説教「主の道を整える」

2022年11月6日、六浦谷間の集会

「降誕前第7主日

                      

説教・「主の道を整える」、鈴木伸治牧師

聖書・創世記18章1-15節

   ローマの信徒への手紙9章1-9節

   ルカによる福音書3章1-14節

賛美・(説教前)讃美歌21・132「涸れた谷間に野の鹿が」

   (説教後)讃美歌21・385「花彩る春を」

今朝は召天者記念礼拝です。日本基督教団では「聖徒の日」(永眠者記念日)としています。今は天におられる皆さんを示される日であります。特に信仰をもって歩まれた皆さんを示され、その証しから私たちが励まされるのであります。

 前任の大塚平安教会を退任したのは2010年3月でありました。最後の日曜日は送別礼拝で、礼拝後は幼稚園の庭で記念撮影をしました。その写真を今でも飾っています。もう12年もなりましたが、その頃の皆さんのお元気な姿を示されています。今年は8月7日に大塚平安教会の講壇に立たせていただき、説教をさせていただきました。皆さんと共に礼拝をささげたのでありますが、やはり在任の頃、共に信仰の歩みをされた皆さんを思い出していました。大矢幸男さん、大矢冨士さん、角田敏太郎さん、角田真澄さん、北村宣道さん、笠倉祐一郎さん、笠倉昭子さん、中林春生さん、中林保夫さん、井馬栄さん、井馬美恵さん、井馬栄一さん、小澤八重子さん、佐竹正道さん、伊藤雪子さん等、一部の方で、まだ多くの皆さんがおられます。皆さんのお証しを示されて大塚平安教会にて30年間のお勤めをさせていただきました。天に召された皆さんを示されますが、今もなお信仰の歩みを力強く歩まれている皆さんを示されています。8月7日に久しぶりに大塚平安教会に伺ったとき、12年も経ているので、それなりに年齢を増し加えていますが、お元気に礼拝に出席されていたのでした。皆さんの存在そのものが信仰の証しとなっているのです。私たちの人生は賜物を与えられており、その賜物を働かせながら人生を送るのですが、行き着くところは天国と言うことなのです。天の国を目指して、今与えられている現実を力強く歩みたいのであります。この世の人生は旅路でもあるのです。この世の旅路を信仰を持って歩みたいのであります。

 旧約聖書アブラハムは祝福の旅路を歩んだ人として示されています。聖書は創世記18章1節からですが、アブラハム物語が始まるのは創世記12章からであります。神様はアブラハムに現れ、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」と言われました。神様が「わたしが示す地」と言われても、そこが何処であるのか分かりません。しかし、アブラハムは神様のお言葉を信じ、神様のお導きに委ねて出発したのであります。アブラハムが75歳の時でありました。その時、アブラハムの妻サラ、甥のロトも一緒でした。「あなたを大いなる国民にする」と言われています。しかし、アブラハムとサラの間には子供が生まれませんでした。神様の約束を信じて故郷を後にしたものの、子供ができないし、約束の土地にも行きあたらない現実を受け止めていました。そういう思いが、人間的な苛立ちにもなっていました。ある時、神様のお使いがアブラハムの家を通過しようとしていました。今朝の聖書になります。アブラハムは三人の神の人を呼びとめ、休息を勧めるのです。アブラハムは大層なもてなしを致します。その時、神の人が不思議なことを言うのでした。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラには男の子が生まれているでしょう」と言うことでした。陰でそのことを聞いていたサラは思わず笑ったのです。それを知った神の人は「なぜサラは笑ったのか」と言いました。サラは自分が笑ったことを否定しますが、「あなたは確かに笑った」と念を押されてしまうのです。サラが笑うこと、それは、サラは既に90歳にも近かったからである。その来年の今ごろはアブラハムが100歳、サラが90歳になっているのです。昔のこととしても高齢です、高齢の身では子供は生まれないと思うのは当然であり、神の人の言葉であったとしても、自分にはあり得ないこととして笑ったのであります。

