説教「平和への道」

2015年8月2日 六浦谷間の集会
聖霊降臨節第11主日

説教・「平和への道」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記22章20-26節
    ローマの信徒への手紙12章9-21節
     ルカによる福音書10章25-42節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・420「世界のおさなる」
    (説教後)讃美歌54年版・531「こころの緒琴に」


 日本基督教団は8月の第一日曜日を平和聖日としています。今朝の礼拝は「平和への道」を示されるのであります。8月の第一日曜日を「平和聖日」と定めたのは、1962年12月3日に開催された第2回常議員会においてでした。日本の戦争中、1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされました。当時の広島市の人口35万人のうち14万人が犠牲となりました。9日には長崎に原子爆弾が落とされました。当時の長崎市の人口は24万人であり、7万3千人が犠牲となりました。これは亡くなった方々であり、原子爆弾により、今でも苦しんでいる人々がおります。日本はもはや戦争は続けられなくなり、敗戦を認めたのであります。それが1945年8月15日であります。
 日本基督教団は日本の戦争中1941年に成立しました。それまではいろいろな教派により信仰の歩みをしていました。しかし、国の強制的な政策で日本におけるプロテスタントの教会は一つにされたのであります。その頃の信徒運動も一つになることを目指してもいました。一つになって、名称を日本基督教団としたのであります。しかし、戦争が終わると、再び元の教派に戻っていく教会がありました。その中で、せっかく一つになったのであるから日本基督教団の教会として歩んでいくことことにしたのが、今の日本基督教団の教会です。そして、日本基督教団は1962年に「平和聖日」を定め、1969には「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、戦争責任告白を公にしたのであります。しかし、日本基督教団が公にしたというよりは、当時の総会議長の名で公にすることが決められたのであり、日本基督教団の名において公にしたというのではありません。
今の世の中、世界を見ると、人間の存在がおろそかにされているという印象です。平気で人を殺していく、自分達の思いのためには、排除し破壊していくのです。人が共に生きること、聖書の示しをしっかりと受けとめて歩みたいのであります。
今朝は「隣人」と共に生きることが示しであります。「隣人」について、今朝のルカによる福音書10章25節以下の「善いサマリア人」が示されています。ある律法の専門家がイエス様を試そうとして言います。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と質問するのです。イエス様が、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と逆に質問します。すると、律法の専門家は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」と答えるのです。この答えは、まさに模範的な答えでありました。ですからイエス様は、「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と言われたのです。それに対して、律法の専門家は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言ったのです。正しい答えはできても、具体的になると、判断ができないと言うことです。そこで、イエス様は「善いサマリア人」のたとえ話をしたのでした。ある人が道を歩いていると追いはぎ(強盗)に襲われます。倒れている人の側を三人の人が通りました。その三人の人がどのように対応したのか、ということです。最初の人も、二番目の人も、社会的には人望のある人たちです。しかし、彼らは見て見ぬ振りをして行ってしまったのです。瀕死の重傷をおっている人です。三番目に来た人は、倒れている人とは日ごろから仲のよくないサマリア人の外国人でした。しかし、彼はそんなことは考えず、すぐに近寄り、応急手当をして介抱し、宿屋に連れて行ったのです。このたとえ話をしたイエス様は、「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と尋ねました。律法の専門家は、「その人を助けた人です」と言わざるを得なかったのであります。
 「隣人」についての示しであります。私たちはこの聖書に励まされて、社会の人々共に歩むことが導かれています。すなわち、隣人は自分の好きな人、好みの人ではなく、今自分の前にいる人を、自分の感情を超えて接することであると示されるのです。

