説教「御心をいただきつつ」

2018年7月22日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第10主日

説教・「御心をいただきつつ」、鈴木伸治牧師  
聖書・民数記11章24-30節
    コリントの信徒への手紙<一>12章12-26節
     マルコによる福音書9章33-41節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・385「うたがい迷いの」
    (説教後)讃美歌54年版・522「みちにゆきくれし」

前々週の土曜日、14日でありますが、大塚平安教会において教会員の角田真澄さんの告別式がありまして列席致しました。角田敏太郎さん、真澄さんご夫妻とは、大塚平安教会時代にお交わりをいただいた方です。角田敏太郎さんは、86歳にもなっておられると思いますが、やはり高齢になられているので、衰えを示されました。葬儀の終わりに喪主としてご挨拶されましたが、あまりご挨拶ができず、息子さんが変わって挨拶されたのでした。その後、献花があり、私は献花後に角田敏太郎さんに、私自身が自分を指でさしながら「分る」と聞きました。そしたら、「わかるよ…、古い付き合いじゃないか…」と笑顔で言われたのです。喪主の挨拶で、ほとんど言葉にならなかったのに、私に対して、笑顔で応えてくれた角田さんを喜んでいる次第です。角田さんのお連れ合いの真澄さんの告別式でした。告別式が始まる前に、菊池牧師が、私に弔辞を述べてもらいたいと依頼されたのですが、私はお断りさせていただきました。まず、当日は喪服を着ないで平服でもありました。葬儀の後は幼稚園に行かなければならないからです。さらに、弔辞を述べるとすれば、いろいろなことが思い出されるので、準備もないままにお話しをすれば長くなるのではないかと思ったからでした。
 真澄さんの思い出を語るとすれば、本当にいろいろなことをお話ししなければならないのです。真澄さんは賜物がある方で、ご自分でも認識されていたようです。長年、会社の事務職にありましたので、いろいろと心得ていたようです。そういう力を教会でも奉仕として発揮したいのですが、そういう機会がないのです。というのはお連れ合いの敏太郎さんは、大塚平安教会の草創期からの方で、教会を担いつつおられたのです。教会の皆さんも敏太郎さんの存在を重く受け止めていました。ですから、いつも役員さんに選ばれては教会の職務を担っておられたのです。真澄さんとしては、自分もできれば役員に選ばれてご奉仕されたいと思っていたと思われます。それで、ある時、湘北地区内にある小規模の教会に移られたのでした。その教会では役員に選ばれ、何かと教会の御用をされていました。そのようなご感想を真澄さん自身が述べていたのです。大塚平安教会にいる限り、役員には選ばれないということでした。他の教会に移られて、力強くご奉仕されている真澄さんを示されています。他の教会に移られましたが、何かと大塚平安教会の皆さんとはお交わりを深めていました。婦人会の旅行には毎回参加していました。大塚平安教会のイベントのときにはいつも来られて、皆さんとお交わりをされていたのです。ですから他の教会に移られたとしても、いつもお交わりがあったので、転会したとの思いがあまりありませんでした。私たち夫婦のことも気をつかってくれていました。大塚平安教会を退任して、その後、大塚平安教会にいく機会があり、真澄さんにお会いすると「スミちゃんは元気ですか」と聞かれるのでした。連れ合いに対しては「スミちゃん、スミちゃん」気遣ってくれていたのです。足のご不自由な敏太郎さんを支え、娘さんを天に送り、いろいろな状況を受け止めつつ、主の御用のために歩まれたと示されています。
 自分の賜物を受け止め、主のためにお働きになられたこと、今朝の聖書はそのような人々を祝福しているのです。「御心をいただきつつ」、自分に与えられた賜物をささげて歩むことを今朝の聖書は示しているのです。

