説教「救いを見る導き」

2014年10月12日、横須賀上町教会
聖霊降臨節第18主日」、

説教・「救いを見る導き」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記32章23-33節
    マルコによる福音書14章32-42節
賛美・(説教前)讃美歌21・401「しもべらよ、み声きけ」
    (説教後)讃美歌21・456「わが魂を愛するイエスよ」


 10月は覚える日が続きます。前週は「世界聖餐日・世界宣教の日」としての礼拝でありました。私はその世界聖餐日に洗礼を受けています。1957年10月6日でした。高校三年生でした。その頃は清水ヶ丘教会に導かれておりました。高校生会や青年会の交わりで導かれていたのです。青年会の修養会に参加し、逗子海岸の近くの会場でしたので海水浴の時間があり、そこで泳いでいるうちにも、泳ぎながら倉持芳雄牧師に洗礼志願の告白をしたのでした。この不思議な洗礼志願告白を倉持牧師は深く受け止めてくださり、10月6日の世界聖餐日に洗礼式執行となったのであります。前週の礼拝説教でも証させていただいていますので、余り詳しくお話しはしませんが、10月はいろいろな日を覚えながら10月の礼拝が導かれています。10月の第2日曜日である今朝は「神学校日・伝道献身者奨励日」として、神学校を覚え、学ぶ神学生を覚え、さらに伝道献身者が与えられるよう祈る日であります。大塚平安教会在任当時、この神学校日礼拝で、大塚平安教会は伝道献身者が教会の規模から考えても多く送り出しているので、これ以上伝道献身者が出て欲しくない、なんて不謹慎な言い方をしました。せっかく教会員として育ったのに、他の教会のために送り出してしまうのは、もったいないという思いがありました。しかし、他の教会に送り出している事実は、教会の皆さんがそれらの教会をいつも覚えてお祈りしていますし、大塚平安教会に取りましても各地に伝道者を送り出しているという誇りが与えられており、本当にこの事実は感謝なのであります。大塚平安教会が送りだした牧師の一人が前任の森田裕明先生でした。18年間、教会と幼稚園を支えられたと思っています。今は横浜本牧教会でお働きですが、こちらの教会での務めが土台となって牧者として働いているのです。
 今朝は伝道者を送り出すことを示されていますが、前週は世界聖餐日と共に、世界宣教の日でありました。日本基督教団には世界宣教委員会がありまして、世界の至るところに宣教師を送り出しているのであります。昨年の2013年3月から6月までの三ヶ月間でありましたが、私共夫婦がマレーシアのクアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴きましたのも、この世界宣教委員会の推薦によるものでした。マレーシアの教会は2012年3月まで専任の牧師がおられましたが、高齢となり退任されたのです。それですぐには後任が決まりませんので、日本基督教団の隠退牧師が三ヶ月ずつ応援の牧会をすることになりました。三ヶ月はパスポートの期間であるからです。私達は五人目の牧師として赴きましたが、2014年4月からは専任の牧師が決まっております。二年間は定住の牧師はいませんでしたが、マレーシアの教会の皆さんはいろいろな牧師と共に、教会を担って歩まれたのです。こちらの教会も定住の牧師が不在の時もありましたが、皆さんが教会を支え、そして宮澤先生をお迎えになった喜びを持っております。こうした世界聖餐日、神学校日等を示されるとき、神様の救いを見る導きであると思っております。このように救いを見つつ、私達は救いの喜びを証するのです。それが次週の信徒伝道日ということです。

