説教「現実のお導き」

2017年6月4日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第1主日聖霊降臨日 (ペンテコステ

説教・「現実のお導き」、鈴木伸治牧師
聖書・ヨエル書3章1-5節
    使徒言行録2章1-13節
     マタイによる福音書12章15-21節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・181「みたまよ、くだりて」
    (説教後)500「みたまなるきよきかみ」


 今朝はペンテコステであります。聖霊がお弟子さん達に降り、聖霊の導きのままにお弟子さん達は力強く立ち上がったのであります。主イエス・キリストと共にいたお弟子さん達は、自分達の中で誰が一番偉いのかと論じ合ったり、イエス様が捕らえられると四散して、自分とは関係のないと言うのでした。極めて人間的に弱い弟子達でありました。しかし、その人間的に弱いお弟子さん達に聖霊が降り、自らの足で立ち上がり、聖霊の導きのままに、主イエス・キリストの十字架の救いを人々に宣べ伝える者へと導かれたのであります。彼らの証し、彼らの働きが全世界の人々に福音が宣べ伝えられていったのでありました。今朝、私たちも聖霊をいただいています。もはや、自分の弱さを嘆く必要はありせん。聖霊が私たちを導いてくださるのです。聖霊の導きに委ねることが今朝の私たちの姿勢なのであります。
 前週6月1日は、今私が勤めている早苗幼稚園の創立記念日でした。今年で109年を歩んでいます。まだ、幼児教育が普及していない時代に、この取り組みが始まったのですから、日本における幼児教育の先駆けとなっているのです。1908年6月1日を創立記念日としていますが、前身の20年間も心に示されておかなければなりません。1880年明治13年)にアメリカの教会からミス・ブリテンという婦人宣教師が派遣されました。当時は徳川幕府時代からのキリスト教禁止令が解かれたばかりで、まだキリスト教に対する圧迫がある社会でした。そのような中でブリテン宣教師は、来日後一か月で横浜山手居留地ブリテン女学校を開いたのです。これが横浜英和女学校(後の成美学園、現在の横浜英和学院)であり、その中に幼稚園も含まれていました。早苗幼稚園の前身であります。しかし、その後、園児が続かず、幼稚園はなくなりました。そして、1908年に現在の本郷町付近に「シールド早苗幼稚園」として、横浜英和女学校から独立しました。この幼稚園の復活をもって早苗幼稚園の創立としています。今日までキリスト教の精神により幼児教育が続けられており、今後も創立の精神を基として幼児教育の使命に立たされています。創立精神とは、「自分を愛するように、隣人を愛する」とのイエス様の教えを実践することです。
 本牧の地にあり、歴史のある幼稚園でもありますので、多くの園児数になっています。今は、子育てを奨励しており、どこの幼稚園も預かり保育をしています。それは働くお母さんが多くなっているからです。早苗幼稚園も、多い時は30名もの子どもたちを夕刻6時30分まで預かっているのです。従って、保護者の皆さんの幼稚園における活動が少なくなっているようです。前任の幼稚園では、お母さんたちの活動がいろいろとありましたが、時代の波と言いましょうか、幼稚園は子どもを長く預かる傾向になっています。それでも、キリスト教主義の幼稚園ですから、保護者会の前には礼拝をささげ、子どもたちのキリスト教教育を深めているのです。109年の歴史を振り返ったとき、そこには聖霊のお導きがあり、今日の幼稚園として存在していることを示されています。聖霊は「現実のお導き」であるのです。