 今朝は旧約聖書民数記から示されています。この民数記は聖書の人々がエジプトで奴隷として生きること400年でありましたが、神様はモーセを通してエジプトから救い出し、約束の地への途上にある状況です。救い出された人々は神様が約束してくださった土地、乳と蜜の流れる土地へと荒野の旅をしているのであります。日本語の題は「民数記」ですが、原文の題は「荒れ野にて」であります。この民数記の1章と26章に民族を数えていることから「民数記」としております。しかし、単に民族を数えているのではなく、荒れ野の旅で、いろいろな出来事があり、それらを神様の導きとして記しているのです。
 今朝の聖書は、旅の途上、不思議な現象が起こり、人間的に考えてもよろしくないと思われるので、やめさせようとするのです。11章24節以下が本日の聖書です。本日は24節から30節ですが、次の段落の31節からを「うずら」としています。その「うずら」を食べることになる経過が今朝の聖書なのです。エジプトを出た聖書の人々は、当初は食べ物を持っていました。しかし、それらはすぐになくなってしまいます。そうすると人々は一斉に不満をモーセにぶっつけます。この荒野で我々を死なせるために連れ出したのだと言うのです。その不平不満を言う人々に対し、神様は「マナ」と言う食べ物を与えて養ったのです。飲む水がないと言っては、やはりモーセに詰め寄ったのです。こうして飲む水、身体を養うマナを与えられて旅を続けていたのですが、今度は肉を食べたいと言って騒ぐのです。そのあたりは11章4節に記されています。「誰か肉を食べさせてくれないか。エジプトでは魚を食べていたし、きゅうりやメロン、ねぎや玉ねぎやニンニクが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」と言って騒いでいるのです。不満があれば、すぐにモーセに詰め寄る人々に対して、神様はその務めを緩和するために、モーセと共に神様の御用をする人々を選ばれるのでした。
 そこで選ばれたのが70人の長老でありました。神様の霊がモーセにとどまると同じように、一時的ではありますが、この70人の長老たちには神様の霊がとどまったのです。神様の霊をいただいた長老たちは、モーセと共に人々の不平不満を聞き、神様の御心を示したのでした。更にこの70人の長老とは別に二人の人も神様の霊をいただいて、預言状態になっていたのです。それで、モーセの側近でもあるヌンの子ヨシュアが、「やめさせてください」とモーセに言います。モーセと同じように、指導的な立場になっているかのように見えたのです。その時モーセは、「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ」と言うのでした。
 こうしてモーセの務めを軽くしながら、神様は人々が肉を食いたいということで、「うずら」を与えたのであります。「うずら」は小さな渡り鳥で、アフリカからヨーロッパに移動し、シナイ半島パレスチナ方面はうずらの通路であったと言われます。人々の不満はこれで解消されるのですが、日々の生活において不平不満は際限なく出てきます。72人の神様の霊をいただく長老たちがモーセと共にその不満を聞きつつ、旅を続けるのでした。人間的に見れば、出過ぎた行為というものがあるものです。しかし、モーセはすべて神様のお導きであると受け止めているのです。その意味で、モーセは二人の人が、進んで人々のために働いていたので、むしろ祝福したのでした。「主の民すべてが預言者になればよいと切望している」と示しているのです。

