説教「恵みの時、救いの日」

2013年12月29日、六浦谷間の集会 
降誕節第1主日」 歳晩礼拝

説教・「恵みの時、救いの日」、鈴木伸治牧師
聖書・イザヤ書49章7-13節
    ヨハネの黙示録21章22節-22章5節
    マタイによる福音書2章1-12節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・114「天なる神には」
    (説教後)讃美歌54年版・118「くしき星よ、やみの世に」


 今朝は2013年の最終の礼拝であります。過ぎ去ってみれば早いものだと思いますが、しかしこの一年の歩みを振り返るとき、お恵みを常にいただきながら歩んだことを示されています。この六浦谷間の集会も11月をもちまして三周年となりました。日本基督教団の隠退教師となりましたが、隠退してもなお用いられていること、神様のお恵みであると思います。この2013年の六浦谷間の集会における礼拝は、本日を含めて24回でした、一年は52回の主日礼拝がありますが、六浦谷間の集会ではその半分も礼拝をささげませんでした。それは隠退しても用いられているからであります。24回の他の28回の礼拝は諸教会の講壇に招かれたのです。毎月第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝、聖餐式を司らせていただいています。二ヶ月に一度くらいの割合で三崎教会の講壇に立たせていただいています。今年は8月18日に、2010年3月まで30年間牧会した大塚平安教会に招かれ、11月3日には私の最初の教会である青山教会に招かれています。さらに11月24日には2010年4月から半年間、代務者を務めた横浜本牧教会に招かれました。何よりも今年の3月13日から6月4日までの三ヶ月間、マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴きました。現地の教会の皆さんと共に礼拝をささげ、諸集会を担当しながら過ごしたのであります。そのような訳で六浦谷間の集会における礼拝は24回にとどまりましたが、その他はいろいろな教会の講壇に立たせていただいたということです。神様のお導きであり、お恵みでありました。その他、神の庭・サンフォーレの礼拝、サンフォーレ戸塚クリスマス礼拝も担当しています。
 今年のお恵みを振り返っているのですが、11月にはスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子が一時帰国しました。青山教会、ドレーパー記念幼稚園、横須賀上町教会、三崎教会、ベストライフ相模原等でピアノのコンサートを開かせていただきました。多くの皆さんとの出会いが与えられました。私共がマレーシアで牧会しているときにも羊子のピアノコンサートを開かせていただいております。またそのコンサートにおいても牧師としてメッセージを取り次がせていただいております。一つ一つがお恵みの時であったと示されています。
 それから10月13日から14日にかけて清水ヶ丘教会壮年会の修養会の講師に招かれ、お話させていだきました。信仰者としてどのように歩むかという主題であり、イスラム教や仏教の信仰を垣間見ながら、キリスト教の信仰に生きる姿勢を示されたのであります。その意味で私自身、イスラムを学び、仏教の高僧と言われる人々の信仰の姿をいろいろな書物を読み示されたのであります。
 それから私達とお交わりをしている西尾弥生さんが、11月10日に横須賀上町教会で私から洗礼を受けられたことも大きな恵みであります。西尾さんは月に一度は六浦谷間の集会の礼拝か、または横須賀上町教会の礼拝にも出席しています。洗礼を受ける決心を導いて下さった神様に感謝したのでした。それと共に隠退教師になっても洗礼式執行ができましたことは私自身の喜びであります。牧師は御言葉を宣べ伝えていますが、洗礼者が与えられることが目的でもあります。現役在任中、求道者の皆さんを常に覚え、洗礼の決心が与えられ、洗礼式を執行した時の喜びはありませんでした。隠退教師となったとき、もはや洗礼式執行という喜びはないものと思っていましたが、神様がお恵みを与えて下さったと示されています。
 隠退教師になっても諸教会で用いられる時、やはりメッセージの内容は「恵みを下さる神様」であり、「救いを与えて下さる」神様の示しです。それは現役時代の目的でしたが、隠退している今も変わらないということです。

