説教「喜びの出来事」

2022年12月25日、六浦谷間の集会

降誕節第1主日

                      

説教・「喜びの出来事」鈴木伸治牧師

聖書・ミカ書5章1-3節

   テトスへの手紙2章11-15節

   ルカによる福音書2章1-20節

賛美・(説教前)讃美歌21・259「いそぎきたれ、主にある民」

   (説教後)讃美歌21・264「きよしこの夜」

 

 今朝はいよいよクリスマスを迎えています。主イエス・キリストが出現したというこの日をお祝いしたいと思います。この世に現れたイエス・キリストでありますが、聖書により示されることは、人間の原罪を滅ぼされるために現れたのでした。人間の原罪とは、もって生まれた自己満足、他者排除の生き方です。人間の原罪については、聖書の旧約聖書、創生記で示されています。神様は人間をお造りになり、エデンの園に住まわせられます。アダムさんとエバさんです。彼らは何をしても、何を食べても良いのですが、神様は一つだけ約束を与えたのでした、それは、エデンの園の中央の木の実を食べてはならないということでした。彼らは、言われるままに過ごしていたのですが、蛇なる存在が彼らを誘惑するのです。「本当に神さまは食べてはいけないと言ったのか」と言うのです。言われてみると気になるものです。その木を見ると、「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなる」ように見えたのでした。そこで彼らはその木の実を食べてしまうのです。神様との約束がありましたが、自分の欲望を満足するために実行するのでした。それが原罪であると聖書は示しているのです。自己満足のために他者を排除すること、人間の根本的な姿なのです。この原罪があるゆえに、人間の争いが生まれてくるのです。人間として平等に生きられないのです。

 このような人間に対して、神様は預言者や指導者を送って修正しようとしますが、どうしても原罪はなくならないのでした。そこで神さまはイエス・キリストを通して人間を救われたのでした。それは十字架を通しての救いです。イエス・キリストは当時の社会の指導者たちの妬みにより十字架に架けられるのですが、神様は救いの原点とされたのでした。イエス様の死と共に人間の自己満足を滅ぼされたのでした。従って、私たちは十字架を見上げる時、イエス様が私の自己満足を滅ぼされたと信じることにより、救いの人生が導かれるのです。このような救い主イエス様がお生まれになったと言われるクリスマスを心からお祝いしたいのであります。

 今朝は「喜びの出来事」を示されるのですが、まず旧約聖書のミカ書より示されています。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている」と預言者ミカが示しています。人々が神様の御心から離れて生きていることに対するミカの導きであります。ミカ自身が貧しい農民であったと思われます。従って、都会の富裕な者たちが、貧しい農民から搾取することに激しく批判するのであります。ミカ書3章5節、「彼らは歯で何かをかんでいるあいだは平和を告げるが、その口に何も与えない人には戦争を宣言する」と示しています。人から何かを取ることができれば機嫌が良いが、何も取ることができなければいじめにかかる、というのです。こうした社会の不正に対して、ミカは神様の御心を力強く示します。すなわち、歴史を回顧すれば、すべては神様の導きであり、恵みの歴史であるということです。そして、今や神様の御心の指導者が現れることを示しているのです。ミカは神様の御心から離れてしまっている人々に、御心に立ちかえることを示すのです。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」と示します。自分の思いや力ではなく、へりくだって神様と共に歩むことであります。へりくだって神様と共に生きるとき、私達のなすべき歩みが示されてくるのです。「これ」とは「正義を行い、慈しみを愛する」ことなのであります。私たちは「これ」を持って生きなければならないのであります。「これ」をもって生きるときに、この地上が平和へと導かれていくのであります。神様が与える指導者に従いなさいと示しているのです。

 日本キリスト教海外医療協力会と言う働きがあります。そこで総主事をされておられる方から「総主事通信」をパソコンに送っていただき、読ませていただいていました。その総主事通信を読むことで、私は日本キリスト教海外医療協力会の認識を改めさせられたのであります。大変浅い認識で申し訳ないとの思いを深めています。その日本キリスト教海外医療協力会は古切手を集め、それをお金に換え、そして薬代とし、海外で医療活動を行っている、という認識でした。確かに医療活動を行っていますが、貧しく生きる人々と共に歩んでいるのです。学校に行くことのできない子ども達、それらの子供たちは古紙を集めてはお金にしていると言われます。また、女性達の問題があり、ワーカーと言われる人たちが指導し、共に歩もうとしているのです。日本キリスト教海外医療協力会がそれらの人々と連絡を取りつつ、海外医療と人間の諸問題にかかわっているということを示されたのであります。ミカが示す「これ」を持って生きる人々であります。すなわち、「正義を愛し、慈しみを愛する」者として導かれなければならないのであります。これらの人々はイエス様の導きをいただいて働いているのです。

