に出席されるようになり、翌年には洗礼を受けられました。ピアニストでありましたので、以後、教会学校の礼拝で奏楽のご奉仕をされていました。77年間の人生を振り返りつつ、きっぱりと「神さまに従う道」に切り替えられたのであります。召天されるまでの8年間は、まさに祝福の歩みであったと示されています。
 もう一人の方は佐竹正道さんです。2002年10月7日、73歳で召天されました。お誕生日が5月10日であり、私の誕生日と同じで親しみを持っていました。佐竹さんは祖父の佐竹音次郎さんが社会福祉施設児童養護施設を開設され、利用者の皆さんと共に歩まれました。そしてご自身も1961年から10年間、社会福祉法人綾瀬ホームの園長として働かれました。その後は綾瀬町の町長に就任されました。そして1979年から社会福祉法人さがみ野ホーム園長に就任されます。1991年には神奈川県県議会議員になられ、広く活躍されました。何よりも信仰に生きることであり、7人のお子さんたちには、「牧師先生の説教は神様の声として聞きなさい」と諭されていたのであります。感銘深い歌を残されていますので、いくつかを紹介しておきましょう。「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」、「あの方の感謝の祈りにリズムあり 主の祈りの如詩編読む如」、「この週も悔い改めの数多き 説教聞きつつ悔いつ祈りつ」等の歌は心に示されるのでありました。神様に従う道、「正道」を貫かれたのであります
 神様に従う道を歩む、と一口で言いますが、日々の歩みはまさに祈りつつ歩む日々なのです。私たちは神様にしっかりと向き合い、祈りつつ歩むことです。神様に従う道として、しっかりと踏みしめた聖書の人々を示されましょう。

 旧約聖書はダニエル書3章です。ダニエル書は困難な状況の中でも、神様に従う道を歩み、信仰の勝利者を示されるのです。ダニエル書の前半1-6章は、ダニエルを中心とした物語です。時代的な背景は聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンの空の下で生きることになった時代です。青年ダニエルは3人の友人と共にバビロンに移されました。青年たちは神様の恵みにより、知識と理解力に富み、バビロンの王様に仕えることになりました。今朝の聖書はダニエルではなく、3人の友人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の証しです。この3人について王様に密告をする者がいました。「御命令によりますと、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえたなら、だれでも金の像にひれ伏して拝め、と言うことでした。そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです。バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々はご命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません」と言いつけるのです。そこで今朝の聖書になりますが、「これを聞いたネブカドネァアル王は怒りに燃え、
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れてくるように命じ、この三人は王の前に引き出された」のであります。
 王様は3人に改めて金の像を拝むよう命じます。しかし、拝まないなら直ちに燃え盛る炉に投げ込ませるというのでした。それに対して3人は、「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知下さい。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決して致しません」と答えたのであります。王様は血相を変えて怒り、彼らを燃え盛る炉に投げ込ませたのであります。炉はいつもの七倍も熱く燃やすよう命じたのであります。炉が激しく燃え上がり、3人を炉に連れて行った者が焼け死ぬのであります。
 しかし、王様は驚きの声をあげました。王様は縛ったまま炉に投げ込んだ3人の少年たちが、火の中で自由に歩いている姿を見るのです。王様が炉の中にいる3人に、「いと高き神に仕える人々よ、出てきなさい」と呼びかけます。彼らは体のどこも損なわれておらず、上着も元のままでした。この時、王様は、「彼らの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神により頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうとしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。彼らの神をののしる者がれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことができる神はほかにはない」と言うのでした。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の勝利をダニエル書は示しているのです。
 ダニエル書は、聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連れて行かれたことが時代背景になっています。バビロンに捕囚となるのは紀元前587年であり、538年にはバビロンが衰退し、ペルシャによって捕囚が解かれることになります。しかし、ダニエル書が書かれたのは紀元前164年頃であります。つまり、その時代において信仰を持って生きることが困難な状況であり、迫害に苦しむ人々を励ますために、バビロン捕囚を背景にダニエル書が書かれているのです。実際に迫害の中で信仰を持って生きる人々への励ましであり、導きであるのです。「神に従う道」は必ず祝福へと導かれるということであります。

