説教「生涯のささげもの」

2010年9月5日 横浜本牧教会
聖霊降臨節第16主日

説教・「生涯のささげもの」、鈴木伸治牧師
聖書・列王記上21章1-16節、ガラテヤの信徒への手紙1章6-10節
マルコによる福音書12章41-44節


 暑い8月が終わりましたが、9月に入っても暑さは続いています。早苗幼稚園は前週の3日から始まりました。今週から二学期の園生活になるのですが、暑さが続くので三日間は半日にすることにしました。なるべく早く帰り、家で過ごしてもらいたいのです。幼稚園の教室にはエアコンが設置されていますが、締め切っている訳ではなく、いつも開放されていますので、エアコンの効力がないというわけです。
 暑さの中で暑中見舞いをいただいていますが、その中に訓盲院からのお見舞状がありました。訓盲院は今村さんのご親類の方が担っておられ、横浜本牧教会もお祈りに覚えていることであります。訓盲院は大塚平安教会に在任していたときから、そのお働きを覚えさせて頂いておりました。大塚平安教会は附属のドレーパー記念幼稚園を運営していました。このドレーパー記念幼稚園は、ミス・ウィニフレッド・ドレーパーさんのお名前をいただきました。お父さんのギデオン・ドレーパー宣教師が昔の蓬莱町教会に関わりながら、綾瀬方面に伝道にやってまいりました。農村の社会で農民福音学校を開設したりして伝道したのであります。ドレーパー宣教師と一緒にやってきたのが娘のウィニフレッド・ドレーパー先生でした。その頃の綾瀬は養蚕農家が主流でありました。親が養蚕で忙しい時は、子ども達は所在なく過ごしていたのであります。ドレーパー先生はそういう子供たちを集めて託児所を開きました。親の忙しい時だけ開く季節託児所でありました。数年後にはドレーパー宣教師一家はアメリカに帰国しますが、季節託児所は大塚平安教会が担うようになり、その後幼稚園を設立するにあたり、ドレーパー先生の子供たちへの取り組みを基としましたので、ドレーパー記念幼稚園と命名したのであります。そのミス・ウィニフレッド・ドレーパー先生のお母さんが訓盲院を設立したとうかがっています。そのような関わりがありますので、ドレーパー記念幼稚園も大塚平安教会もいつも訓盲院を覚えさせていただいていました。
 その訓盲院を覚えるということで、私は神様の不思議な導きを示されています。私が二十歳の頃だと思いますが、盲人が必要な点字の世界を知りました。日本点字図書館が点字の通信教育をしていましたので、私も受講することになり、勉強することとなりました。時々、日本点字図書館から募金の依頼がありましたが、23歳で日本聖書神学校に入りましたので、点字の勉強も途中で終わってしまい、募金については両親に託したのであります。募金を私から託された両親は、年に一度募金の依頼にこたえて献金していたようです。両親が年をとり、献金ができなくなった後は、姉が続けて献金していました。そして姉が亡くなりまして、日本点字図書館から募金依頼があったとき、姉が亡くなったので、これからは私が献金しますと書いて送りました。すると点字図書館から、「鈴木さんのお宅からはご両親様、姉上様、そして弟さんに引き継がれて、今年で45年を経ております。長年のご支援をありがとうございます」とのお手紙をいただいたのであります。私はその時、初めて知りました。日本点字図書館からの募金依頼を両親に託しましたが、もう忘れていたのであります。両親が毎年献金し、姉が引き継ぎ、そして私が引き継いでいるのでありますが、もう50年以上は、わずかではありますが献金させていただいております。
 大塚平安教会牧師に就任し、ドレーパー記念幼稚園園長に就任し、そこで訓盲院を覚えることができ、さらにこの横浜本牧教会の代務者となったとき、訓盲院を身近に示されるようになりました。私は直接には盲人の皆さんとの触れ合いはありませんが、私の生涯の祈りとして示されているのであります。

