説教「お告げをいただく」

2022年12月18日、六浦谷間の集会

「降誕前第1主日

                      

説教・「お告げをいただく」鈴木伸治牧師

聖書・イザヤ書11章1-10節

   第一コリントの信徒への手紙1章26-31節

   ルカによる福音書1章26-38節

賛美・(説教前)讃美歌21・241「来たりたまえわれらの主よ」

   (説教後)讃美歌21・577「聞けよ、主の民」

 今朝は待降節第四週となり、四本のローソクが灯されています。例年ですと四本のローソクが灯されるとクリスマス礼拝になるのですが、今年は25日が日曜日であり、その日にクリスマス礼拝をささげるのです。四本のローソクが灯されていますが、まだ待降節なのです。待降節と言うのは、イエス様がお生まれになるまでの期間です。ですから、待降節は24日の夜まで続くことになります。25日が日曜日でも、イエス様がお生まれになっているので待降節ではなくなります。ですからローソクを増やさなくても、もはやイエス様の光が輝いているのです。例えば、23日が日曜日であれば、まだ待降節ですが、25日は週日になるので、その前の日曜日にクリスマス礼拝をささげることになるのです。今年は25日が日曜日なので、もはや四本のローソクが灯されており、それでは五本のローソクを灯すのですかと聞かれますが、待降節は24日の夜までであるということを示されたいのです。

 今日は18日であり、次週の25日のクリスマス礼拝をもって今年の礼拝は終わりになります。今年の歩みを感謝したいと思います。このところ、一年の締めくくりの意味で、今年の十大ニュースとか今年の言葉などが発表されています。今年の言葉は「戦」であるそうです。いうまでもなくロシアがウクライナに侵攻し、今でも戦争が続いています。またサッカーの世界大会で日本の国が16強になるという戦いぶりで、日本中がスポーツの戦いに熱狂したのでした。まさに「戦」の一年でありました。戦争が無くなる社会でありたいと願います。神様の御心は、もちろん平和な社会です。そのためには神様の御心をしっかりと受け止めたいのであります。

 今朝はマリアさんに天使が現れ、マリアさんからイエス様がお生まれになることを告げられた時、マリアさんは「お言葉どおりにこの身になりますように」とお告げを受けとめたのでした。そこに偉大な信仰を示されるのです。その信仰へと導かれたいのであります。

 本日の旧約聖書イザヤ書11章は「平和の王」について記しています。聖書の国は小さい国であり、いつも外国に脅かされている状況でした。紀元前8世紀の時代は、大国と言えばアッシリア、エジプト、バビロン等の国々がにらみ合っており、その狭間でおびえていたのであります。この時代はアッシリアの国に従うことになった状況であります。強い国に支配されることが、いわゆる平和でありました。昔は外国でも、日本でもそのような時代を経てきています。織田信長豊臣秀吉徳川家康の時代は天下を統一することによって平和が実現するとの思いがあり、結局は徳川の時代になり、長きにわたる武家社会になります。確かに戦いはなくなりましたが、上下関係の苦しい社会です。そのような力の平和は、昔はどこもそのように考えられていたのであります。聖書の世界でもアッシリアに支配されることによって、平和が確立されたと思ったのであります。しかし、この平和は真の平和ではありません。そのような力の平和ではなく、神様による真の平和の到来を告げるのが、今朝のイザヤ書でありました。

 「エッサイの株からひとつの芽が萌いで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」と示しています。「エッサイの株」とは、エッサイはダビデの父親であり、ダビデが築いたダビデ王朝を意味します。しかし、その王朝は神さまの御心に反する歩みであり、神様の審判によって滅ぼされていくのであります。ダビデは名君と言われました。神様のお心に忠実に歩み、人々を平和に導いたのであります。その子供のソロモンは神様から知恵を授けられ、このソロモン王も神様の御心を人々に与えた存在でした。ソロモンは神様の知恵、お心をいただいて人々を裁きますが、人間的な思いも強くありました。従って、ダビデのように名君とは言われないのです。そして、ソロモンの後はお家騒動が起きました、国は二つに分かれてしまうのであります。北イスラエル、南ユダの国に分かれてしまうのでありました。そして、北イスラエルは紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされてしまったのであります。今、南ユダの国は危険な状況にあります。しかし、アッシリアに従属されることにより、すなわち支配をうけることになり、滅亡はまぬかれていました。人々にとって、アッシリアによる平和が与えられていると思っているのです。しかし、真の平和は、このような力の平和ではありません。今やイザヤは、神様が再びダビデの家から平和の芽が出ていることを宣言するのであります。平和の主は貧しい人々を公平に導くと宣言しています。6節以下は恐ろしい動物達でありますが、それらの動物たちと共存する時が来るであろうと宣言しているのであります。「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」と示しているのであります。平和の世は子供たちが神様の御心を人々に示すのであります。「その日が来れば、エッサイの根は、すべての民に旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」と示しているのであります。神様が救い主を世に現すことを示しているのであります。苦しみに生きる人々、貧しく生きている人々、悲しみつつ生きている人々のために、神様が救い主をこの世に現してくださることを示しています。これは神様のお告げなのであります。