 私達は聖書を読めば、必ず示されることは「隣人と共に生きる」ということであります。主イエス・キリストは、「あなたがたは自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」と教えておられますが、この教えは旧約聖書により神様が教えておられることであり、イエス様はさらに強めて教えておられるのです。
 今朝の旧約聖書出エジプト記22章20節以下でありますが、「人道的律法」として示されています。苦しく生きる者を労りなさいという教えです。ここでは寄留者を虐待したり、圧迫してはならないと教えます。何よりも聖書の人々が、つい最近まで寄留者であったのです。聖書の人々は、当初はエジプトに寄留することになったのです。それは400年も昔になりますが、ヤコブの時代です。その頃、全国的に飢饉となり、神様の導きによりエジプトの大臣になっていたヤコブの11番目の子供ヨセフのもとに、ヤコブの一族がやってくるのです。それからはエジプトの寄留者となるのですが、エジプトの王は他国の民族が次第に増大して行くことに恐れを持ち、聖書の人々を奴隷にしてしまうのです。寄留者がその国で苦しむことについては、身を持って知っているのです。だから、まず寄留者をしっかり受け止めることが教えられているのです。
 次に「寡婦や孤児」を苦しめてはならないという教えです。夫を失った女性、両親を失った子供達は、生きることに困難です。だから、そのような存在を常に心に留めなさいと教えます。寡婦や孤児は、戦いが原因であることになります。そういう意味でも民族の責任として救済しなければならないのです。次に貧しい人たちを顧みるという教えです。お金を貸したなら利子を取ってはならないと示しています。あるいは隣人の上着を質に取ったならば、日没までには返さなければならないとしています。つまり、上着は夜寝るときに蒲団代わりになるからです。単に上着ではなく、大切な生活用品でありました。主イエス・キリストは、「あなたを訴えて下着を取ろうとするものには、上着をも取らせなさい」(マタイによる福音書5章40節)と教えています。上着は大切なものであり、旧約聖書からの人道的な戒めです。だから、裁判により下着を取るわけですが、イエス様は大切な上着をも与えなさいと教えているのです。この教えは「復讐してはならない」との教えの中で示されています。相手に対して自分を差し出しなさいと示しているのです。
 旧約聖書は貧しい者、孤児、寡婦、寄留者が安心して生きることが出来るよう、戒めとして人々に示されているのです。隣人を常に心にとめて生きるということです。このような戒めにより生きることで、自ずと隣人と共に生きることが導かれて来るのです。聖書は隣人と共に生きることが最大の教えなのです。