 私に与えられた示しを生涯にわたり担い、祈っていくこと、今朝は聖書の示しをいただいています。旧約聖書は列王記上21章であります。「ナボトのぶどう畑」の物語が記されています。ナボトはイズレエルの土地にぶどう畑を持っていました。ぶどう畑はサマリアのアハブ王の宮殿のそばにありました。アハブ王はナボトに「お前のぶどう畑を譲ってくれ。わたしの宮殿のすぐ隣にあるので、それをわたしの菜園にしたい。その代わり、お前にはもっと良いぶどう畑を与えよう。もし望むなら、それに相当する代金を銀で支払ってもよい」と頼むのであります。それに対してナボトはアハブ王に、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と答えたのであります。アハブ王は、このナボトの言葉にすごすごと引き下がりました。王様なのだから、自分の権威でナボトの畑を自由にすることができると思われます。実際アハブ王の妻イゼベルは、アハブ王の弱気な姿勢を嘲るかの如く、王の名においてナボトをならず者によって殺させ、ナボトの畑をアハブ王のものにしてしまいます。それは聖書に記される通りであります。アハブ王がナボトの言い分を聞いて、すごすごと引き下がったのはアハブ王もナボトの言い分をよく理解していたからであります。すなわちナボトが述べた「嗣業の土地」ということであります。
「嗣業」とはもともと賜物と言う意味でありますが、神様によって与えられる土地を意味するようになりました。アブラハムに神様の召しが与えられた時、嗣業としての土地を与えるということであります。そして、モーセの時代に奴隷の国エジプトから脱出し、カナンの土地に入っていきますが、そこで得た土地がイスラエルの12部族の嗣業の土地になりました。そして、部族から個人の嗣業になっていったのであります。嗣業は神様の恵みによって与えられた土地であり、その土地を通して祝福の歩みが導かれることなのであります。嗣業の土地は大切なものであり、人に売ったり、関係ない人が相続することは許されないことでありました。このような嗣業の意味は、聖書の人々自身が神様の嗣業であると信じられるようになったのであります。従って、神様の嗣業でありますから、与えられた十戒を守り、正しく生きることが嗣業としての人々なのであります。
アハブ王とイゼベルの行為は許されざることでありました。神様は神の人エリアを通して、アハブに対する審判を告げます。アハブ王は自分したことは悪いことであることを知っていましたから、エリアの言葉を聞くと、すぐさま悔い改めを行います。アハブ王はエリアの審判の言葉を聞くと、「衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、打ちひしがれて歩いた」と21章27節以下に記されています。神様はアハブの悔い改めを受けとめ、アハブ王の命を長らえさせたのでありました。嗣業に対するアハブ王の姿勢も示されているのであります。神様の恵み、賜物は大切であり、生涯の恵みとし、嗣業を通して神様を仰ぎ見ることなのであります。

 嗣業には賜物という意味がありますが、新約聖書ではタラントンのたとえ話があります。主イエス・キリストの示しであります。ある人が旅に出かけるにあたり、僕たちに持っている財産を預けます。ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントンを預けます。預けられた人は商売をし、陪の利益を得るのであります。主人が帰ってきて預けた財産の清算をした時、陪にした人たちは褒められました。しかし、何もしないで地面に隠しておいた人は叱られたというのです。タラントンは神様が人々に与えている賜物であり、その賜物を通して神様の祝福に与ることであります。タラントンは嗣業でもあるのです。十分に与えられた嗣業を用いるということなのであります。
 そこで新約聖書の示しは「やもめの献金」であります。イエス様は神殿で、人々がささげものをするのをご覧になっています。大勢の金持ちが沢山のささげものをしていました。そこに一人の女性がやってきました。この人はレプトン銅貨二枚をささげたと言われます。レプトン銅貨は最も低いお金であります。1デナリオンの128分の1と言われます。1デナリオンは一日の日当と考えられています。イエス様は弟子たちに言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもた