説教「注がれている慈しみ」

2015年4月5日 六浦谷間の集会礼拝
「復活節第1主日イースター

説教・「注がれている慈しみ」、鈴木伸治牧師
聖書・エレミヤ書31章1-6節
    コリントの信徒への手紙15章12-20節
    ヨハネによる福音書20章1-10節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・151「よろずの民、よろこべや」
    (説教後)讃美歌54年版・312「いつくしみ深き」


 本日はイースター、主イエス・キリストの復活祭であります。昨日まで、2月18日から40日間は受難節として歩んでまいりました。40日の中の日曜日は数えられていませんが、イエス様の受難の道、十字架への道を示されながら歩んでまいりました。そのイエス様のご受難の道は十字架に至ることでありますが、その十字架は私達を救いへと導かれることでした。ですからイエス様の受難は悲しいことですが、私達を救いへと導くことでありますから、むしろ喜びであることも示されています。前週の日曜日は棕櫚の主日であり、受難週の始まりです。この受難週の過ごし方をスペインのカトリック教会で示され、お話ししました。すなわち棕櫚の主日はイエス様が十字架による救いへと歩んで行くことなので、喜びでもあるのです。カトリック教会では子供たちも聖壇に上がり、持っている棕櫚の枝を床に打ち付けて喜びを現し、救いのイエス様を迎えるのでした。だから、日本のように受難週は忍耐をいただいて歩むというより、救いの喜びを現しながら歩むということを示されたのであります。主イエス・キリストは人間をお救いになるために、ひたすら十字架を目指して歩んだのでありました。
 4月となり、新しい歩みが始まりました。入学式、入社式等が紹介されていますが、私達も新たなる思いで歩みだしたいのであります。信じる道を踏みしめて行くこと、必ず祝福があるのです。3月末でNHKの朝の連続ドラマ「マッサン」を楽しみつつ見ていました。この物語は私とまんざら関係のない話でもないので、興味がありました。「まんざら関係のない話ではない」と言っていますが、もうずいぶんと昔に遡ります。「マッサン」はニッカ・ウィスキーの創業者、竹鶴政孝さんの物語でありますが、彼の妻になるリタさん、ドラマではエリーさんの日本における苦難の物語であり、夫婦愛が展開されるのであります。物語のエリーさんが実在したリタさんであることを知ったとき、これは「まんざら関係のない話ではない」ことを知るのです。私が神学校に入学するのは23歳の時であります。翌年のこと、余市教会に夏期伝道に行くことになります。夏期伝道とは、神学生が夏休みを利用して教会の奉仕、実習をすることです。その余市教会の付属幼稚園が「リタ幼稚園」でありました。余市教会がニッカ・ウィスキーの創業者とどのようにかかわるのか。そのリタさんの葬儀の司式を吉岡一牧師が担当したからです。1960年に吉岡一牧師が余市教会に就任します。リタさんはその翌年1961年に召天されたのです。竹鶴さんは葬儀の謝礼として教会に寄付をしました。教会は1950年に付属幼稚園を設立しています。教会、幼稚園は木造で戦争や台風で老朽化し、傷んでいたので、その寄付金を加えつつ教会と幼稚園を新しく造りなおしたと言われます。それで余市教会は新しく造りなおした幼稚園を、リタさんのお名前を記念として、「リタ幼稚園」と改名したのでした。 私が神学校に入学したのは1963年4月であります。そして、その翌年の1964年に余市教会の夏期伝道に行ったのですから、余市教会もリタ幼稚園も真新しい建物であったのです。それこそリタさんの匂いが残されている時でもありました。そのとき、リタ幼稚園の由来については聞いていました。だから「まんざら関係のない話でもない…」朝の連続テレビに興味をもってみることになりました。
 楽しみに「マッサン」を見ていましたが、2014年10月21日から2015年1月8日まで、スペインのバルセロナで滞在することになりました。何とも残念な思いで赴いたのですが、この現代において残念はありません。ネットで再放送を見ることができたのでした。連れ合いのスミさんは、この再放送をいつも見ていました。私も飛び飛びに見ていましたが、その頃は、まだ余市物語ではなく、今年になって余市が舞台になり、懐かしい思いで視聴していたのであります。「マッサン」はウィスキー作りの物語と共に、マッサンとエリーさんの夫婦愛の物語でもあります。ひとたび取り組んだウィスキー造りですが、いろいろな問題もありました。挫折もありました。しかし、夫婦が励ましあって目的地に達したのであります。私はその様な夫婦の歩みを信仰の世界と重ねてみていました。私達にとりまして、信仰の原点である神様が、慈しみを注いで私達を導いておられるということです。神様が慈しみを注いでくださっているから、私達に与えられている現状を喜んで歩みたいのであります。たとえ今がどのような現状でありましょうとも、神様が慈しみをくださっているということが基なのであります。