 旧約聖書イザヤ書49章7節以下が示されています。困難な状況に生きる人々、苦しみと希望をなくしている人々への導きの言葉であります。「人々に侮られ、国々に忌むべき者とされ、支配者らの僕とされた者に向かって」神様が言われているのであります。「わたしは恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた」と言われます。「捕われ人には、出でよと、闇に住む者には身を現わせ、と命じる」と示しています。あなたは見えない存在ではなく、はっきりと身を現わしなさい、と示しています。そして、神様が示す道をどうどうと歩みなさいと示しているのであります。どういう道なのか、「彼らは家畜を飼いつつ道を行き、荒れ地はすべて牧草地となる。彼らは飢えることもなく、乾くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き、湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる」のであります。「太陽も熱風も彼らを打つことがない」との御言葉はヨハネの黙示録7章16節で引用されています。ヨハネの黙示録の背景は、ローマ皇帝によるキリスト者迫害であり、どのような苦しみにあっても、神様のお救いがあり、導きがあると励ましているのであります。このイザヤにおきましても、苦しみに生きる人々への励ましであり、導きであります。この現実の中に神様の導きがあるということを知らなければなりません。いつか、こうなったら神様の導きがあるというのではありません。今の私に対する導きなのです。私の生活の現実に神様の絶大なお導きが与えられていることを受け止めることなのであります。
 「わたしはすべての山に道をひらき、広い道を高く通す。見よ、遠くから来る。見よ、人々が北から、西から来る」と言われます。神様の導きのままに、多くの人々が集まってくるのであります。いずれの人々も現実の中に神様の導きを確認したからであります。神様の導きは明日のことではありません。今、この現実の私に与えられているのであります。自分自身をよく見つめてみましょう。神様の導きの賜物に溢れているのであります。この現実に神様の導きのしるしが与えられているのであります。「わたしは恵みの時にあなたに答え」、「救いの日にあなたを助けた」と言われています。「恵みの時」と言われるとき、私達にとって喜びの日であります。しかし、ただ「喜びの日」が与えられることだけを思うと、喜びがないのは「恵みの時」がないのかと思います。神様が恵みを与えてくださっているのは、この現実の今であります。この現実に置かれている自分を深く思わなければならないのです。苦しい時にも、悲しい時にも、いつも神様のお導きを示されるのです。それがお恵みなのであり、この現実の中で神様を仰ぎ見ることが「恵みの時」なのであり、だからそれは「救いの日」なのであります。この現実の中に救いがあるということです。