 旧約聖書において、ヌンの子ヨシュアが、長老たちが余計なことをしているように思えて、モーセに「やめさせてください」と言っております。新約聖書も「やめさせてください」と言っている部分が今朝の聖書になっています。二つのことが示されているようでありますが、二つの段落で示されていることは「働き人」ということでありましょう。
 人間は複数集まると、常に比較を考えるのです。どちらが上か、重い存在なのかということです。お弟子さん達も12人いましたから、やはり、この中で誰が一番えらいかと言いあっていたのでした。それを知ったイエス様は、改めて、「あなたがたは何を議論していたのか」と聞きました。そして、人が偉いということについて教えられたのであります。一人の人が「偉い人」であると言われるとき、その人はいとも小さい存在を受け入れているからである。一人の、どんな存在をも受け入れて共に歩む姿がある、その人が偉いのであるとイエス様は言われているのです。そのために、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と教えておられるのです。人か複数いたら、どちらが上なのかと詮索するのではなく、この人にどのようにして仕えることが出来るのか、その様な取り組みこそ祝福されるのであり、その祝福は自分だけではなく、人々と共に祝福をいただけると教えておられるのです。
 今朝の聖書の38節以下は、「逆らわない者は味方」との題になっています。弟子のヨハネがイエス様に、「イエス様の名前を使って悪霊を追い出している者がいるので、やめさせようとしました」と報告しています。するとイエス様は「やめさせてはならない」と言うのです。イエス様の名を使う以上、イエス様を信じているのであり、反対のことはできないからであります。むしろ、その者は味方であるとも言っているのです。いわゆるイエス様の所作を真似ているのであり、だから反対者ではないのです。イエス様はいろいろとお弟子さんたちを教えておられますが、最終的にはイエス様を真似るということであります。何よりもイエス様のお弟子さんたちの足洗があります。このお話はヨハネによる福音書しか記されていませんが、13章に「弟子の足を洗う」イエス様について記されています。イエス様はお弟子さんたちと夕食をするとき、手拭いを腰に巻き、盥に水を汲んでお弟子さんたちの足を洗ったのです。畏れ多くも先生のイエス様から足を洗われ、ペトロは「洗わないでください」とお願いします。するとイエス様は、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われるのでした。そしたらペトロは、「足だけではなく、手も頭も」と言うのでした。このイエス様の足洗いは人に仕える姿勢を教えておられるのです。人の足を洗うということは、相手の足を自分の目の高さまで持ち上げるとしたら、相手はひっくり返ってしまうのです。だから相手の足を洗うには、相手の足元にうずくまって洗わなければならないのです。それが仕える姿勢なのです。
 新約聖書の今朝の聖書は、一番偉い人は仕える人だと教えられ、さらにイエス様の真似をする、すなわち仕える人になることを示しているのです。まったく異なる教えのようですが、私たちがイエス様を見つめ、その教えをいただき、真似て生きること、それがイエス様に従う道であると教えておられるのです。そうであれば、私たちは人と同じ姿であることを喜ばなければならないのです。ともすれと、他の存在と比較しては排除しようとしています。たまたま同じ店で同じ柄の洋服を求め、お互いにぱったり道であったりすると、なんか相手がにくくなります。自分と同じ姿を排除するのではなく、同じ姿を喜んであげることは、自分を喜ぶことにもなるのです。排除ではなく受け入れることなのです。イエス様は、イエス様の真似をしている人を、むしろ祝福されているのです。
 聖書の中で、賜物をささげて積極的に歩んだ人が紹介されています。使徒言行録6章、7章に記されているステファノの証しです。イエス様がご昇天になった後は使徒たちが中心になってイエス様の十字架の救いを宣べ伝えていました。だんだんと信者が増えてきます。すると信者たちの生活のことでいざこざが起きてきます。使徒たちが生活上のいざこざを裁いていたのですが、これでは伝道ができないと言う訳で、そのような働き人を選ぶことにしました。それで7人が選ばれ、人々の生活上のことはまかせたのです。ところがステファノという人は、使徒たちが伝道しているように、伝道をしたのでした。人々の前でイエス様の十字架の救いを力強く語ったのです。人々はステファノの説教に耳を塞ぎ、ステファノを石で打ち殺してしまうのでした。このステファノの働きを示されるとき、彼の本来の務めは、信者たちの生活の世話です。しかし、彼は力強くイエス様の救いを人々に宣べ伝えたのでした。なんとなくステファノは出過ぎたことをしたと思います。自分の務めを果たしていればよいのにと思うのです。出過ぎたことでしたが、祝福された働きであったのです。

 先ほども召天された角田真澄さんを示されました。主の御用のために、自分に与えられている賜物を生かしたい、そういう思いは、ある場合には敬遠されることもあります。出過ぎたこと、出しゃばり等と批判されることもあります。しかし、今朝の聖書はモーセにしてもイエスさまにしても、そのように積極的に主の御用をする人を受け入れているのです。ステファノについては、殉教が記されており、彼が祝福されたということは記されませんが、聖書に彼の働きが記され、祝福されたこととして証されているのです。
 神奈川教区の中で歩んできましたが、以前、私が在任中のことですが、教区総会では議長、副議長の選挙が行われます。また常置委員の選挙等も行われます。議長選挙の時には、立候補もできます。しかし、なかなか議長に立候補する人はいないのです。ところが立候補する人がいたのです。自分が議長になったら、いろいろな問題に関わっていくとの所信表明をしています。しかし、折角立候補しているのに、選挙の結果は当選しないのです。教区総会での選挙は2年に一度ですが、2年後の総会でも立候補するのでした。やはり選ばれないのです。こんなにやる気があるのに、みんなで選べばよいのにと思っていたのですが、そのように積極的に意思を示すと、人々は賛成しないようです。
 共に祝福をいただくために、積極的に賜物をささげようとしています。喜んで働いてもらったらよいと思います。角田真澄さんのお働きは人々に喜ばれたと思います。イエス様の祝福をいただいたと思います。どのような信仰の持ち方でありましょうとも、その信仰はイエス様を真似ての姿であります。「やめさせてはならない」とイエス様が言われること、私の信仰も祝福してくださっていますから、主に向かって信仰の歩みを導かれたいのです。 
<祈祷>
聖なる神様。イエス様に導かれ、信仰の姿は異なりますが、共に祝福をいただきつつ歩ませてください。イエス・キリストの御名によりおささげいたします。アーメン。