説教「神様の近くにある人生」

2014年1月5日、六浦谷間の集会 
降誕節第2主日」 新年礼拝

説教・「神様の近くにある人生」、鈴木伸治牧師
聖書・ゼカリヤ書8章1-8節
    テサロニケの信徒への手紙<一>2章1-8節
     ルカによる福音書2章41-52節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・413「父のみかみよ」
    (説教後)讃美歌54年版・516「主イエスを知りたる」


 2014年の歩みが始まりました。この年も神様のお導きがありますから、私達は神様の御心を求め、十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見つつ歩むのです。ベテスダ奉仕女母の家という団体が毎年「日々の聖句」を発行しています。ローズンゲンと称しています。大塚平安教会時代はこのローズンゲンで示される年聖句、月の聖句、また毎週の聖句を いただきながら歩んできたのであります。六浦谷間の集会では殆どローズンゲンを使いませんでしたが、今年から年の聖句を用いたいと思います。そのローズンゲンの2014年の聖句は「わたしは、神に近くあることを幸いとします」(詩編73編28節)であります。「神様に近くある」ということは、いつも神様を見上げている姿であり、主イエス・キリストの十字架の贖いを信じていることです。それだけで「神様の近くにある」のです。また、何事も聖書の言葉に人生を励まされていることです。そういう「神様に近くある」一年を歩みたいと願っています。それゆえ、今年の主題を「一生信仰」として歩みたいと思います。
 私は毎日散歩しながら過ごしています。しかし、ただ歩いているのでは、それは健康に良いのですが、目標があるから歩くのです。携帯電話には万歩計が設置されており、毎日の歩数がカウントされます。1時間30分くらい歩くと10000歩になります。この万歩計にはシルクロードを歩く設定があります。中国の西安からイタリアのローマまでの1200キロを歩くのです。今までも二回踏破しています。一回目は7ヶ月20日で踏破しました。二回目は2013年8月1日にローマに着きましたが、その時は8ヶ月14日も要しました。3月から6月までマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として滞在していましたので、歩いたことは歩いたのですが、いわゆる散歩は少なく、むしろ牧師館の中で歩き回っていたのです。帰国してからたくさん歩くようになりましたが、8ヶ月も要したのです。それで8月5日に再びシルクロードを設定しました。そして2014年1月3日に踏破しました。なんと4ヶ月28日で達成してしまいました。前回の半分の日程でした。8月は暑い日が続きましたが、秋ともなると気候も良く、歩くのが楽しみになったわけです。今回はぜひとも5ヶ月以内で達成しようという目標がありましたから、毎日2時間くらいの目標で歩きました。1月2日は24000歩もカウントしました。鎌倉まで歩いて行ったこともあります。その時も25000歩もカウントしています。そして、ついに1月3日に達成したのでした。ローマには昨年9月から二ヶ月間、スペイン・バルセロナに在住する娘の羊子のもとで滞在し、その時ローマ、ヴァチカンを見学していますので、シルクロードでローマを目指すことは楽しみでした。
 説教で長々と私の散歩のことなんかお話していますが、散歩中、いろいろな事柄を示されながら歩いています。いろいろな神社仏閣があり、時には屋台で賑わう時があり、人間の生き方、喜び方等を示されています。追浜の雷神社のすぐ隣に関東学院教会追浜集会所ができたり、その説教看板を見ながら歩いたり、いろいろな風景を見ながら「神様の近くにある」自分を示されながら歩いているのです。目標はローマですが、私達の人生の目標は「神様の近くにある」ということです。この目標を持って歩みたいのです。