 しかし、神様のお約束を信じて故郷を後にしたアブラハムとサラです。約束が実現しない苛立ちを持ちながらも、基本的には約束に従っていたのです。そして、神様の約束が実現しました。彼らに与えられた子供はイサクと命名されたのです。アブラハムに関しては、まだいろいろな出来事がありますが、今朝はただ神様の約束を信じて従っているアブラハムから示されています。いろいろなことがありますが、アブラハムは約束を信じて旅路を歩んだのであります。その旅路が祝福の旅路でありました。アブラハムはイサクという子どもが与えられましたが、「大いなる国民にする」との約束は感じられません。また、土地はと言えば、サラが死んで埋葬する墓地だけがアブラハムの土地でした。約束はなんであったのかと思います。しかし、神様はその後のイサク、ヤコブを通して次第に民族の祝福を与え、多くの民になったのです。そして、約束の土地をも与えられたのであります。自分に与えられた約束は、後の代になって実現されていくのです。アブラハムは現実には約束の実現を見ないにしても、神様の約束を信じて歩んだのです。祝福の旅路であったのです。ヘブライ人の手紙11章1節以下、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められたのです」と示されています。アブラハムは信仰の人生を喜びつつ歩んだのでした。

 信仰の人生は神様のお約束を信じて歩みを続けることです。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」との信仰を強めて歩みましょう。新約聖書バプテスマのヨハネの証しです。

 ルカによる福音書3章1節以下はバプテスマのヨハネの宣教が記されています。このヨハネはイエス様より先に人々に現れ、神様のお心を示しました。それと共に、後から現れる主イエス・キリストの証をしたのです。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打もない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と救い主を示したのであります。ヨハネは時の社会に向かって悔い改めることを叫びました。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく示しました。ヨハネの教えは人々にとって恐ろしい審判として示されたのです。だから不安になり、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」というのであります。徴税人と言われる人たちも洗礼を志願し、「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。それに対してヨハネは、「規定以上のものは取りたてるな」と言うのでした。次に兵士も「このわたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。「誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」とさとしています。

 バプテスマのヨハネの教え、諭しは十戒を基としています。他の存在を思いやること、だましたり、盗んだり、むさぼってはいけないと示しています。この世に生きる者として、アブラハムが祝福の旅路を歩んだように、あなたがたも祝福の旅路を歩みなさいと示しているのです。だから、ヨハネは人々に、「我々の父はアブラハムだ」などという考えを起こしてはならないと示しています。人々にとって、先祖のアブラハムが祝福の旅路を歩んだので、だから我々も祝福を受けていると思っているのです。だからヨハネは、はっきりと示しました。アブラハムアブラハム、あなたがたはあなたがたであるということです。

 こうしたバプテスマのヨハネの教えと諭しがありますが、ヨハネが証しするように、人々が真に祝福の旅路が導かれるのは、主イエス・キリストの十字架の贖いを与えられてからであります。イエス様はご自分が十字架にかけられて、私達を真に祝福の旅路を導いてくださっているのであります。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」と示されています。信仰の人生を喜びつつ歩みたいのであります。

 大塚平安教会の50周年記念誌には教会の皆さんの証しが掲載されています。その中に井馬美恵さんの証しを示されています。

 「私は、毎日、朝起きるとともにお祈りをしています。何年か前まで教会学校の先生をしていましたが、病気のため辞めました。従って、今はお祈りするだけです。このまま年を重ね、ボケていくのですが、命の終わりまで光を与えてくださいと祈っています。私の二番目の姉は、礼拝で先生のお説教わからなくなっていますが、顔は光輝いているのです。ボケていても栄光に輝いているのです。私は、だからボケることを畏れてはいません。世の終わりが先に来ても、また私自身の終わりが来ても、主の御心のままに召される喜びを持っているのです。」

 大塚平安教会時代、この井馬さんと共に歩んだのでありますが、いつも信仰の喜びを述べていました。お連れ合いを先に天に送ったとき、しばらく沈黙うちに過ごしていましたが、そういう自分を反省され、信仰に生きる喜びを証しされていました。井馬さんの歩みを示されるとき、「主の道を備える」人生であったと示されているのです。

<祈祷>

聖なる神様。永遠の命へのお約束をくださり感謝致します。主の十字架を仰ぎ見つつ歩ませてください。主の御名によりおささげします。アーメン。

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