説教「神様の指をいただきながら」

 2015年3月1日 清水ヶ丘教会礼拝
「受難節第2主日

説教・「神様の指をいただきながら」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記6章11-22節
    ルカによる福音書11章14-26節
賛美・(説教前)讃美歌21・305「イエスの担った十字架は」、
    (説教後)讃美歌21・408「見よ、闇の力」


 今朝、再びこちらの教会の講壇の御用をさせていただき感謝しています。再びと申しますのは、前回は2012年9月2日でした。この2012年は清水ヶ丘教会の65周年であり、9月23日の記念日礼拝にお出でいただきたいということでした。しかし、私達夫婦は9月10日からスペイン・バルセロナに赴く予定でしたので、折角のお招きでしたが辞退させていただきました。それなら9月23日でなくても、その前の都合の良い日でもよろしいですと言われ、9月2日に講壇に立たせていただいたのです。9月10日にはスペインに行くというのに、執拗にお招きくださったのが島田勝彦先生でした。島田先生とは若い頃にぶどうの会の顧問として一緒に担ったこともあり、親しくさせていただいていました。その島田勝彦先生が転任されて、今は中野教会に赴任されましたが、私はなぜかホッとしています。実は以前、いずれ娘の羊子が帰国したら、この清水ヶ丘教会で奏楽の奉仕をしたいと述べていたことを島田先生にお話ししたのです。先生は大変喜んで下さり、ぜひお願いしたいと言われました。それからは、島田先生は私と会いますと、「羊子さんはいつお帰りになりますか」と聞かれるのです。羊子はスペインに渡り、今では各地でピアノの演奏活動をしていますので、当分帰国することはないと私自身思っていましたので、島田先生から「いつ帰られるか」と聞かれるのが心苦しかったのです。そして、この度、スペイン人との出会いが与えられ、結婚したのでした。そうなると帰国ということはなくなるだろうと思います。島田先生に何と言うべきか、と思う前に島田先生がこの清水ヶ丘教会を辞任されたのです。なんか、ホッとしたのです。もう、言い訳する必要もなくなったからです。ですから、今回お招きをいただき、もうあの言葉は聞かれない、と思いつつ、喜んで務めさせていただくことにしたのであります。
 島田先生は昨年3月に退任されましたが、娘の羊子が4月下旬に一時帰国し、ディナーコンサートで演奏したりしました、その一時帰国の時に結婚話が決まり、秋に結婚式を挙げることにしたのですが、その時はまだホッとしていません。島田先生のことは心になかったからです。今回のお招きをいただいて、本格的にホッとしたということです。その娘が10月25日に結婚することになりましたので、私達は10月21日にスペイン・バルセロナに向かいました。そして25日が結婚式でしたが、今回はスペインのクリスマスを体験したいとの思いがあり、1月6日の顕現祭を体験し、1月8日に帰国したのであります。娘はサグラダ・ファミリアでミサの奏楽奉仕をしています。カトリック教会ですが、奏楽を皆さんが喜んでくださっています。その教会の神父さんに結婚式について相談している中でも、羊子の父親がプロテステント教会の牧師であることを知った神父さんは、それでは一緒に結婚式の司式をしましようと提案してくださったのです。ですから結婚式はカトリックの神父さんとプロテステントの牧師が共同司式という、前代未聞の結婚式になりました。良い経験をしたと思います。12月25日はカトリック教会はクリスマス・ミサを行います。羊子は別の神父さんとも親しくしており、その神父さんの教会のクリスマス・ミサで奏楽を依頼されていました。ですから私達も一緒にミサに出席したのです。そしたらそこの神父さんが、私も一緒にミサを司ってくださいというのです。プロテスタントの牧師がカトリック教会のミサを司る、これも前代未聞ですが、神様のお導きと信じて、神父さんのガウンを借りて、一緒に司ったのでした。
 今回、二ヶ月半のスペイン滞在で、神様がカトリック教会を私に指し示してくださったとの思いであります。神様の指が私達を導いてくださっているということ、今朝の聖書を通して示されるのであります。