 聖書は全体的には都エルサレムへの希望であります。エジプトの奴隷から解放されて、聖書の人々は、神様の導く乳と蜜の流れる土地カナンへと向かいました。そこで新しい生活が導かれ、都エルサレムが建設されるのであります。私が聖地旅行をしたとき、エルサレムは建都3000年ということで、特別な行事が行われていました。いくらかの献金、どれ位の献金を捧げたかは覚えていませんが、ツアーの皆さんも私も献金をしたのであります。献金された人の名前は、パネルに書いて、後世に残すということでした。私の名前が残されているか、確認していませんが、3000年前に造られた都は人々の希望でありました。歴史において、大国に侵入され、再び捕われの身になります。人々は都エルサレムへの帰還を待ちのぞみつつ苦しい状況を歩んだのであります。預言者たちの励ましの言葉も都エルサレムへの帰還でありました。
 今朝のゼカリヤ書はバビロンに捕われていた人々がエルサレムに帰還した後の時代であります。帰還した人々は、まず神殿を造ることでした。神殿も破壊されていたのです。エズラ記・ネヘミヤ記は神殿再建についての預言であり、励ましでありました。その後、ゼカリヤという預言者が現れ、人々を励ましているのであります。何よりも都エルサレムが喜びの場所となることを示しています。8章3節「主はこう言われる。わたしは再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる」と示されています。ゼカリヤの時代、都エルサレムの神殿再建が20年間停止していました。神殿再建の意欲が薄らいでしまったのであります。それに対して、ゼカリヤは神殿こそ人々の希望となり、喜びを現実的に与えてくれる場所であることを人々に示すのであります。「万軍の主はこう言われる。エルサレムの広場には、再び、老爺、老婆が座すようになる。それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。都の広場はわらべとおとめに溢れ、彼らは広場で笑いさざめく」と希望の言葉を述べているのであります。こうしたゼカリヤの励ましにより、20年間神殿再建が停止していたのでありますが、再建が再び始まり、ついに完成したのでありました。
 聖書の人々の都への思い、神殿への思いは信仰であり、その信仰が建都3000年にまでこぎつけているのであります。何があっても、まず都を思い、エルサレムの神殿を心にとどめるのであります。聖書の人々は、歴史を通じて外国の侵入を受け、その度に外国に散らされていきました。しかし、神殿のお祭りには必ず都に赴き、神殿でお祈りを捧げるのであります。詩編120編から134編は「都に上る歌」であります。前の口語訳聖書は「都もうでの歌」との題が付けられていました。都エルサレムの神殿にお参りに行くとの意味が強いのであります。しかし、都までの旅は危険があり、孤独な道のりでありました。詩編121編はこのように歌っています。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」と神様のお守りを信じて都へと上って行ったのであります。どのような困難な状況であろうとも神殿にお参りをすること、そこに力の基があり、生きる希望が与えられるのです。
 お正月の初詣はある意味では都もうでとも通じるところがあります。新しい年を迎え、願うことは家内安全、商売繁盛でありましょう。一年の初めに祈っておけば、一年中力になるのではないでしょうか。しかし、聖書の人々が都もうでをするのは、祈願のためではありません。神殿のお祭りは何よりも「過ぎ越しの祭り」でありました。昔、先祖が奴隷から解放され、神様が新しい土地を与えてくださったという感謝の祭りなのです。その感謝の祈りを捧げるために、遥かなる都の神殿へと赴くのでありました。
 聖書の人々は都エルサレムへの思い、神殿への思いが強い信仰となっていますが、新約聖書は、もはや目に見える都、目に見える神殿ではなく、新しいエルサレムを示しています。神様を信じる人々の群れ、それが新しいエルサレムと示しているのであります。そして、私たち自身が神殿であり、神様の御心を宿す示しへと導かれるのであります。「神様に近くにある」との生き方なのです。

