説教「主に従う人々」

2023年7月23日、六浦谷間の集会

聖霊降臨節第9主日

                      

説教・「主に従う人々」、鈴木伸治牧師

聖書・ ヨシュア記2章8-14節

   フィリピの信徒への手紙4章1-9節

   ルカによる福音書8章1-3節

賛美・(説教前) 讃美歌21・360「人の目には」

   (説教後) 讃美歌21・404「あまつましみず」

 前週の日曜日は、こちらの地域はお祭りでありました。数年前は隣組班長という役目があり、お祭りの接待をしなければなりませんでした。前日は提灯行列が来ると言うので、接待に駆り出されました。役員の人たちはいろいろなご馳走を作って、提灯行列の人達の接待をするのです。行列と言っても、20人にも満たない年配の婦人たちで、提灯を持って各地域を周ることでした。そして、翌日はこの地域にも神輿がやって来たり、山車がやって来たりしました。それらの人達に休んでもらうため、接待をするのです。お勤めはそれだけで、後の協力はありませんでした。それでも接待の後片付けやらで、結構時間を要しました。その時の役目以外は、お祭りと言っても、どちらかと言えば傍観者でもあります。日曜日でしたから六浦谷間の集会の礼拝をささげた他は、家の中でのんびりとしていました。例年ですと、近所まで子供神輿が回ってきていましたが、今年は暑さのためか来なかったようです。以前はこのようなお祭りに対して、もちろん傍観的に受け止めていました。今でも傍観的ですが、日本の民族的な行事として受け止めるようになっています。地域の活性化のためにお祭りが行われ、盆踊りがあるのでしょう。ここで宗教の行事だと言う訳にもいかないのです。ですから今は、地域の行事であると受け止めているのです。そのような思いに変えられていますが、バルセロナ生活を通算で約半年していますので、滞在中、いろいろなイベントを経験しました。背景にあるのはキリスト教であります。キリスト教の聖人に関わるお祭りがあり、記念にご馳走を食べ、楽しく過ごすこと、人間の素朴な姿であると思うようになっています。そのように思いますと、日本には様々なイベントがあり、むしろそれらを楽しみつつ過ごすことなのです。

 偉大な存在に関わること、祭りのような形になりますが、個人的にも偉大な存在に尽くす姿勢があるのです。今朝の聖書は偉大な存在、イエス様に対して多くの婦人たちがイエス様に従うことが示されています。

 本日は「女性の働き」として、特に信仰における「女性の働き」を示されようとしています。しかし今の時代、女性の働きは、この社会の中で普通になっています。日本でもいろいろな場において女性が進出しており、改めて「女性の働き」をとり上げなくても良いのです。しかし、日本においてはまだまだ女性の働き場が少ないとされています。国会議員の中には女性が少ないと言われています。国会ばかりではなく、社会全体の中で、女性が遅れをとっている日本の現状の様です。しかし、散歩していると、女性の郵便配達の人がバイクに乗っている姿を見ますし、タクシー運転手も結構女性ドライバーを見かけます。電車の運転手さんも女性の進出を見かけています。いろいろな状況に女性が活躍しているのです。

 旧約聖書ヨシュア記であります。聖書の人々は400年間、エジプトの国で奴隷の苦しみを生きてきました。神様はモーセを立てて奴隷の人々を解放したのであります。モーセに率いられて神様の約束の土地、乳と蜜の流れる土地を前にして、モーセの使命は終わり、若き指導者ヨシュアに委ねられたのであります。ヨシュアに率いられて約束の土地を進むうちにも、エリコの町を通過しなければならないのです。それでヨシュアは二人の斥候によりエリコの町を探らせるのでした。聖書の時代も、絶えず戦いがあります。町を皆殺しにするという、残酷なことも記されています。それを聖戦というのですから、理解に苦しむわけです。しかし、この時代は生き残ることが目的ですから、立ちはだかる存在を退けなければならないのです。生き残るために神様の御心が示されるのでした。

 二人の斥候がエリコの町に入ったことは、エリコの指導者達に伝わります。二人の斥候は遊女と言われるラハブの家に入ります。ラハブは斥候がイスラエル人であることを知っていました。そして、ラハブは神様がイスラエル人を導き、奴隷から解放し、紅海の奇跡を通して海を渡らせ、通過する民族との戦いに勝利したことを知っていました。従って、神様はこのエリコの町をもイスラエル人に渡されると思っていたのです。そのため、斥候をかくまい、探しに来たエリコの兵隊に偽りを述べて、二人の斥候を助けたのでした。その後、イスラエル人はこのエリコを攻め落とすのですが、ラハブと親族は助けられたのです。ラハブが二人の斥候をかくまい、エリコの兵隊をやり過ごし、二人を逃がしたことは、神様の御心に仕えたということになるのであります。神様の御心に仕えたということになります。その仕える生き方が神様に祝福されます。ラハブはイスラエル人のサルモンと結婚し、ボアズを産みます。ボアズはルツと結婚します。つまり人間的に言えばイエス様の家系の一員に加えられたということです。ラハブもルツも外国人ですが、イエス様の家系の一人なのです。いずれも女性たちは神様の御心に仕えたからであります。