 本日の聖書、旧約聖書エレミヤ書は新しい歩みを励ます言葉です。聖書の国は小さな国で、いつも周辺の大国に脅かされています。それで上に立つ指導者たちは、人間的な力関係に依存しようとしているのです。神様の導きを忘れてしまっているのです。その様なとき、エレミヤという預言者が人々を神様の御心へと導くのです。聖書には「新しい契約」との題がつけられています。もともと神様が最初の人アブラハムを選んだとき、約束、契約を与えました。創世記12章に記されています。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」と約束するのです。この契約のもとに聖書の人々は神様の御心によって生きるようになります。その基が十戒というものです。それを纏めれば「神様を愛し、人々を愛する」ことですが、人々はこの基本的な生き方ができないのです。そして、人間の力関係に頼ることになるのです。この様な人々に対して、神様は聖書の人々を見捨てたのです。しかし、見捨てたにもかかわらず、神様は再び聖書の人々に目を向け、導きを与えるのです。それが「新しい契約」でした。「主はこう言われる。民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける。イスラエルが安住の地に向かうときに。遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」と示しているのです。
 神様が聖書の人々を慈しむと示したとき、人々の神様への裏切りがありました。戒めを破って人を傷つけ、裏切り、自分勝手に過ごしてきました。神様の審判を受けるところでありますが、神様はそれらの人々を受け止め、罪を赦し、新しく生きる道を与えているのです。あなたがどのような時でも、いつも神様の慈しみが与えられているのであるから、神様の原点に戻りなさいと示しているのです。「神様を愛し、人々を愛しなさい」と原点を示しているのです。
 大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園を退任してから5年になりますが、3月、4月になると幼稚園在任時代を思い出しています。3月には卒業式がありますが、卒業証書を渡しながら、子供たちの頭に手を置き、「神様を愛し、人々を愛する人になりますように」と祝福のお祈りをささげていました。その子供たちがそれぞれの状況で4月を歩みだしていることを思います。どのような状況でありましょうとも、神様の慈しみが注がれていることを原点にしつつ歩んでいただきたいとお祈りしているのです。