 旧約聖書は創世記6章に示されるノアの洪水物語です。今朝の聖書は神様が悪なる存在を指し示し、救いの道を指し示しているのです。神様の指の方向を示されたいのであります。今朝の聖書は6章11節からであり、ノアが神様に命じられて箱舟を作ることが記されています。箱舟を作ることを神様はノアに命じましたが、それは悪を滅ぼすためでした。6章の最初に意味深く示しています。「さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした」と記しています。このあたりは神話の世界でありますから、あまり事実性として捉える必要はありません。その時に言われた神様の言葉です。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから」と述べられた結果、人間の人生は120年となったというのです。今朝の6章の前の5章には、人間が900歳、800歳まで生きたことを示しています。しかし、6章には120歳と定められました。つまり人間が罪に生きることにより寿命が短くなったことを示しているのです。人間が造られたとき、神様は粘土で人の形を作り、その鼻に神の息、霊を入れました。すると人間は生きたものとなったのです。今6章では、「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない」と神様が言っておられるのです。すなわち、神様の霊をいただいているにも関わらず、人間は自己満足が優先されているのです。そして、神様はこの世を見るとき、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」人間を認めるのです。そこで神様は、「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」と言われているのです。神様の霊をいただいて造られた人間でありますが、肉なる人間は最初から自己満足を持つ者として示しているのが聖書です。創世記3章には堕罪が記されています。アダムさんとエバさんは、神様から戒められていた禁断の木の実を食べてしまいます。それは「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた」のであります。自分の欲望を満足するためには、たとえ戒められていても自分の満足を優先するのであります。
 そこで今朝の聖書は、「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地をご覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた」と示しています。神様は、この地を滅ぼすために、ノアと家族だけを残すことにし、ノアに生き延びるための箱舟を作らせるのであります。箱舟の長さは300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマとしています。1アンマは人間の手の肘から中指の先までで、およそ45センチメートルです。従って、長さは135メートル、幅22メートル、高さ13メートルになります。やはり大きな船になります。そして、この船ができたとき、神様はすべての動物の雄と雌を入れさせ、そしてノアの家族も皆箱舟に入らせ、扉を閉めさせます。すると雨が降り始め、40日間降り続いたのであります。地上はすべて水となり、生き物はすべて絶えるのであります。こうしてノアは神様の導きにより生きる者となったのでありました。箱舟は救いのシンボルとなりましたが、モーセが生まれたときも、箱舟により救われる者になったのです。悪を滅ぼし、正しい人間を救うことを神様が指し示しているのです。神様の指が救いの方向を指し示しているのです。ノアの洪水は物語です。しかし、この物語を通して、神様の救いの指、を示されるのであります。

 主イエス・キリストは悪なる存在と常に戦っています。イエス様は世に現れる前から悪と戦っていました。そして、神様の御心を人々に示す時にも、イエス様の前に立ちはだかる存在と常に戦っていました。今朝はルカによる福音書11章14節からです。「ベルゼベル論争」との標題になっています。ベルゼブルとは悪霊の頭だとされています。イエス様が人々に神の国の教えを与え、悪霊につかれた人を癒していました。ここに口の利けない人がいました。悪霊にとりつかれていたからだとしています。イエス様はその人の悪霊を追い出しました。するとその人はものを言うようになったのです。このことで人々は驚き、どうしてそんなことができるのかと不思議に思うのです。中にはイエス様が悪霊を追い出したのはベルゼブルの力によるものだというのです。それに対してイエス様は、悪霊が悪霊を追い出すのは内輪もめだと答えています。悪霊を追い出すのは神様の指の力だとしています。20節の言葉がこの聖書の中心になります。「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちの所に来ている」のであります。口の利けない人、目の見えない人、病気の癒しは、神の国の到来を示しているのであります。口の利けない人を癒すことは医者ならできるでしょう。しかし、今、イエス様が神様の指の業として癒す時、そこに神の国の到来があるのです。癒されることは神の国に生きる者へと導かれるということなのです。神様の指の業をいただくことです。そこに神の国に生きる喜びと希望があるのです。
 24節からも汚れた霊についての示しです。汚れた霊は追い出されて、砂漠をうろつきます。しかし、休む場所がないのです。砂漠ですから人がいないのです。人の中に入ることはできないのです。休む場所がないので、今まで入っていた人の所に戻るのです。すると、「家は掃除をして、整えられていた」と言います。そこで、汚れた霊は自分よりもっと悪い七つの霊を連れてきてそこに住みつくというのであります。面白いたとえであると思います。つまり、汚れた霊を追い出された人は、すっかり喜んで、これからは真面目に正しく生きようと思っています。そういう姿が「家の中を掃除する」ことなのです。しかし、掃除するだけではだめなのです。掃除したら、そこにしっかりと土台を据えなければならないのです。イエス様が神様の指の業によって汚れた霊を追い出して、神の国を与えてくださったのですから、神様の御心が満たされ、神の国に生きる喜びを持たなければならないのです。それが無いから、再び汚れた霊が戻ってきますし、もっと悪い七つの悪霊が住み着くことを示しているのです。私達はイエス様によって神様の指の業により、汚れた霊を追いだされました。だから神の国に生きる者として、常に御心をいただく者でなければならないのです。
 以上、ルカによる福音書において、イエス様の悪霊との戦いを示され、私達の戦い方を示されました。悪霊が付け入るすきを与えてはいけません。神様の指は、私達をいやしてくださいますが、その指は救いの十字架を指し示しているのです。