 どのような苦しみがあり、迫害があっても、神様を仰ぎ見つつ歩むことを示されておられるのは主イエス・キリストであります。教団の聖書日課は主イエス・キリストが十字架への道を一歩一歩踏みしめて進んでおられることを、毎週の聖書で示されています。本来、イエス様のご受難の聖書は春に迎える四旬節、レント、受難節で示されるのですが、今の示しになっています。イエス様はご自分のご受難を3度も予告しました。そして、ご受難へと進んで行かれるのでありました。過越しの食事をして、聖餐式を示されました。お弟子さん達の離反をも指摘されています。ゲッセマネではご自分の気持ちを願いながらも、神様に委ねておられます。そして、裏切られ、逮捕されるのであります。今朝の聖書は逮捕されたイエス様が最高法院で裁判を受けている示しであります。最高法院とは議会でありますが、ユダヤ教の社会の中で指導的な立場の人が議員になっていました。指導的な立場とは祭司、長老、律法学者、ファリサイ派サドカイ派の人々でありました。人々は主イエス・キリストに対し不利な偽証を次々に申し立てるのです。しかし、それに対してイエス様は反論することもなく、黙っていました。大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言いますと、イエス様「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と言われたのでした。大祭司は衣を裂きながら、神を冒涜する言葉であると断言します。それにより、最高法院は死刑の判決を下すのであります。しかし、最高法院が死刑の判決を下しても執行することはできません。ユダヤの国はローマの支配下にあり、全権を委ねられているローマの総督の判断が必要なのであります。それはこの後、マルコによる福音書は15章からになります。総督ピラトの尋問を受け、死刑の判決を受け、十字架につけられるのでありますが、教団の聖書日課は今朝の聖書でイエス様のご受難は終わりとなります。この後は春の四旬節、レントになって示されるのでしょう。
 私たちは主イエス・キリストのご受難をしっかり受け止めなければなりません。ダニエル書で示されましたように、神様のお導きにすべてを委ねることであります。イエス様はご自分の気持ち、願いを持ちながらも神様に委ねておられるのです。そして、十字架への道を歩むことが、神様の御心であることを受けとめ、人間の救いの基となることを知っておられたのであります。「神に従う道」は私の知らない道です。この道を歩むことで、どのようになるのか未知の世界です。ただ、神様の御心に従うことが、その道を歩むということなのであります。そして、神様のお示しになる道を歩むことが、祝福の人生であり、永遠の神の国、永遠の生命へと導かれるということであります。この世の苦しみがあるとしても、救いに至る順序として受けとめつつ歩むことです。
 使徒言行録5章27節以下では使徒たちの信仰の証しを示しています。使徒たちは主イエス・キリストの証しを人々に示していました。それに対して時の社会の指導者たちが、使徒たちの働きを妨害したのです。使徒たちも最高法院で裁かれることになりました。大祭司が尋問します。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか」との尋問に対して、ペトロと他の使徒たちは「人間に従うよりも、神に従わなければなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」と証しするのです。これを聞いた人々は使徒たちを殺そうとします。しかし、指導者のガマリエルと言う人が、過去の例をあげ、「邪教なら自然に消滅する。しかし、真実なら神に逆らうことになる」と人々を説得するのです。これにより釈放されるのですが、ペトロや使徒たちはなおもイエス様の福音を人々に示していくのであります。神様に従う道を示し、救いを与えたのであります。迫害や困難がありましたが、永遠の祝福を信じて神様の道を歩み続けたのであります。

 2010年のノーベル平和賞が発表されました。中国の民主化運動を推進した劉暁波(りゅう・ぎょうは)さんです。一党独裁体制の廃止などを求めた「08憲章」の起草者であります。今は国家により牢獄に入れられています。中国にとって不都合な人物です。劉暁波さんは中国の一党独裁を批判し、一人一人の人権の自由を叫んでいるのです。これは中国にとって一党による支配ですから、危険極まりない思想です。しかし、これこそ平和の根源です。一人の存在が国の考えで拘束されるのは、一人の人権が損なわれているのであり、一人の人間として神様の道を歩むことを阻止されることになるのです。
 一党独裁は他の国でも見られています。歴史においてはローマの国が、皇帝は神だとし、拝むよう求めました。主イエス・キリストの救いを信じる人々は抵抗し、決して人間を拝むことがなかったのです。それに対して迫害があり、苦しみの中で死んで行くのです。最近、再び「クォ・ヴァディス」をDVDで鑑賞しました。ネロ皇帝によるキリスト教迫害が悲惨に描かれています。ネロが驚くのは、ライオンにかみ殺されたキリスト者達の死に顔が、皆笑っているということでした。笑って死ぬのか、と驚きの声を上げる場面があります。信仰の勝利者と言うことであります。日本におきましても、太平洋戦争時代、天皇を神として拝むよう求めたのであります。しかし、キリスト教の人々は拝みませんでした。それらの人たちが迫害を受け、多くの人たちが獄死したのであります。しかし、やむなく拝まなければなりませんでした。日本基督教団の歴史においても、戦争に協力し、アジアの人々にも協力を求め宮城遥拝を求めたのであります。日本基督教団は過去において戦争に協力したことを深く悔い改め戦争責任告白を公にしました。「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を1967年鈴木正久議長名で出しました。日本基督教団の名において公にできなかったことも問題が残されているのです。
 「神様に従う道」は主イエス・キリストの十字架の救いを信じ、喜びと希望を持って歩むことであります。途上の諸問題はイエス様が共に担ってくださるのです。
<祈祷>
聖なる神様。日々の歩みを十字架のイエス様がお導き下さり感謝します。永遠の生命を目指して、信仰を深めて歩ませてください。主イエス・キリストの御名により、アーメン。