 人が共に生きることは、聖書の基本的な教えであります。新約聖書ルカによる福音書10章25節以下は「善いサマリア人」のたとえ話をと通して「隣人」を愛することの教えです。この教えについては最初に示されました。今朝はさらに「善いサマリア人」に続く、10章38節以下の「マルタとマリア」からも示されるのであります。
 「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった」と記されています。その村にマルタさんとマリアさんの家があるのですから、「ある村」はベタニア村になります。ベタニア村のマルタさんとマリアさん、それにラザロさんとは、イエス様は親しく交わっていたようです。マルタ・マリアさんの家に入りますと、イエス様と12人のお弟子さんと一緒であり、そのお弟子さん相手にイエス様がお話をしたようです。そのお弟子さんたちと共にマリアさんがイエス様の足元に座り、イエス様のお話に聞き入っていたと思われます。マルタさんはイエス様の一行をもてなすために、せわしく立ち働いていたのです。ところが妹のマリアさんはもてなしをしないで、ただイエス様のお話を聞くために座り込んでいるのです。つい愚痴がこぼれます。「主よ、私の姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」というのでした。
 マルタさんとマリアさんについてはヨハネによる福音書11章においても記されています。ラザロが病気であるので、マルタ・マリアさんはイエス様に人をやって知らせます。しかし、イエス様は知らせを聞いてもすぐには行きませんでした。二日間、同じ場所に居ましたが、ようやくラザロのもとに行くことになるのです。しかし、ラザロは既に死んでいました。イエス様を迎えたのはマルタさんでした。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言うのです。それに対してイエス様は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」と言われました。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じています」とマルタさんは告白しています。そして、マルタさんはマリアさんにイエス様が来られたことを知らせたのです。マリアさんはすぐにイエス様のもとへ行き、マルタさんと同じ言葉を言うのでした。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と全く同じ気持ちで言うのでした。つまり、マルタさんもマリアさんも主イエス・キリストを神の子、メシアとして信じていたのであります。この後、イエス様は墓の中に埋葬されているラザロさんを甦らせるのでした。
 マルタさんとマリアさんのイエス様に対する信仰はヨハネによって示されますが、今ルカによる福音書においてもその信仰が示されるのです。マルタとマリアの姿を教会では、良く引き合いに出しては示されます。多くの場合、婦人会の皆さんがマルタさんとマリアさんを自分たちに当てはめるのです。「私はマルタ役になって接待します」とか「私はマリアさんのように座ってお話を聞きます」と言う訳です。この場合、マルタさん役は、マルタさんの信仰に立って言っておられるのです。ただ、忙しく働くのではなく、イエス様への信仰があるから、イエス様に仕える者として奉仕されているのです。イエス様は10章の最初のところでお弟子さん達を宣教へと遣わすのですが、その心構えをお話されています。「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる」とお話されています。すなわち、神の国を宣べ伝えるとき、その神の国を受け入れる姿勢がその家にあるので、神の国が実現されるのです。マルタさんの働きは神の国の実現なのです。一方、マリアさんはイエス様のお話をお弟子さんたちと共に聞いているのですが、神の国の実現を聞いているのです。お弟子さん達は神の国の実現のために選ばれているのです。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とイエス様は言われています。「必要なことはただ一つ」と言われています。必要なこととは「神の国に生きる」ということなのです。神の国に生きるには、イエス様の御心をいただき、隣人と共に生きることなのです。隣人と共に生きるとは、「善いサマリア人」のたとえ話で示されますように、自分の思い、感情を超えて一人の存在を受け止めて生きるということであります。

 旧約聖書の刈り入れの人道的な規定に関し、ミレーの「落ち穂拾い」の名画が生まれました。ミレーはこの他、「晩鐘」、「羊飼いの少女」等の名画を残していますが、これらはいずれもフランスのパリにあるオルセー美術館に展示されています。2011年4月4日から5月18日まで、娘がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしていますので、連れ合いのスミさんと二番目の娘・星子と三人で、45日間行ってきました。滞在中、娘がパリの美術館に連れて行ってくれたのです。ルーブル美術館オランジュリー美術館、オルセー美術館を見学したのですが、そのオルセー美術館でミレーの名画を見ることが出来ました。美術の本等で良く見ています。大塚平安教会は毎年のことですが、聖画カレンダーを用いています。いずみ社が発行しています。いずみ社はミレーの名画を良く用いているのです。そのカレンダーの名画を一年間見ながら過ごしていました。パリの美術館の原画の前に佇んだとき、ミレーがまさに聖書の御心を受け止めて描きあげたことを示されたのであります。完成した名画を見ている訳ですが、ミレーはひたすら聖書の人道的な規定を心に示されながら描いたのではないでしょうか。常に聖書の言葉を持ちながら手を動かし、思いを寄せて描いたのだと思います。人間は隣人と共に生きることは自然なことであり、基本的なことでありますが、やはり神様のお心を示されつつ手を動かし、思いを寄せることが大切なことなのです。そうでないと、つい自己満足になってしまうからです。神の国に生きるとは、今の状況の中で、神の恵みを喜びつつ生きることです。今朝の聖書、ローマの信徒への手紙の中に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と示されていますが、共に生きる姿をミレーは描き続けたのであります。
 平和聖日を迎え、平和の原点は聖書の教えであると示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。神の国に生きる者へと導いてくださり感謝致します。この世の神の国実現の働き人とさせてください。イエス様の御名により祈ります。アーメン。