 2012年9月にお招きいただいたときには、私の姉の証をお話しいたしませんでしたが、今朝は姉の信仰の証をお話しさせていただきます。日本の敗戦後、姉は導かれて清水ヶ丘教会の前身、昔の横浜ミッション教会に出席するようになります。横浜ミッション教会は1947年に設立されていますので、設立後、間もなく導かれたと思います。1950年に現在の場所に転居して清水ヶ丘教会となりました。青年時代から信仰に導かれた姉であります。姉・鈴木美喜子は1981年頃にリュウマチの病を持つ様になりました。いろいろな病院で診てもらいながら闘病生活をするのであります。次第にリュウマチが進行し、それこそ全身を金具で補強しながら、療養生活をしたのであります。15年間、入退院を繰り返しながら過ごしましたが、1997年に天に召されたのであります。姉はだんだんと動かなくなっていく手で日記を書いていました。その日記の最後には、必ず「今日も一日生かされて、神様のお守りを感謝します」と記しているのです。姉は12月24日が誕生日です。その日の日記は次のように記しています。
 「6時15分起床。ここのところ朝とても冷える。今朝も3度位だった。寒くても早く起きれて感謝。父より早く起きてストーブをつけてお湯をわかす。今日は私の誕生日。もう65歳になってしまった。人の年のように思える。退院後、元気になって誕生日を迎え感謝。神様の癒し、皆様のお祈りを心から感謝する。夕食にはお寿司をとって父とささやかな誕生祝いをする。食前の祈りを私がする。父は『アーメン』と言ってくれた。今日も一日守られて感謝。」
 姉はこの誕生日から3年後、68歳で天に召されたのであります。「今日も一日生かされて感謝」と毎日、日記に書いています。姉の日記を読みながら、姉はいつも神様の癒しの指を見つめていたと示されるようになりました。そして、神様の指が指し示す十字架を仰ぎ見つつ生きたと示されているのです。姉は苦しい闘病生活でありましたが、「せん方つくれども希望(のぞみ)を失わず」との聖書の言葉、コリントの信徒への手紙4章8節の言葉を常に口ずさんでいました。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエス様の死を体にまとっています。イエス様の命がこの体に現れるために」との聖書の言葉が姉を導いていたのです。
 姉の証しは、一人の伝道者を育てたと思っています。私は23歳で神学校に入りました。もう高校生の頃から、将来は伝道者への道が示されていたのです。しかし、なかなか神学校には入れなかったのです。両親が次第に高齢になりつつある状況で、両親を残して伝道者になって良いのか、との思いで悩んでいたのです。私は五人兄弟ですが、すぐ上の兄が敗戦後まもなく死にます。そして二番目と三番目の姉は結婚しています。家にいるのは一番上の姉でした。姉は青年の頃、病気をしていますので結婚の機会がありませんでした。その姉が、「私がお父さんとお母さんと暮らすから、伸治は牧師さんになりなさい」と勧めてくれたのです。そのように姉が後押ししてくれたので、私は神学校に入ることができたのです。牧師になって青山教会、宮城県の陸前古川教会に赴任し、家からは遠くになってしまいましたが、1979年に大塚平安教会に赴任することになりました。大塚平安教会は綾瀬市にあり、実家に近くなったことで喜んだ次第です。その頃の両親は80歳を過ぎており、姉と共に暮らしていたのです。そして、姉が病を持つ様になりましたが、一時的な入院があり、しかし退院すると両親の世話をしながら過ごしていたのです。先に母を送りました。そして父を送る時は姉自身入院中であったのです。母と父を送った姉です。父の死後2年で姉も召されて行ったのでした。「私がお父さんとお母さんと暮らすから、伸治は牧師さんになりなさい」と言ってくれた姉であり、その使命、約束を終えて天に召されたのであります。この姉、鈴木美喜子が一人の伝道を育てたと示されているのです。
 その姉は神様の癒しの指を見つめていました。そしてその神様の指が救いの十字架を指し示していることを受け止めて人生を歩んだのであります。「この指とまれ」と子供の遊びがあります。神様が指を私達に示してくださっているのであります。神様の指に指し示さされる十字架の救いに委ねて、私達の祝福の人生が導かれることを今朝示されたのであります。
<祈祷>
聖なる神様。神様の指し示す十字架の救いを与えてくださり感謝致します。神様の救いの指にとまりつつ歩ませてください。キリストの御名によりおささげします。アーメン。