説教「輝く心を与えられる」

2013年1月20日、六浦谷間の集会
「顕現後最終主日

説教、「輝く心を与えられる」 鈴木伸治牧師
聖書、 サムエル記下23章1〜7節
   コリントの信徒への手紙<二>4章1〜6節
    マタイによる福音書17章1〜13節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・124「みくにをもみくらをも」
   (説教後)讃美歌54年版・533「くしき主のひかり」


 2013年のカレンダーが始まって今朝は20日になります。もはや新しい年と言っている訳には行きません。通常の生活を精一杯しながら歩んでいるのであります。そういう中で、いくつかの挫折感を持つのも今ごろではないかと思います。新しい年を迎えて、今年こそはこのように歩みたいと決心し、早速お正月から取組み始めました。例えば、毎日散歩するとか、日記をつけるとか、ノルマを決めて歩み出したのですが、いろいろな理由があるのですが、続かなくなってしまうのです。日本には「一年の計は元旦にあり」と言う言葉があります。元旦に「計りごとを立てる」、「自分の歩みを計画する」と言う意味合いであります。新しい年には心機一転して新しい歩みを始めるのですが、結局、今までどおりの生活に戻ってしまうのです。丁度、今ごろは心機一転がうまくいかなくて挫折感が募るときでもあるのです。人間の心の弱さを示されます。
 前任の大塚平安教会時代、年末に一人の婦人から電話がありました。その方は他の教会員ですが、所属する教会は川崎にあり、お住まいの綾瀬市からは遠いので、なかなか礼拝に出席できないようでした。「年が明けましたら、大塚平安教会に出席させていただきますので、よろしくお願いします」と言うことでした。川崎の教会は遠いので、迷っていたようです。「年が明けましたら」と心機一転して、自分の教会ではない、他の教会ですが、その教会で信仰生活を導かれたいということなのです。そして、新しい年になりましたら、その婦人が出席され、それからは毎週の礼拝に出席されるようになったのです。まさに「一年の計は元旦にあり」のように、もっともこの方は年末において新しい年の計を持っていたのですが、祝福の信仰生活が導かれたのです。この方にとって新しい教会において「輝く心を与えられた」のであります。礼拝において、信者の交わりにおいて、「輝く心」を導かれて、持続する姿勢へと導かれたのです。
 「一年の計は元旦にあり」と言われて、この一年の生活設計をする、あるいは新しい試みに向かうということでありますが、その取組みに「輝く心」がない限り、続かないのであります。新しい歩みに喜びがあるか、「輝く心」があるかと言うことです。それがないから持続することができないのであります。「三日坊主」とも言われます。「日記は毎年三日坊主だ」とも言われています。新しい年こそ、日記を書いて、自分の歴史を残そうと決心するのです。今までも取り組んでいなかったのですから、新しい年を迎えたからと言って、持続するものではありません。
 今朝は「輝く心」を与えられて、人生の取組みを祝福されたいのであります。「輝く心」を与えられて、人生を力強く歩みたいのであります。

