説教「信仰の人生」

2022年8月28日、六浦谷間の集会

聖霊降臨節第13主日

                      

説教・「信仰の人生」、鈴木伸治牧師

聖書・ミカ書6章6-8節

   エフェソの信徒への手紙4章17-24節

   マルコによる福音書10章46-52節

賛美・(説教前)讃美歌21・358「小羊をばほめたたえよ!」

   (説教後)讃美歌21・567「ナルドの香油」

 今朝は「信仰の人生」との主題で示されるのですが、信仰に生きる人々の力強さを示されます。去る8月7日の日曜日は、久しぶりに大塚平安教会の礼拝に招かれ、説教を担当させていただきました。実は、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動しております娘の羊子が7月19日より一時帰国していますが、その8月7日の午後に大塚平安教会でピアノのリサイタルを開かせていただくことになり、教会としては、それなら当日は日曜日であり、父親の鈴木牧師に礼拝説教をしてもらいたいということになった次第です。私も久しぶりに皆さんとお会いすることができるので、喜んでお受けした次第です。当日は、他の教会に移っている方も、また幼稚園のもと先生も出席して下さり、お交わりを喜んだのであります。 

1979年に40歳で就任しました。その頃、私より年齢を重ねている方が多かったのですが、若い牧師を盛り立てて下さり、私が活動しやすいように皆さんが協力してくださいました。一人の方は、器用な方で何かと修繕や必要なものを作ってくださったりしていました。その後、他の教会に移ったのですが、私が久しぶりに礼拝説教をするというので、当日の礼拝にご夫婦で出席してくださいました。特に忘れられない方のご挨拶をいただきました。その方は私が大塚平安教会で最初に洗礼を授けた方であります。1979年9月から就任したのですが、その最初の礼拝が終わり、皆さんを玄関でお送りしているとき、その方が洗礼を申し出られたのでした。その方を存じ上げないし、戸惑いましたが、役員の皆さんと相談し、その年のクリスマスに洗礼を受けていただくことにしたのでした。もちろん、それから今日まで大塚平安教会に出席しつつ「信仰の人生」を歩んでおられるのです。この方ばかりではなく、当日お会いした皆さんは、「信仰の人生」をこの大塚平安教会を基として歩んでおられるのです。皆さんの今日までの歩みを示されるだけで大きな励ましをいただく思いでおります。

 今朝は「信仰の人生」として旧約聖書のミカ書より示されています。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている」と預言者ミカが示しています。人々が神様の御心から離れて生きていることに対するミカの導きであります。旧約聖書はミカ書6章1節以下であります。ミカ自身が貧しい農民であったと思われます。従って、都会の富裕な者たちが、貧しい農民から搾取することに激しく批判するのであります。ミカ書3章5節、「彼らは歯で何かをかんでいるあいだは平和を告げるが、その口に何も与えない人には戦争を宣言する」と示しています。人から何かを取ることができれば機嫌が良いが、何も取ることができなければいじめにかかる、というのです。こうした社会の不正に対して、ミカは神様の御心を力強く示します。すなわち、歴史を回顧すれば、すべては神様の導きであり、恵みの歴史であるということです。

 預言者ミカは神様の御心から離れてしまっている人々に、御心に立ちかえることを示すのです。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」と示します。自分の思いや力ではなく、へりくだって神様と共に歩むことであります。へりくだって神様と共に生きるとき、私達のなすべき歩みが示されてくるのです。「これ」とは「正義を行い、慈しみを愛する」ことなのであります。私たちは「これ」を持って生きなければならないのであります。「これ」をもって生きるときに、この地上が平和へと導かれていくのであります。

 日本キリスト教海外医療協力会と言う働きがあります。そこで総主事をされておられる方から「総主事通信」をパソコンに送っていただき、読ませていただいていました。その総主事通信を読むことで、私は日本キリスト教海外医療協力会の認識を改めさせられたのであります。大変浅い認識で申し訳ないとの思いを深めています。その日本キリスト教海外医療協力会は古切手を集め、それをお金に換え、そして薬代とし、海外で医療活動を行っている、という認識でした。確かに医療活動を行っていますが、貧しく生きる人々と共に歩んでいるのです。学校に行くことのできない子ども達、それらの子供たちは古紙を集めてはお金にしていると言われます。また、女性達の問題があり、ワーカーと言われる人たちが指導し、共に歩もうとしているのです。日本キリスト教海外医療協力会がそれらの人々と連絡を取りつつ、海外医療と人間の諸問題にかかわっているということを示されたのであります。ミカが示す「これ」を持って生きる人々であります。すなわち、「正義を愛し、慈しみを愛する」者として導かれなければならないのであります。