 神様が聖霊をくださるということは、主イエス・キリストのお約束でありました。しかし、聖霊が降ることは旧約聖書からの約束でありました。今朝の旧約聖書はヨエル書3章1節以下であります。神様の霊が注がれるという約束が示されています。「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」と示しています。神様の霊が注がれることにより、若者も年配者も神様のお心にあって生きると示しているのです。
 聖霊旧約聖書から示されていることでありました。霊の力が一人ひとりを力強く立ち上がらせることは旧約聖書のメッセージであるのです。聖霊により力強く立ち上がる人々についてエゼキエル書37章に示されています。「枯れた骨の復活」との表題がつけられています。預言者エゼキエルは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされました。このことは、エゼキエルが幻によって神さまのお心を示されていることなのです。ある谷に降ろされ、あたりを見回すと人間の骨が散らばっているのであります。しかも、それらの骨は枯れた骨だといいます。枯れた骨と言いますから、骨となって久しくたっているということで、触ればもろくもくずれてしまう骨でありました。そのとき、神さまの声がありました。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」と言うのです。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」とエゼキエルは答えます。骨が生き返る、しかも枯れた骨です。考えられないことでありますが、エゼキエルは神さまの御心にお任せしています。すると神さまは言われました。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。するとお前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」と言うのです。エゼキエルは命じられたように枯れた骨に向かって神さまの言葉を示します。すると、カタカタと音を立てて、骨と骨とが組み合わされるのです。そして、骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆ったのであります。こうして、枯れた骨でありますが、人間の姿になりました。しかし、その人間の姿には霊はなかったのであります。そのとき、再び神さまは言われました。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来たれ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る」と言うのであります。エゼキエルが命じられたように預言します。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立ったのであります。
 エゼキエルがこの預言を示されたとき、エゼキエルも人々もバビロンの国に捕われの身でありました。エゼキエルはもともと祭司の務めを持つ者でありました。ユダの国がバビロンに攻められ、多くの人々がバビロンの捕われ人になりました。エゼキエルもバビロンに連れて行かれました。それを捕囚と言っていますが、捕囚となって五年目に、エゼキエルは預言者としての召命を受け、神様のお心を人々に伝える者へと導かれたのでした。従って、エゼキエルの預言は捕われの境遇でありますが、その中で力強く神様の示しを語ったのであります。エゼキエルの預言は神様の裁きと回復について述べることに特色があります。神様の裁きは、人々が真に神様のご臨在を知るためでありました。ユダの国に対し、あるいは諸国の国に対し、神様は裁きを行うことを述べた後で、「こうして、お前はわたしが主であることを知るようになる」と述べるのであります。さらに回復を示し、それにより神さまを真に知るようになると示すのであります。今朝の聖書にも、「お前たちは生き返る」と示し、それにより神さまを真に知るようになると示しています。
エゼキエル書は捕われの身となり、希望をなくし、力をなくしている人々の回復を示しているのであります。その姿はあたかも枯れた骨でした。その枯れた骨が生き生きと立ち上がることを示しています。もはや、希望のない存在ではない、もはや力をなくしている存在ではないのです。霊が与えられ、生き生きと立ち上がる人々なのです。神さまの霊が与えられること、この原点は創世記における人間創造にあります。創世記2章7節にこのように記されています。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と示されています。神様が天地を創造され、天地や植物、生き物を造られ、最後に人間を造った状況です。もちろん、この描写は神話的でありますが、深い真理を示しているのです。神様は粘土で人の形を造りました。それはまだ人間ではありません。粘土の人の形の鼻に「命の息」を吹き入れることによって、人間は生きた者になったのであります。ここで、「命の息」と言われていますが、聖書の言葉であるヘブル語では「ルアッハ」と言います。このルアッハは「命の息」と訳されていますが、「霊」とも訳され、「風」とも訳されるのであります。エゼキエル書で、「霊よ、四方から吹きつけよ」と示しています。霊の風が四方から吹いてきて、枯れた骨のような状態の人々に与えられるのであります。希望をなくし、力をなくしている人々が生き生きと立ち上がったのであります。