 旧約聖書は創世記32章23節以下、ヤコブの召命が示されています。「ペヌエルでの格闘」と題されていますが、この格闘を通してヤコブがみこころに従う者へと導かれていくのであります。ヤコブは聖書でも初期の人でありますが、極めて人間的に生きた人であります。その意味でヤコブを批判したくなりますが、しかしヤコブはこの私の自分の姿であると示されるのであります。聖書の最初の人物はアブラハムであり、ついでイサクに継がれ、そしてヤコブの時代になります。ヤコブはイサクの双子の子どもとして生まれますが、弟になります。ヤコブは自分が弟であることが面白くなく、兄エサウから兄の権利を奪ってしまうのであります。兄の怒りから逃れるために、ヤコブは母の兄ラバンのもとに逃れる事になります。ここで平和な生活をすることになりますが、伯父さんの羊を飼う仕事は、いくら働いても自分の財産とはならないのであります。そのため、伯父さんの羊とは別に、自分の羊を飼うようになり、それも随分と多くの羊を飼うようになるのであります。このこともヤコブの人間的に巧みな生き方でもありました。ヤコブは、年月を経ていよいよ故郷に帰ることにしました。しかし、故郷には騙した兄がおり、その兄のもとに帰ることの危険がありますが、やはり故郷へと帰って行くのであります。故郷を前にして、ヤコブは兄エサウへ沢山の贈り物を届けさせました。そして、明日は兄エサウとの再会というとき、ヤコブは家族や僕たち全員をヤボク川の向こうに渡します。そして、その夜は一人ヤボク川のこちら側で夜を過ごすことにしたのであります。
 そこで今朝の聖書になります。もはや夕刻でありますが、ヤコブが一人でいると、何者かが現れ、ヤコブと格闘をしたと言うのであります。その辺りは詳しく記されません。一晩中格闘したと記しています。「その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた」と記しています。するとヤコブと格闘している人は「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」と言いました。するとヤコブは、「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」と言いました。すると、格闘していた相手は、ヤコブの名を確かめ、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と言われたのでありました。
 ここに示されていることは、何かよく分からない面があります。ヤコブと闘った相手は神様であるということは、ヤコブ自身が分かるようになります。そして、自分と闘っている存在が神様であるとき、ヤコブは相手に祝福を与えてくれるまで離さないと言いました。まさに、今まで人間的に狡猾と思える生き方でありました。今までは人間に対しての生き方でありましたが、今まさに神様と向き合うことになったということであります。人間ではなく、神様に向くとき、神様の祝福をいただかなければならないのであります。イサクの双子として生まれ、弟であるので家を継ぐことはできません。家を継ぐのは兄であり、父からの祝福をいただかなければなりません。ヤコブは兄をだまし、その祝福を狡猾な手段でもぎ取ってしまったのです。人間に対しては祝福をもぎ取ることはできました。しかし、神様の祝福はもぎ取ることはできないのです。だから、「祝福を与えてくださるまで離さない」というとき、「みこころに適うことをさせてください」と願っているのであります。そのように願うヤコブに、神様は「お前の名はなんというか」と尋ねます。「ヤコブです」とはっきり答えているのであります。ヤコブが自分の名は「ヤコブです」と答えたとき、それまでのヤコブの生き方がありました。人間的に狡猾に生きてきたヤコブです。自分の望む通りの生き方でありました。「ヤコブです」と答えたヤコブは、自分の人生のすべてを神様に申し上げたのであります。こういう私ですが、みこころに適うことを、させてくださいと願っているのであります。そのようなヤコブでありますが、神様はヤコブに御心を示しました。ヤコブは、もはや個人ではなく、イスラエル国家の中心になって行くのであります。神様のみ心に適うことを求め、また実践する者へと導かれていったのであります。