 今朝の新約聖書ルカによる福音書2章41節以下は、イエス様も都もうでをしたことが記されています。ヨセフさんとマリアさんはナザレの村で生活していました。過越祭の時に都もうでをしました。その時、イエス様は12歳であったと言われます。子どもが都もうでを許されるのは13歳とされていますが、ここで12歳としたのは、12は聖書的な数字でもあったからであります。ヨセフさんとマリアさんはナザレ村の人々と共に連れ立って都もうでに行ったのであります。ナザレから都のエルサレムまでは100キロ以上あります。随分と長い距離を歩いていくのであります。イエス様も都もうでの年齢になったので、一緒に連れて行くことになりました。お祭りは7日間であり、過越しのお祭りが終わると、ナザレ村の人々は連れ立って帰ってきたのであります。ところが一日歩いたとき、途中で我が子イエスが道連れの中に居ないことに気がつきます。それで再び一日かけて都に戻ります。三日目に都に戻ったわけです。あちらこちら探しますと、我が子イエスが神殿の境内で学者達の真ん中に座り、話したり聞いたり質問したりするのを見るのであります。学者とはユダヤ教の律法の専門家であります。それらの人達と対等に話していたというのです。マリアさんは思わず叱りました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」というのでした。それに対して少年イエス様は「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言うのでした。
 「神殿での少年イエス」に示されていることは、イエス様の成長の過程でこんなことがありましたというものではなく、ルカによる福音書の著者ルカが、既にイエス様の救いの順序をここで提示しているのであります。ヨセフさんとマリアさんが我が子イエスを「捜す」時、ルカは「見つかる」「捜す」と言う言葉を使いつつ、神様の御心を示しています。失われた羊、ドラクメ銀貨を捜すこと、放蕩息子を捜すことは15章に記されています。イエス様が復活の朝、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と天使が言います。見つからないのは人間の思いで捜しているからであり、御心にあって捜すなら、真に生きるイエス様との出会いがあることを示しているのであります。見失ってから三日目にイエス様に出会うのは復活のイエス様との出会いへと導いているのであります。神殿の境内で学者達を驚嘆させたのは、イエス様がエルサレムで語られたことに多くの人々が驚嘆することを予め示していることになるのであります。
 こうしてルカによる福音書は、今後歩むべきイエス様の姿を予め示しているのであります。この都エルサレムで神様の救いの御業、十字架による救いが完成するのであります。人々が祭りになれば都もうでを行い、エルサレムと神殿に希望を持っているとき、主イエス・キリストは人々に真の希望を与えたのであります。都エルサレムは新しいエルサレムとして教えられるようになりましたが、しかし人々は救いを完成された場所、都エルサレムを聖地として、今でも多くの人々が訪れ、救いの出来事を辿り、救いの喜びをいただくのであります。今朝のルカによる福音書2章52節、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と締めくくっています。「知恵が増す」とは神様の御心に満たされるということであります。神様の御心は人間が共に生きることであります。上も下もない、常に平等に生きる、それが神様の御心なのであります。「神様に近くある」生き方なのです。

 新年を迎え、皆さんから年賀状をいただきました。今までの歩みの中で出会った人々です。出会った人々は私が牧師であり、幼稚園の園長であるということにおいての出会いです。従って、私としては、出会った人々が「神様の近くにある」方であるとして示されています。中林和子さんからの年賀状を心に示されています。「2006年の元旦に大塚平安教会を初めて訪れてから8年になります。今でも、鈴木牧師のお声が耳に残っています。感謝です」と記されていました。中林さんは2005年12月末にお電話をくださいました。お会いしたことはありません。お話によりますと新丸子教会の教会員ですが、綾瀬からは遠いこともあり、近くの教会に出席したいと願いつつ過ごされていたようです。他にもいろいろな事情があり、礼拝に出席できない日々が続いていたようです。それで決心して大塚平安教会に出席することにしたのです。まず牧師に電話し、新年と共に礼拝に出席させてください、ということでした。もちろん私は喜んでお待ちしていることをお伝えしました。そして2006年の新年礼拝は1月1日の元旦でした。姉妹は初めて出席され、それ以降は毎週出席され、家庭集会やお仕事会にも参加され、教会の皆さんとお交わりを深めながら信仰生活をされたのです。新丸子教会から大塚平安教会へ教会籍を移しての歩みとなりました。「神様の近くある」ことを目標にして歩まれているお証であると示されています。 
少年イエス様は神様の知恵により成長し、神様と人々に愛されたと示されています。都もうでをしたことで更に強く示されているのであります。私達にとって都もうではこの教会であります。この教会の中心は主イエス・キリストなのであります。ここは新しいエルサレムであり、新しい神殿があるところであります。私達は六日の旅路を終えて、今新しいエルサレムにたどり着き、新しい神殿の前に額づいているのであります。神様の新しい御心が与えられているのであります。特に今年の聖句として、「神様の近くにある」と聖書から示されています。新しい年は主の御心をいただきつつ歩むことを示されています。いつも新しいエルサレム、新しい神殿に集められて主の御心を与えられ、「神様の近くにある」私達がどのような問題に遭遇しましょうとも、困難に出会いましても、ただ御心を信じて歩むことを示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。新しい年が始まりました。この年も常に「神様の近くにある」歩みができますよう導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。