 神様に心を向けること、そこに「日々、新しく生きる」歩みが導かれてくるのです。マルコによる福音書は、単に心を向けるのではなく、主イエス・キリストに向かって叫びなさいと示しています。10章46節以下が今朝の聖書です。「盲人バルティマイをいやす」ことが記されています。「一行はエリコの町に着いた」のですが、その町に着いたときでした。盲人バルティマイが道端に座っており、一行がナザレのイエス様であることを知ると、イエス様に向かい「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び始めるのであります。周りの人々がうるさいので黙らせようとしますが、バルティマイは叫び続けるのであります。イエス様は立ちどまり、「あの男を呼んできなさい」と言われました。バルティマイがイエス様のところに来ると、「何をしてほしいのか」と聞かれました。「先生、目が見えるようになりたいのです」と切なる願いを申し上げます。イエス様は、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とバルティマイを祝福致します。バルティマイは癒されました。そして、イエス様に従ったと示しています。

 ところで、バルティマイはイエス様に向かって叫びましたが、この叫びは大胆な信仰告白でもあります。「ダビデの子よ」と叫んでいます。「ダビデの子」とは王様の存在であります。従って、やたらに「ダビデの子よ」と言うものなら当局に捕らえられてしまうこともあるのです。バルティマイが叫んだとき、「多くの人々が叱りつけて黙らせようとした」のは、「めったなことを言うな。当局に睨まれる」と言う恐れがあったからでもあります。それでも叫び続けるバルティマイを、イエス様は信仰とされたのであります。自分の思いを神様に向けて発すること、危険であろうと、人々がなんと言おうと叫び続けることであります。「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様は祝福を与えたのであります。

 神様に全身を向けるとき、「これ」が与えられるのです。すなわち「正義を愛し、慈しみを愛する」生き方へと導かれるということです。新約聖書はイエス様に向かって叫ぶこと、心を向けること、イエス様による祝福が与えられることが示されているのであります。信仰の人生を示しているのです。

 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と、私達もイエス様に全身を向けなければなりません。私たちは、自分の願うことを神様に申し上げていますが、直接お願いすることに躊躇することがあります。幼稚園の子供たちにお祈りについてお話しているとき、「神さま、かっこいいおもちゃをください」「かわいいお人形さんをください」とお祈りしましょうかと聞いたことがあります。すると、「違います」と答えるのです。そういうことはお祈りではないと思っているのです。毎朝、始まりには先生がお祈りします。そのお祈りは、お友達が休んでおり、病気が治りますようにと言うお祈りなのです。いつもお友達のことをお願いしています。従って、お祈りはお友達のことをお願いすることだと思っているのであります。だから、お祈りについてお話をするとき、自分のことで神様にお願いしてもよいことをお話していました。

 宮城県の教会にいるとき、隣の町から教会に出席される老婦人がおられました。求道者であります。ある時、私に質問されました。「礼拝でお祈りをささげていますが、自分のことはお願いしてないようです。私は病を抱えているのですが、神様に治してくださいとお願いして良いのでしょうか」と聞かれました。「どうぞ、お願いしてください。神様に自分のこと、病気を治してくださいとお願いしてください」とお答えしたのであります。バルティマイのように叫んでよいのです。全身を神様に向けるのです。「あなたの信仰があなたを救った」との祝福がいただけるよう、イエス様に全身を向けることなのです。「祝福の人生が与えられているので」主イエス・キリストの十字架の救いを仰ぎみることです。旧約聖書のミカが示したように「これ」が与えられるのです。「正義を行い、慈しみを愛する」者へと導かれるのです。十字架に向かって全身を投げかけて行くことです。祝福の人生が与えられるのです。

 久しぶりに大塚平安教会で皆さんとのお交わりが導かれました。ご挨拶は、「お変わりありませんね」と言うのですが、その方の面影が変わらないのですが、風貌については随分と変わっています。男性であるなら髪の毛が白くなっているとか、薄くなっているとか、明らかに年齢を重ねたことが示されるのです、しかし、信仰に生きるお姿はまぶしいほどでした。

<祈祷>

聖なる神様。正義を愛し慈しみを愛する者へと導いてくださり感謝致します。いよいよ信仰の人生を歩ませてください。主の御名により、アーメン。

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