 現実の生活の中に神様の救いの「しるし」を見たのは、マタイによる福音書の証言は東の国の占星術の学者であったということであります。占星術の学者とは、ペルシャの国のゾロアスター教の祭司と言われます。彼らは天文学、薬学、占星術、魔術、夢解釈を行う人たちでした。当時の学問に通じた学者でありました。従って、ユダヤ教には関係ない人たちでしたが、彼らの生活の中で神様の「しるし」なるものを知ったのでありました。祭司の働きをしていますから、何事も神託を求めていたのであります。星を見つめているとき、今まで見たこともない星を見つけます。学者達は毎日、星空を見上げては、今日はどんな星が出ているのか、強い光の星、弱い光の星、大きい星、小さい星を見つめていたのです。不思議な星と思える星を見たとき、彼らはすぐに御神託と示されたのであります。神様が救い主を生まれさせてくださったと理解したのであります。そして、すぐに不思議な星、神様が日常の生活の中に与えた「しるし」の星を目指して旅立ったのであります。
 こうして遠い東の国、ペルシャからユダヤにやってまいりました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と人々に聞いて歩くのです。これを聞いたユダヤの人々は驚きました。今はヘロデという王様がいるのに、また新しく王様が生まれたのかということです。嫌な予感がします。ヘロデ王も学者達の言っていることを耳にします。穏やかなことではありません。早速、学者たちを呼び、「見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と学者達を送り出したのでありました。学者達の前には東方で見た星が先立って進みました。そして、ついに幼子のいる場所の上に止まったというのであります。学者達は喜びにあふれたと報告しています。いかにも物語でありますが、マタイのメッセージとして示されなければなりません。
 学者達が家に入ってみると、幼子はマリアと共におられたのであります。ルカによる福音書は、イエス様の生まれた場所は馬小屋であったと示していますが、マタイによる福音書は普通の家であります。普通の生活が営まれる家の中に生まれたということであります。学者達はひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたのでありました。そして、このことを王様に知らせることなく、別の道を通って帰って行ったのでありました。ユダヤの普通の人々の生活の中に救い主がお生まれになったのであります。普通の生活の中に、神様の救いの「しるし」を受け止めなければならないのです。しかしユダヤの普通の人々は、自分達の普通の生活の中に、神様の救いの「しるし」を受け止めることができなかったのであります。普通の生活の中で、神様の救いの「しるし」を受け止めたのは、聖書の人々ではない、外国の人でした。ペルシャゾロアスター教の祭司であったのです。神様が世の人々をお救いになるために、御子イエス・キリストをこの世に生まれさせたとき、聖書の人々ではなく、外国の人が最初にイエス様にまみえたとマタイによる福音書は報告しているのであります。それは、普通の生活の中に、神様の救いの「しるし」が与えられているのに、知ることができない人々への反省を求めているのであります。
 長い間、救い主の出現を待ち望んできた聖書の人々であります。歴史を通して捕われの身となり、苦しい状況が続きました。その中で、今に救い主が現れて、この苦しみからお救い下さるのだと信じていたのであります。しかし、人々の待望は、救い主は力ある王様として現れることでありました。権威と力で悪を滅ぼし、平和な国を実現してくれるお方の出現を待望していたのであります。普通の生活ではない、別の次元の存在として考えていたのであります。従って、人々の普通の生活の中に出現した救い主を誰も知ることはできませんでした。そして、主イエス・キリストは公に現れるのが30歳頃とされますが、誰もイエス様を救い主とは信じなかったのであります。その教えに喜び、神様の業を示されても、ただ驚くだけで救い主の証しと信じる人はおりませんでした。そして、ついに指導者たちの扇動により、「十字架につけよ」と叫ぶようになるのであります。普通の生活の人々は、極めて自己満足と他者排除に生きていたのであります。だから、この現実の中に救いがあるのに受け止めることができないのであります。あの十字架は私の中にある自己満足を滅ぼすものであり、真に人を見つめ受け止めつつ生きることへと導かれるとき、この普通の生活の中に、導きの「しるし」が厳然と置かれていることを知るのであります。

 私達はいつも「恵みの時」を与えられているのです。自分で自分を判断している私達です。そして、自分の方向を決めているのです。まず、現実は「恵みの時」であると思わなければならないのです。今年の3月13日から6月4日までマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴きました。昨年の8月頃、日本基督教団世界宣教委員会の幹事の方から、マレーシアのお話がありました。その時、私は即座に断りました。その9月から二ヶ月間スペイン・バルセロナにいる娘のもとに夫婦で行くことになっていたからです。それに隠退している身分で、改めて牧会することに気が進まなかったということです。そのことを連れ合いのスミさんに話しましたら、むしろ行くことを勧めてくれたのです。隠退したと言っても、六浦谷間の集会の礼拝や、諸教会に招かれている訳であり、まだ余力があるというわけです。それにおそらくこのような努めは今後は無いであろうということです。私は世界宣教委員会の幹事には即座にお断りしたのですが、改めて承諾の電話をしたのでした。しかし、いつになるかは定まっていません。そしてスペインに滞在しているとき、我が家に世界宣教委員会から電話がありました。たまたま三番目の子どもの百合子が家の管理に来ていたので、今はスペインに行っており不在であることを伝えたのです。三番目の子どもが私の方に電話で伝えてくれましたので、すぐ日本基督教団に電話したのでした。用件はいつからマレーシアに行ってくれるかということでした。12月からか、3月からかということでした。スペインからは11月初旬に帰国するので、12月では忙しいので3月から赴任するということになったのです。
 私はマレーシアの三ヶ月の職務は、今では大きなお恵みであると思っています。お話をいただいたとき、自分の思いにおいて断っていたら、神様の「恵みの時」を失っていたことになります。現実をしっかりと受け止めることです。この現実に神様の「恵みの時」が与えられているのです。そして、それはまた「救いの日」であるのです。
<祈祷>
聖なる神様。一年の歩みが導かれ感謝いたします。この現実に「恵みの時」がありますから、現実をしっかりと受け止めさせてください。主のみ名によって祈ります。アーメン。