「みこころに適うこと」を実践されているのは主イエス・キリストであります。マルコによる福音書14章32節以下はイエス様が「ゲッセマネで祈る」ことが示されています。もはや主イエス・キリストの十字架の救いの時が、目の前に迫っている状況であります。マルコによる福音書は1章15節でイエス様が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われて、宣教を開始しました。そして、ガリラヤで伝道を始められたのであります。まず、4人の人をお弟子さんにしました。シモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネであります。汚れた霊に取りつかれている人をいやし、多くの病人をいやしました。さらにお弟子さんを加え、12人のお弟子さんと共に神の国の実現のために伝道されたのであります。そのイエス様の前に立ちはだかり、イエス様の伝道を批判するのは指導者達、律法学者やファリサイ派の人々でした。イエス様はユダヤ教の宗教社会の中で、新しいキリスト教を広めていったというのではなく、神様のお心に導かれ、現実を神の国として生きるということでありました。しかし、人々は主イエス・キリスト神の国の福音を示されながらも、現実を神の国として生きることができなかったのであります。神様は人々の自己満足、他者排除をお救いになるために、旧約聖書以来、戒めを与え、預言者を通して教え導いて来ましたが、人間は救われない存在でありました。ついに神様は主イエス・キリストにより救いを完成させるのであります。主イエス・キリストの十字架による贖いであります。人間の自己満足による他者排除を十字架により滅ぼされることでした。主イエス・キリストは神様の御心を知ります。神の国の実現のために伝道を致しますが、救いの原点がない限り人間は救われないことを示されるのであります。ご自分が十字架にお架りになることであります。神の国の福音を述べ伝えながらも、十字架の道を踏みしめて進むことになるのであります。そして、ご自分が「多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」とお弟子さん達にお話するようになりました。このことは三度もお弟子さん達にお話致しますが、お弟子さん達はその都度、「そんなことがあってはなりません」とイエス様に進言したりしていました。その時が迫ってきました。
 今朝の聖書はイエス様の救いの時、十字架の救いの時が間近に迫ったことが記されているのであります。マルコによる福音書14章は、イエス様がお弟子さん達と最後の晩餐をします。そこで記念となる聖餐式の原型をお示しになりました。そして、食事の後、お弟子さん達と共にゲッセマネというところに参りました。イエス様は、「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われ、少し離れたところでお祈りするのであります。イエス様は地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにお祈りされたのであります。「アッバ、父よ、あなたは何でもお出来になります。この杯をわたしから取りのけてください」とお祈りします。イエス様は一人の人間としてこの世に現れているのです。苦しいことは同じように苦しいのです。死にゆくこと、苦しみつつ死ぬことの恐れはあるのです。いよいよ、この時が来たのです。この時を見つめながら、神の国に生きる喜びを人々に示されてきたのです。しかし、ご自分の十字架の贖いがない限り、人々が神の国に生きることは実現できないのです。いよいよ、その時になりました。「この苦しみを過ぎ去らせてください」とお祈りしています。しかし、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」とお祈りされています。神様の御心のままにしてくださいとお祈りしているのであります。すべてを神様に委ねておられるのであります。
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 「みこころに適うこと」、自分の思い、計画ではありません。神様の「みこころに適うこと」は、祈りつつ求めることであります。10月を歩んでいますが、いろいろと思い出がある月でもあります。大塚平安教会時代になりますが、この10月はお二人の召天された方を心に示されるのであります。お一人は伊藤雪子さんです。伊藤雪子さんは2000年10月3日に召天されました。84歳のお誕生日をお祝いして、お子さんたちとニューカレドニアに行かれ、楽しまれている最中に召天されたのでした。77歳で教会に出席されました。ご子息が教会員でありました。それまでのご苦労を担いつつ礼拝に出席されるようになり、翌年には洗礼を受けられました。ピアニストでありましたので、以後、教会学校の礼拝で奏楽のご奉仕をされていました。77年間の人生を振り返りつつ、きっぱりと「神さまに従う道」に切り替えられたのであります。召天されるまでの7年間は、まさに祝福のみこころを求めつつの歩みであったと示されています。
 もう一人の方は佐竹正道さんです。2002年10月7日、73歳で召天されました。お誕生日が5月10日であり、私の誕生日と同じで親しみを持っていました。佐竹さんは祖父の佐竹音次郎さんが社会福祉施設児童養護施設を開設され、利用者の皆さんと共に歩まれました。そしてご自身も1961年から10年間、社会福祉法人綾瀬ホームの園長として働かれました。その後は綾瀬町の町長に就任されました。そして1979年から社会福祉法人さがみ野ホーム園長に就任されます。1991年には神奈川県県議会議員になられ、広く活躍されました。何よりも信仰に生きることであり、7人のお子さんたちには、「牧師先生の説教は神様の声として聞きなさい」と諭されていたのであります。感銘深い歌を残されていますので、いくつかを紹介しておきましょう。「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」、「あの方の感謝の祈りにリズムあり 主の祈りの如詩編読む如」、「この週も悔い改めの数多き 説教聞きつつ悔いつ祈りつ」等の歌は心に示されるのでありました。神様に従う道、「正道」を貫かれたのであります
 神様のみこころを求めての道を歩む、と一口で言いますが、日々の歩みはまさに祈りつつ歩む日々なのです。私たちは神様にしっかりと向き合い、祈りつつ歩むことです。神様のみこころをいただきつつ歩む、救いを見る歩みになっていくのです。
<祈祷>
御神様。主の十字架の救いを与えられ、この群れの一員として歩むことができ感謝致します。みこころに適う歩みをお導きください。主の名によりおささげします。アーメン。