説教「救いをお知らせする」

2014年7月6日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第5主日

説教・「救いをお知らせする」 鈴木伸治牧師
聖書・アモス書7章10-17節
   使徒言行録13章1-12節
    マルコによる福音書6章6B-13節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・217「あまつましみず」
   (説教後)讃美歌54年版・502「いともかしこし」


 スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子が時々電話をかけてよこします。今回の電話で、説教のブログを公開しており、毎週の説教を公開していますが、6月29日の説教が公開されていないというのです。うっかり忘れていました。いつもは月曜日になると、前日の日曜日の礼拝説教を公開しているのです。ところが時々忘れてしまうことがあるのです。加齢によるものでしょう。現役時代はもちろん、毎週のように礼拝説教をしていました。しかし、時にはお休みすることがあります。神学生が礼拝説教を担当することがあります。また、何時もは6月頃には特別礼拝として、他の教会の牧師を招いての礼拝をささげます。そういうときには私自身の説教はありません。ですから年に数回は説教のお休みということがありました。ところが、現役を退任し、無任所牧師そして隠退牧師になりましたが、説教のお休みということがないのです。2010年9月末をもって横浜本牧教会の代務者を終え、10月から無任所牧師として過ごすようになりますが、長年、説教に向かいながら歩んできましたので、講壇に立たなくても説教を作成し、そして、その説教をブログとして公開するようになったのです。そして、説教が用意されているので、自宅で礼拝するようになり、連れ合いのスミさんと二人の礼拝が始まったのです。この礼拝には、時には知人が出席し、我が家の子供たちが出席することもあります。こうして2010年11月28日の礼拝から、六浦谷間の集会として礼拝をささげるようになったのです。現役時代は、時には神学生、時には他の牧師が講壇に立ちますので、説教のお休みがありましたが、隠退牧師になってから、説教のお休みということが無くなったのです。
 もっとも2011年4月4日から5月18日までスペイン・バルセロナに行きましたので、ブログには公開しませんでしたが、バルセロナでも礼拝をささげていました。2012年9月10日から11月6日まで、やはりバルセロナで過ごしましたが、そのときも礼拝をささげていました。そして2013年3月13日から6月4日までの3ヶ月間、マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師としてまいりましたが、現地の皆さんと共に礼拝をささげつつ過ごしたのであります。そのときもブログには公開しませんでしたが、外国に行っている間も礼拝をささげ、説教を担当しつつ過ごして来たのです。
 このように振り返ると、現役時代は説教のお休みがあったのに、隠退牧師になってからは休むことなく説教に向かっているのです。教会の現役牧師ではないので、時間的にもゆとりがあるわけで、ですから神様が、せめて説教は休むことなく続けなさいとご命令になっているのでしょう。説教のお休みがないということで不平を述べているのではなく、毎週のように御言葉に向かうお恵みをいただいているのです。心から感謝しています。主イエス・キリストの十字架の救いを信じる者へと導かれ、さらに伝道者へと導かれたのですから、人々に「救いをお知らせする」ことは生涯の務めとなっています。このようなライフワークを与えられていることを感謝しつつ、務めをはたしてゆきたいと願っています。