 ルカによる福音書マリアさんを中心にしてイエス様の出現を宣べ伝えているのであります。1章26節からであります。天使ガブリエルが神様から遣わされて、マリアさんに現れました。そして言われたことは、「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」と告げるのでありました。するとマリアさんは、驚きながらも自分の立場を申し上げるのです。「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言います。つまり、マリアさんダビデの家系のヨセフさんと婚約の関係であり、まだ結婚してもいないのに、どうして子供が生まれるのですかと言っているのです。天使は、「聖霊があなたに降り、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」というのです。

 婚約中で子供が生まれることは、昔は不自然なことでありました。マタイによる福音書はヨセフさんを中心に記しているのですが、マリアさんから子供が生まれることを知ったヨセフさんは、マリアさんのことが表ざたになるのを望まず、マリアさんとの関係、婚約を破棄しようと決心したと記されています。しかし天使が励まし、「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と諭したのでありました。「聖霊により宿った」との励ましはヨセフさんにもマリアさんにも与えられています。二人はそれぞれ聖霊の導きを信じたのであります。このことは私たちも聖霊の導きにより、イエス様がおとめマリアさんから出現したことを信じるのであります。そして、それは科学的には証明できません。聖書の証言通り、聖霊により神様の救い主がマリアさんを通して出現したことを信じるのであります。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」とマリアさんは告白致しました。聖書にはヨセフさんの苦悩、マリアさんの恐れがはっきりと記されています。しかし、人間の思いを超えて神様の導きが実現するのであります。神様ご自身がマリアさんを通して地上に現れたということであります。苦しみを救い、貧しさから解放し、悲しみから救われる、その救い主が今こそ現れることを示しているのであります。

クリスマスとは、私の貧しさの中に救い主が現れることであります。私の貧しさとは、神様のお導きによってのみ私の歩みがあると信じることであります。自分の財産とか、名誉とか、富とか、人間的なものに頼るのではなく、ただ神様の御心によって生きること、それが貧しさということであります。その貧しさに神様の御心が示されているのです。私たちは与えられているお告げをしっかりといただきたいのです。

 聖書は神様の御心を人々がどのように受け止めたのか、いろいろな人物を通して示しています。最初は、アブラハムでした。神様は、アブラハムに故郷を出て、神様が示す地に行きなさい、として声をかけるのです。するとアブラハムは神様の御心のままに故郷を後にしたと示されています。そして、時には不平を述べたこともありましたが、黙々と神様の御心に従ったのでした。モーセに神様が声をかけたとき、神様の御心から逃れようとします。神様の御心は、エジプトで苦しむ人々を救い出すことでした。それに対して、モーセは口下手であるとか、力がないとかと逃げようとするのです。それでも神様の励ましでようやく御心に従うのでした。神様の御心から逃げようとするのはエレミヤと言う預言者でした。「私は若者にすぎません」といい、御心から逃れようとするのですが、やはり神様の励ましにより御心に従うのでした。サムエルと言う少年に神様が声を掛けます。その時、サムエルは師匠が呼んでいると思ったのですが、最終的には神様の呼び声であると知り、「僕はここにいます。お話ください」と神様に申し上げたのでした。

神様は私の貧しさに御声をくださっているのです。しっかりとお告げをいただきたいのであります。 

<祈祷>

聖なる神様。いつも御心を御示し下さり感謝致します。御心に従うことのできますようお導きください。イエス様の御名により祈ります。アーメン。

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