 使徒言行録2章はお弟子さん達に聖霊が降った状況が示されています。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と記されています。聖霊が降った証しであります。聖霊は「激しい風のような」、「炎のような舌」と示されています。これはそのようにたとえているのでありまして、「〜のような」としています。聖霊が風であることはエゼキエル書において示されました。死んだように力をなくしている人々に神さまのルアッハが与えられることにより、力を得るのです。立ち上がることができたのです。この使徒言行録においても、力をなくしているお弟子さん達にルアッハが与えられたのです。「激しい風のような音」を聞いたのです。聞いたばかりでなく、一人ひとりに聖霊が降ったということです。
 そして、炎のような舌が弟子達の上に留まりました。舌、べろは味わう部分です。それと共に舌は言葉を作る部分であります。炎のような舌が留まるとは、力強い神さまのお言葉がお弟子さん達に与えられたことを示しているのです。それはまた、主イエス・キリストのお心であり、お導きなのであります。イエス様はこの聖霊を弁護者と言われ、真理の霊とも言われました。イエス様御自身が私たちの弁護者となり、真理の霊を与えてくださるのです。お弟子さん達は聖霊をいただき、もはや家の中に引きこもっていませんでした。五旬祭でにぎわう人々の中に出て行きました。聖霊の導きであり、力が働いて、今まで考えも及ばない歩みが始まったのであります。
 「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と証しされています。聖書の民、ユダヤ人は歴史を通して各地に散らされた民族でした。離散の民、ディアスポラと称しています。その散らされた人々が祭りになると故郷へ帰ってくるのです。旧約聖書詩編の中には「都もうでの歌」というものがあります。遠くから都に集まってくるのでありますが、道々何があるか分かりません。不安を持ち、危険をおかしながらも都に帰って来るのは、祭りを共に喜び、神様の救いの喜びを分かち合いたいからであります。こうして外国に住むうちに言葉も外国語になっているのです。ところが、自分の国の言葉で「神さまの偉大な業を語っているのを聞こうとは」と驚きつつお弟子さん達の証しに耳を傾けたのであります。聖霊の導きは人と人とを分かり合わせるのです。言葉が異なっても、聖霊の導きにより、出会いが与えられるのです。このことは、聖霊をいただいて語り合うとき、言葉と心が通じ合うことを示しているのであります。聖霊は人と人とを結びつけるのであります。一つの心へと導かれるのであります。

 今朝はペンテコステ礼拝をささげています。この六浦谷間の集会の上にも、聖霊が与えられているのです。丁度、このペンテコステの日は、六浦谷間の集会が始められて200回目の礼拝になります。聖霊をいただき、さらにこの小さな群れが、御心に委ねて歩むことを示されているのです。六浦谷間の集会として、今年の主題は「神様のお導きに委ねつつ」として与えられています。その主題に対する聖書は「わたしたちは、霊の導きに従って生きているのなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう」(ローマの信徒への手紙5章25節)です。まさに、この六浦谷間の集会は「霊の導きに従って」歩んでいるのです。現役を退任するにあたり、どこの教会に出席するか、夫婦の会話でありました。そして、この六浦谷間の集会が始められる経緯については、前週の説教でも証しています。2010年11月28日に第一回の礼拝をささげたのです。夫婦二人だけの礼拝でした。第二回目は、大塚平安教会員の方、小澤八重子さんが高齢となられて追浜の娘さんの家におられ、近くでありますので出席されました。また、大塚平安教会員ではありませんでしたが、礼拝に出席されていた田野和子さんも出席されたのです。その後、小澤さんは天に召され、田野さんは北海道にお帰りになりました。原則、夫婦だけの礼拝ですが、時には私達の子どもたちが出席し、また知人が出席したりしています。特にクリスマスやイースター礼拝に出席され、一緒にお祝いするのでした。毎週、六浦谷間の集会として礼拝をささげているならば、2014年11月には200回目を迎えていたはずです。しかし、横須賀上町教会、三崎教会、横浜本牧教会等のお招きをいただいており、その他にもお招きいただいていますので、その時には六浦谷間の集会はお休みになります。さらに、2011年は一ヵ月半、バルセロナに滞在していました。2012年も二ヶ月間、バルセロナに滞在しています。2013年にはマレーシア・クアラルンプールに三ヶ月間滞在しています。そして、2014年には二ヶ月半、バルセロナに滞在していたのです。こうして不在のときが多くありましたので、200回目を迎えるのは、開始より七年後になりました。他の教会にお招きいただく以外は、六浦谷間の集会で礼拝をささげつつ歩んでまいりました。実に、この六浦谷間の集会は、私達夫婦にとりまして、お導きでありますが、生きる支えになっているのです。誠に感謝であります。聖霊のお導きを深く示されているのです。聖霊は「現実のお導き」であります。
<祈祷>
聖なる御神様。聖霊のお導きを感謝致します。さらに導かれて六浦谷間の集会が祝福の歩みとなりますよう。イエス・キリストのみ名によりおささげします。アーメン。