 そのために、まず神様のお心をいただかなければなりません。どのような状況にありましょうとも、神様のお心を土台として生きることなのであります。旧約聖書アモス書であります。アモスについては、今朝の聖書アモス書7章14節以下でアモス自身が言っております。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」と自己紹介しています。アモス書は紀元前8世紀に書かれた最初の預言書とされています。自らが示すように家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者でありましたが、社会の流れが悪い方向に向かっている中で神様の御心として示されるのであります。北イスラエルの社会に神様の御心を示すことがアモスの活動でした。時の王様ヤロブアムは神様の御心から反する歩みをしていました。そのイスラエルに神様の審判が下ることを示しています。今朝の聖書の前の段落は「第三の幻」との標題があります。7節「主はこのように示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる」と示し、主は言われたとして「見よ、わたしはわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下す。もはや、見過ごしにすることはできない。イサクの塚は荒らされ、イスラエルの聖なる高台は廃墟になる。わたしは剣をもってヤロブアムの家に立ち向かう」と示しています。「下げ振り」とありますが、これは紐の先に重い金属の塊をつけています。鉄筋コンクリートの解体現場で見かけますが、大きな金属の塊でコンクリートを壊していきます。ちょうどそのような破壊する道具であります。その「下げ振り」がイスラエルの聖なる高台とヤロブアムの家に落とすと言っているのであります。「聖なる高台」と言っていますが、本来は神様を礼拝する場でありました。それが、今は偶像がまつられ、偶像崇拝の場になっているのであります。
 今朝の聖書の冒頭に「ベテルの祭司アマツヤ」が登場しています。ベテルはイスラエルの中心的な聖所であります。そのアマツヤがヤロブアム王に対し、アモスが王に背いたことを進言します。つまり、アモスは「ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる」と述べていますよ、と言うのであります。しかし、アマツヤは王様に進言しながら、アモスに対しては、ただちにユダの国に逃れることを勧告しているのです。この北イスラエル、ベテルで騒ぎを起こしてもらいたくないと言っている訳です。いなくなれ、と言っているのであります。それに対してアモスは、「今、主の言葉を聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かってたわごとを言うな』と言う」、との主の言葉を示しました。「予言するな」とは、彼らは悔い改めないので、もはや神様の御心を伝える必要がないと言っているのであります。そのような人々には神様の審判が降る。むしろ神様の御心を聞く者に示しなさいと言うことです。御心を求める人に示し、この不安の社会、暗雲漂う社会から救われなさいと示しているのであります。従って、アモスはヤロブアムや祭司アマツヤに対して、悔い改めを迫ることなく、神様の審判のみを示しているのであります。
 御心は示されている。神様の御心の前にどのように立つのか、それは御心を示された者の責任であります。神様の御心は隠されているのではない。既に与えられているのであります。責任が問われているのであります。

 主イエス・キリストは言われました。「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出て行くとき、彼らへの証しとして足の裏の埃をはらい落としなさい」と示しています。福音を聞かない人々の責任であることを示しているのです。ここではイエス様がお弟子さん達を町や村へ遣わすにあたり、その心構えをお示しになっているのであります。まず、遣わすにあたり二人ずつ組にして遣わされるということです。一人であると、つい自分のわがままが出てしまいます。二人が組になる、励まし合って、力を出し合って福音を宣べ伝えるのであります。ここで「二人ずつ」とありますので、モルモン教にしてもエホバの証人にしても、二人ずつ組になって勧誘しているのです。イエス様はお弟子さん達を派遣するにあたり、「汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして下着は二枚着てはならない」と示しているのであります。いわば生活に必要なものは、自分で備えるのではなく、ただ神様に委ね、福音を力強く語ることを示されているのであります。自分のことは顧みず、ひたすら福音を人々に示すのです。そんなにしてまで神様の御心を示しているのに、もし人々が聞こうとしないなら、「足の裏の埃を払い落しなさい」と言うのであります。
 前週の6月28日に神奈川教区の総会が開かれました。もはや隠退しているので出席しませんでした。隠退していても隠退教師として准議員として登録されています。従って出席しなければなりませんが、現役としてのつとめは終わっていますので欠席したのです。日本基督教団には17の教区があります。神奈川教区は今頃の教区総会ですが、他の教区のほとんどは、毎年5月に教区総会を開催しています。教区総会には日本基督教団の総会議長が挨拶をすることになっています。挨拶文を作って、教区総会に出席した皆さんに配布し、それを読みながら挨拶するのです。しかし、総会議長が一人で17の教区総会に出席するのは困難であります。それで教団三役、総幹事が4人で分担して教区総会に出席するのであります。問安使と称しています。私も教団書記として殆どの教区総会に出席しています。ある年のことでありますが、西中国教区に問安使として出席しました。総会が始まるとき組織会があります。その時、教団の問安使受け入れ反対の提案がありました。その教区は教団に対して何かと問題提起を行っています。いろいろな問題を起こしているのは教団執行部の責任であるとして、問安使受け入れを拒否する提案でした。議場の皆さんは何が提案されているのか分からなかったようです。問安使を受け入れて教区総会を開催するのは、その教区の執行部の姿勢でありました。だから執行部の方針に賛成の人は挙手を求めたのですが、あまり手が上がらず、結局問安使受け入れ拒否となってしまったのであります。あの時、飛行機で行ったのですが、霧が深くてなかなか飛行場に着陸できず、何回も上空を旋回していました。ようやく着陸でき、総会の会場に向かったのですが、問安使拒否ということで、すぐさま会場を後にしました。飛行場から拒否されていたのであります。その時、教団議長に電話して相談したのであります。教団としてのメッセージを拒否されたのであるから、出席しないで帰ることにしました。その時議長は、足の裏の埃を払い落して帰ってきてください、ユーモアでありますが言われました。
 余談でありましたが、メッセージを携えて、お弟子さん達は村や町で福音を宣べ伝えたのであります。「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒した」と報告されています。今までお弟子さん達はイエス様の宣教の側にいて見ていました。しかし、今度はお弟子さん達がイエス様から力をいただいて宣教するのです。ここで「宣教」と示されています。「宣教」という言葉は新約聖書も中にいくつか記されています。コリントの信徒への手紙(一)1章21節、「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」と示されています。「宣教」とは主イエス・キリストの十字架の救いを示し、人々を救うことであります。その「宣教」と共に「伝道」という言葉があります。「伝道」もイエス様の救いを人々に示すことです。「宣教」も「伝道」も同じ意味であります。しかし、教会では「伝道」という言葉が使われています。伝道集会、伝道委員会の言葉を使い、宣教集会とは言いません。聖書は「宣教」でありますが、「伝道」は聖書の中に、その言葉がありません。「伝道者」との言葉がありますが、伝道という言葉は出てこないのです。伝道も宣教も主イエス・キリストの十字架の救いを人々に与えることです。