 「輝く心」を与えられて、神様の召しにお応えしたのは、旧約聖書に登場するダビデでありました。今朝はサムエル記下23章1節から7節であります。「ダビデの最後の言葉」として記されています。このダビデの歌を紹介するために、「高く上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の語ったこと。イスラエルの麗しい歌」とされています。ダビデがこの歌を歌って死んでしまうというのではなく、ダビデが晩年になって歌ったものであります。この歌を歌っても、ダビデはまだ健在であります。このサムエル記に続いて列王記がおかれていますが、その初めに「ダビデは多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚も着せられても暖まらなかった」と記されています。老人になり、もはや晩年であることを悟りつつ、自分の人生を振り返りつつ歌ったのであります。
 「主の霊はわたしのうちに語り、主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる」と述べています。ダビデが神様のお言葉をいただいて、忠実に従ってきたことを告白しているのです。「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌えださせる陽の光」なのです。ここですこしダビデの歩んだ姿を見ておきましょう。「ダビデ」とは「愛される者」との意味です。まさにダビデは人々から愛され、後の世においては再びダビデが現れることが待望されたのです。それがメシア思想というものです。ダビデのように人々を平和に導いてくれる、その存在の出現を希望するようになるのです。ダビデがサウル王の次に王として選任されることはサムエル記上16章に記されています。もともとイスラエルという12部族の宗教連合体は王国ではありませんでした。しかし、周辺の国々は王国なので、人々は中心となる王を求めるようになり、初代の王に選ばれたのがサウル王でした。しかし、サウルは当初は神様の御心によって国を治めていましたが、次第に自らの腹をもって国を治めるようになるのです。それで神様はサウルを見放し、次なる王としてダビデを選任するのでした。
 しかし、ダビデが次なる王として選任されながらも、サウルは現存する王様です。それで、ダビデはサウル王に仕える家来になるのです。ダビデが戦いにおいて功績を上げるので、人々はダビデを称賛するようになります。それに対してサウル王は、人々の期待がダビデに傾いて行くので、ダビデを憎く思うようになり、殺そうとするのです。ダビデはサウル王から逃れて、隠れながら過ごすようになります。そういう中でサウル王は敵との戦いの中で戦死してしまうのです。それによってダビデイスラエルの王になりますが、ダビデが王として国を治めたのは40年であると言われます。「主の霊がわたしのうちに語り、主の言葉はわたしの舌の上にある」とダビデが言うように、ダビデは神様の御心を持って国を治めたのです。全体的にはダビデは神様に祝福された王様でした。しかし、人間的には至らない姿がありました。家来の奥さんが美しいので、その家来を戦死させ、その家来の奥さんを自分の奥さんにしてしまうようなこともありました。そのとき、神様の怒りがあり、心から懺悔したダビデでした。また、家庭的にも恵まれてはいませんでした。ダビデの子ども達、異母兄弟の対立があり、彼の晩年は内紛の連続でした。王子アブサロムによる王子アムノンの殺害、そしてアブサロムの反乱とその死がありました。家庭的には不幸なことが続きましたが、「主の言葉はわたしの舌の上にある」と言いつつ、御心をもって国を治めたのです。「神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光」というように、ダビデは輝く人生を歩んだのです。家庭的には不幸であっても、御言葉の輝きによって、彼自身も輝きつつ人生を歩んだことが示されるのです。「輝く心」がダビデを支えていたのです。