 私達も新しい歩みが始まりました。主イエス・キリストのご復活が私達を新しい歩みへと導いてくださるのであります。今朝はヨハネによる福音書によりイエス様のご復活が示されています。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」と報告しています。週の初めの日は日曜日であります。ユダヤ教の社会でありますから土曜日は安息日であります。神様が天地を創造され、七日目に休まれたので、土曜日は安息日とされました。安息日は神様の創造を感謝し、そのご栄光をたたえる日であります。そして翌日の日曜日から生活に戻るのであります。週の初めの日になります。社会では週末と言えば、土曜日、日曜日でありますが、キリスト教では日曜日が週の初めの日であります。それは主イエス・キリストが甦られたので、新しく始まる日とされました。日曜日はご復活のイエス様を喜び、讃美する日であります。
 マリアさんが日曜日の朝早く、まだ暗いうちに、イエス様のお墓に行きました。ところがマリアさんがイエス様のお墓に行きますと、墓の前に置かれていた石が取りのけられているのを知るのであります。この時代の埋葬は横穴に遺体を安置するものであり、入口が空いていれば、動物が入ることが考えられるので、石でふさいでいたようです。しかし、マタイによる福音書の報告によりますと、かねてよりイエス様は十字架にかけられ、墓に納められて三日目に復活することを示していましたので、それを聞いている時の社会の指導者達は、イエス様の弟子達が死体を盗んで、どこかに隠し、イエス様は復活したと言いふらすと思いました。ですからお墓の入り口を大きな石でふさぎ、番兵をつけて死体を盗まれないようにしたと報告しています。しかし埋葬されてから三日目の朝、その大きな石はもろくも動かされたのであります。ヨハネによる福音書はその辺りは詳しく報告していません。お墓参りに行ったマリアさんも、当然のことながら入口は石でふさがれていると思って行ったのであります。ところが石は取りのけられていました。そこですぐにお弟子さん達に知らせに行くのでありました。知らせを聞いたペトロさんと「イエス様が愛しておられたもう一人のお弟子さん」が、墓に走って行きました。彼らもお墓の入り口は石でふさがれていると思っていたのであります。そして、お墓について、確かにイエス様のご遺体がないことを確認したのであります。
 彼らはイエス様がご復活になられたことには思いが及ばなかったのであります。この時点では、かねてよりイエス様がご復活することを示していたにしても、復活されたということには思いが及ばなかったということであります。しかし、彼らの確固たる思い、イエス様はお墓の中に安置されているという事実が否定されたのであります。イエス様のご復活を確信する第一の段階であります。すなわち、私達は自分が絶対と思っていることが、イエス様のご復活によって打ち破られるということであります。今までこのようであったから、このように展開していくだろうとは私達の思いであります。しかし、私達の思いは打ち破られるのであります。まず、十字架にかけられ、死んで葬られ、三日目にご復活されたということは、本当は信じられないのであります。ところが今は、私達は信じています。主イエス・キリストは十字架におかかりになりました。それは時の社会の指導者達の妬みでありました。しかし、神様は人間がどうしても克服できない姿、内面的な悪の姿、自己満足、他者排除の根本的な姿をイエス様の十字架の死と共に滅ぼされたのであります。私達は十字架を仰ぎ見ることによって、私の内なる悪の姿が滅ぼされたと信じるのであります。救いであります。自分ではどうすることもできない自分自身をイエス様がお救いくださったのであります。イエス様のお弟子さん達はイエス様のご復活を信じる第一関門を通過したことになります。絶対と思っていたことが打破されることです。そして、この後、ご復活のイエス様が現れ、ご復活を示されたのであります。もはや第一関門を破られているお弟子さん達は、そのままご復活のイエス様を信じたのであります。私達も第一関門である絶対性を打破されなければなりません。そして、そこにこそご復活のイエス様が現れ、力を与え、導きを与え、新しい歩みへと導いてくださるのであります。主イエス・キリストのご復活は新しい歩みを導いてくださるということであります。そして、新しい歩みには神様の慈しみがそそがれているのです。

 「いつくしも深き、友なるイエスは」という讃美歌があります。私達は讃美歌の54年版を使っていますが、312番になります。この「いつくしみ深き」の讃美歌を私の母はとても大好きで、いつも口ずさんでいました。母はキリスト教信者ではありません。むしろ浄土真宗の信仰を持って生きた人でした。私は5人兄弟の末っ子ですが、長姉と次姉は清水ヶ丘教会員で、私を含めて3人の子供たちがクリスチャンでした。両親は自分達が浄土真宗でありますが、子供たちが教会に出席するのを見守っていたのです。長姉は日曜日に教会から帰ると、牧師の話し、説教を報告していました。そして長姉と共に讃美歌312番を歌っていたのです。その母は1989年5月29日、91歳で亡くなりました。病院にいる母のベッドの横で、長姉がいつも讃美歌312番を歌って聞かせていたことが思い出されます。葬儀は自宅で行いました。母の信仰を尊重して浄土真宗で行いました。葬儀には友人の牧師7、8人が来てくれました。通夜の葬儀が終わって、いわゆるお清めの時、牧師たちに母の愛唱讃美歌であった312番を歌ってもらったのです。和尚さんもそこにいましたが、鈴木家の子供たちがキリスト教であることを知っていましたので、讃美歌を歌うのを笑顔で見守っていました。「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いをとり去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかは下ろさぬ終える重荷を」と歌いますが、母は生前、この讃美歌を口ずさみながら、神様の慈しみを深く受け止めていたと思います。
 余談でありますが、通夜が終わり、讃美歌が歌われた後、お清めには和尚さんと共に牧師たちが加わり、いろいろと懇談したことが思い出されます。仏教のお坊さんとキリスト教の牧師たちが、葬儀ということで共に語らう、母の引き合わせであると思いました。浄土真宗の信仰に生きながら、子供たちのキリスト教を受け止めていた母です。神様の慈しみを示したと思っているのです。神様の慈しみが私達に与えられているのです。
神様の慈しみが私達に与えられているのです。どのような状況にありましょうとも、この現実に、神様の慈しみが与えられて歩むことが新しい歩みの原点なのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様の十字架、そして復活を感謝いたします。これらの事実は神様の慈しみです。復活の主に導かれつつ歩ませてください。主のみ名により、アーメン。