 私は日本基督教団の牧師として務めてまいりました。日本基督教団には全国に1700の教会があります。その日本基督教団は全国を17の教区に分けております。前任の大塚平安教会は神奈川教区の中にありますが、神奈川教区も五つの地区に分けています。横浜地区、川崎鶴見地区、東湘南地区、西湘南地区、湘北地区です。大塚平安教会は湘北地区の中にあります。湘北地区は17の教会があり、交わりを深め、歩調を合わせながら歩んでいるのです。ですから通常は日本基督教団としての歩みなのです。しかし、大塚平安教会は過去においてファミリークリスマスとして、他の教派の教会と共に市民クリスマスを開催しています。開催にあたり、それぞれの教派の特徴、信仰等について報告しあうときがあり参考になったのでした。主イエス・キリストの十字架の救いを信じるキリスト教は、教派を異にしても本質は同じなのです。
 隠退してからスペイン・バルセロナに滞在する娘の羊子のもとで二ヶ月ずつ、二回も生活しています。バルセロナ日本語で聖書を読む会があり、月に一回の礼拝でしたが務めさせていただきました。2011年にバルセロナに行ったときは、マドリッドにも行きました。マドリッドに住まわれるクリスチャン夫婦が、羊子のピアノ演奏による日本の災害復興支援チャリティーコンサートを開催してくれたのです。そのときマドリッド日本語で聖書を読む会の礼拝で説教を担当させていただきました。バルセロナにしてもマドリッドにしても、礼拝に出席される方はいろいろな教派の方です。信仰の違いはあるとしても、基本は同じなのです。マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会で三ヶ月ボランティア牧師を務めましたが、やはりいろいろな教派の皆さんでした。しかし、イエス様の十字架の救いを信じている皆さんなのです。救いを人々にお知らせすることは、皆さん同じであり、イエス様の十字架の救いを喜び、感謝しているのです。使徒信条は共に告白しましたが、信仰告白は割愛していました。しかし、聖餐式は共に与っていたのです。それによりイエス様の救いを喜び、証していたのです。いよいよイエス様の救いを人々にお知らせすることを今朝は示されたのでした。
<祈祷>
聖なる神様。私達も主の宣教に与り、救われました。感謝いたします。すべての人々に救いを知らせることが出来ますようお導きください。キリストの御名によって。アーメン。