 ヨーロッパの現地人、ゲルマン人ガリア人を征服しつつローマの支配を広げて行ったのはユリウス・カエサルでした。ローマはもともと共和制であり、一人の支配者ということではありませんでした。従って、カエサルは皇帝ではなかったのです。しかし、カエサルは共和制ではなく、皇帝としての支配を求めていたのです。道半ばにしてカエサルは暗殺されてしまいますが、後継者になったのがアウグストゥスでした。アウグストゥスの時代も共和制でありましたが、次第に皇帝としての位置付けを持つようになるのです。このアウグストゥスが初代の皇帝になったということです。「アウグストゥスは全世界の救い主」とまで言われ、「アウグストゥスの平和」とまで言われたのです。このアウグストゥスの時代に主イエス・キリストが現れたことをルカによる福音書は証言しています。アウグストゥスが救い主であり、平和の根源として人々から言われている中で、真の救い主、真の平和の根源として主イエス・キリストの出現を聖書は証しているということです。そのアウグストゥスは紀元14年に死にます。そして第二代の皇帝としてティベリウスが就任します。イエス様は33歳で十字架にかけられるのですが、このティベリウスの時代でありました。ユダヤの国はこの後、ローマに対して反旗をかかげるようになり、紀元70年に滅ぼされることになります。アウグストゥスの救い主とイエス様の救い主を、象徴的にルカによる福音書は示しているということです。

 今朝のルカによる福音書は、イエス様が「神の国」を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けておられることが記されています。そして、イエス様には多くの女性たちも従い、自分達の持ち物を出し合って奉仕したことが記されています。ルカによる福音書8章1節に、「すぐその後」と記されていますが、「その」とは前の段落で、一人の女性がイエス様によって祝福されたことです。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と女性を祝福したのです。この女性はイエス様に救いを求め、全身でイエス様に近づいたのです。

この福音を携えて町や村を巡っておられる主イエス・キリストに多くの婦人たちが従い、奉仕していたのです。イエス様によって悪霊を追い出していただいた婦人たちだとも言われます。悪霊に悩まされるということは病気でもありました。病気が癒されてイエス様に従っていたのです。マグダラのマリアが、今朝の聖書の前に記されている「罪深い女性」であるかは定かではありません。ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナであり、他の女性たちでした。この女性たちはイエス様の「神の国」の福音の奉仕者として働いた人たちですが、最後までイエス様に従っているのです。主イエス・キリストが十字架に架けられた時、そのイエス様を悲しみつつ見守っていたのです。そして、ルカによる福音書は、イエス様のご復活を最初に知ったのはこの女性たちであると報告しています。イエス様が墓に納められ、三日目に女性たちはお墓参りに行くのです。するとイエス様は復活されており、女性たちは空の墓を確認してお弟子さん達に知らせたのでした。イエス様に最後まで従い、奉仕した女性たちが祝福されたと報告されているのです。神様の御心に委ねたラハブが祝福されたように、御心を信じて従った婦人たちの祝福を証しているのです。

 日本の教会は、多くの場合、女性が多く、婦人会の活動が盛んです。大塚平安教会に招かれて1979年9月に就任しました。宮城から車で家族5人がやってきましたが、教会の玄関を入ると婦人会の皆さんが出迎えてくれました。早速、お茶をいただきながら歓迎会が行われました。その後、皆さんが、既に引っ越しの荷物が届いていますので、それらを紐解いて片付け、整理をしてくれたのです。一人の方は私の蔵書を整理して書棚に収納してくれました。その方は本屋さんにお務めで、本の整理は慣れているので、その奉仕をしてくれたのです。その後、教会の皆さんと共に信仰の歩みが導かれますが、思い出されるのは婦人会の皆さんの奉仕でした。礼拝堂のベンチの座布団作りは迫力がありました。この作業は幼稚園のホールで行われました。礼拝堂を暗くするための暗幕作りも印象深く残っています。教会の歩みを思い出すと、いつも婦人会の働きを思いだしています。もちろん壮年会や青年会の皆さんの奉仕もあります。

教会は皆さんの奉仕によって、歩みが導かれているのです。主イエス・キリストの十字架の救いが、奉仕の原点になっているのです。

<祈祷>

聖なる神様。十字架の救いにより主の働き人に導かれていますこと感謝いたします。御国を建設させてください。キリストの御名により、アーメン。

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