「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」ので、ヨセフさんもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行きました。身ごもっていたいいなずけのマリアさんと一緒に登録するためでありました。ベツレヘムの町は住民登録をするために各地から集まっていたので、宿屋さんは何処も満員であったということです。そこで、ある宿屋さんの馬小屋で過ごすことになります。そして、その馬小屋でマリアさんは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせたのでありました。ここにルカによる福音書のメッセージがあります。イエス・キリストが産まれたのは、立派な御殿ではもちろんありません。普通の家でもありません。人間の住むところではない場所、馬小屋という場所でした。そこは馬の出し入れ以外は人が行き来しない場所であります。しかし、だれもがいける場所でもあるのです。しかも、飼い葉桶に寝かされたということにも、ルカの深いメッセージがありました。飼い葉桶のメッセージはすでに示されています。すなわち、飼い葉桶は動物の食べる器であります。そこにイエス様がおられるということは、イエス様が神様の糧を私たちに与えるということでした。事実、イエス様は神様のお心、そして命のパンを人々に与えられたのであります。今こそ、ここに神様が共におられるのですよと示しているのです。

 ルカによる福音書は、お告げを羊飼い達に示したのでありました。野宿する羊飼い達は、家に帰ることができません。羊を養っての人生であり、人々からは忘れられているような存在でありました。暖かい温もりのある生活は望めないような状況でもあります。あなたは悲哀に生きているのですか、苦しんで日々歩んでいるのですか、孤独にさいなまされているのですか、そのあなたのために平和の神様が導きを与えられているのですよ、とルカによる福音書は、昔から預言されている祝福の喜びを示し、さらに喜びが発展していくことを示しているのです。

 ルカによる福音書は、他の福音書には記されない人間の悲哀を記しています。一つはルカによる福音書7章11節以下の「やもめの息子を生き返らせる」出来事です。ナインの町で、一人息子を亡くした母親が、悲しみつつ棺と共に歩いています。イエス様は哀れに思われ、「もう泣かなくても良いですよ」と言い、息子を生き返らせるのであります。そのとき人々は、「神はその民を心にかけてくださった」と言い、神様を賛美したのでした。さらに、「善いサマリア人」のたとえ話、「放蕩息子」のたとえ話、「不正な管理人」のたとえ話、「金持ちとラザロ」のたとえ話、「徴税人ザアカイとイエス様との出会い」等、悲哀に生き、悲しみつつ生きていた人々がお告げを示され、喜びへと導かれることをルカによる福音書は証言しているのです。私の現実に神様のお告げがある。そのお告げは大きな喜びへと導いてくださるのであります。それは旧約聖書以来示されている「喜びの出来事」であります。

  もう一度ルカによる福音書のメッセージを示されましょう。「羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた」のでした。この地方は羊を飼う産業が行われており、たくさんの羊を飼うようでした。イスラエル旅行をしたとき、バスの移動で山間の道を通っていきましたが、途中、羊の群れが見られましたが、一つのところに50匹だの100匹はいません。それこそ三々五々という感じで、広い範囲にわたって羊がいるようでした。ですから羊飼いたちも広い範囲にわたって、羊の管理をするのですから、大変な仕事の様です。夜は野宿しながら羊の番をしています。その場合、羊飼いの職務は耳をそばだてることでした。いつも耳を傾け、羊の声を聞いていたのです。広い範囲に羊がいますが、どこに羊がいるか、耳で知っていたのです。どんなにちいさい声でも聞き分ける、そのような姿勢に天使の声が聞こえたのでした。「恐れるな、わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」との天使のお告げを聞くことができました。天使は多くの人々に告げているのでしょうが、そのお告げを聞くことができたのは、羊飼いたちだけであったのです。いつも聞く耳を持っていたからです。「いと高きところに栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」との天使たちの賛美の歌を聞いたのです。救い主がお生まれになり、地には平和が実験するでしょう、と示しているのです。

 喜びの出来事であるクリスマスです。心から喜びたいのです。

<祈祷>

聖なる神様。クリスマスのお恵みをいただき感謝いたします。この喜びの出来事を人々に伝えさせてください。イエス様のみ名によって、アーメン。

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