 その「輝く心」を与えてくださったのは主イエス・キリストであります。今朝の新約聖書はマタイによる福音書17章です。「イエスの姿が変わる」と表題がありますが、「イエス様の山上の変貌」として知られている聖書です。クリスマスに世に現れた主イエス・キリストであります。その後、成長してヨルダン川バプテスマのヨハネから「洗礼を受け」、その後「荒れ野で誘惑を受け」ます。それらのことがあってからガリラヤで伝道を開始し、お弟子さんを選び、マタイによる福音書5章、6章、7章で「山上の説教」をされます。そして、その後は多くの病人を癒し、人々に教えながら歩むのです。今朝の聖書17章の前の部分では、イエス様が御自分の「死と復活」について予告されています。その後、六日の後とされていますが、イエス様はペトロ、ヤコブヨハネの三人のお弟子さんを連れて高い山に登られました。するとイエス様の姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなったのであります。そして、そこにはモーセとエリアが現れ、イエス様と語りあうのでした。この光景を見て、ペトロは茫然となりながらも、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリアのためです」と言うのでした。ペトロが話していると、光り輝く雲が彼らを覆ったのであります。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえたのでありました。お弟子さん達はこの声を聞いてひれ伏し、恐れていました。もはや現実に戻っています。その彼らにイエス様が手を触れ、「起きなさい。恐れることはない」と言われたのであります。お弟子さん達は一瞬のことでありますが、光り輝くイエス様の姿を見せられたのです。見せられたことで、彼らは「輝く心」を与えられるのですが、それは後の歩みとなるのです。
 イエス様はご自分の「死と復活」を予告されました。イエス様が時の社会の指導者達によって殺されることを告げられたペトロは、イエス様をわきへお連れしていさめました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言うのです。するとイエス様は、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われたのでした。その後で、イエス様は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われましたが、ペトロをはじめお弟子さん達は悲しみが先行して、言われていることが分からなかったのです。このようなことがあってから六日の後なのです。山上でイエス様の変貌、光り輝くイエス様とお会いすることになるのです。「これは私の愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と神様の御声を聞きますが、その後、イエス様の予告通りに進んで行くとき、彼らには「光り輝く」イエス様の意味が分からなかったのです。お弟子さん達が「光り輝く」イエス様を信じるようになるのは、イエス様の十字架の贖いを信じてからでした。まさに主イエス・キリストは人間をお救いになるために十字架にお架りになり、人々の心の深い所にある自己満足、他者排除を滅ぼされたのだ、と信じたとき、彼らにとって主イエス・キリストは「光り輝く」存在でした。そして、イエス様の十字架を仰ぎ見ることにより、彼らも光り輝く心が与えられたのです。「輝く心」へと導かれ、彼らは立ちあがったのです。イエス様の「光り輝く」救いを人々に宣べ伝えて行く者へと導かれたのでした。
 コリントの信徒への手紙<二>4章1節から6節にもイエス様の光り輝く証しが示されています。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心のうちに輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」と示されています。「闇から光が輝き出よ」の言葉は、創世記1章に記されていることを引用しています。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして光があった」と1章1節以下に記しています。光があるから昼と呼ばれていますが、ここでは太陽の光ではないのです。創世記は太陽が造られるのは、その後の16節で、そこで太陽と月を造り、昼と夜を治めさせたと記しているのです。従って、3節に示されている「光」とは、神様のご栄光としての光なのです。この創世記の示しをコリントの信徒への手紙は、「闇から光が輝き出よ」と解釈しているのです。この光こそ、輝くものであり、その輝きは「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」と言うことです。

 一人の方のお証を紹介しましょう。大塚平安教会時代の井馬美恵さんです。2011年9月4日に92歳で召天されました。この井馬さんを示される時、「輝く心」を与えられて歩んだ人生であったと示されています。この方に信徒伝道日にあたり証しをしていただき、その証しは大塚平安教会50周年記念誌に掲載されています。その題は「栄光に輝く喜び」です。かいつまんで紹介します。「前週の礼拝には大久保ます子姉が出席されておられました。同姉の輝かしいお顔を拝見して、これこそ栄光であると思いました。私は、目が早く悪くなり、1974年に白内障の手術をしました。その頃から足がおぼつかなくなり、元気であるけれども老人になってしまいました。自分より年上の方々が力強くお働きになっており、焦りのようなものを感じていましたが、神様は今の私の姿を受け止めてくださっていると、牧師先生の奥さまに励まされました。そういう弱い私ですが、神様はいつも導いてくださっております。7年前に連れ合いが天に召されたとき、自分でもわからないままに落ち込んでしまいました。ある日のこと、牧師先生のお子さん、百合子ちゃんから電話をいただきました。百合子ちゃんは、教会で私と顔があったのに、私が見向きもしないで無表情であったと言われ、元気になってくださいと言うのでした。百合子ちゃんは、その頃は小学校6年生で、百合子ちゃんの言葉に、私は、はっとさせられました。百合子ちゃんは主のお使いだと思いました。私は、毎日、朝起きると共にお祈りしています。今はご奉仕はしておりません。今は祈るだけです。このまま年を重ね、ボケていくのですが、命の終わりまで光を与えてくださいと祈っています。私自身の終わりが来ても、主の御心のままに召される喜びをもっています。」
 天国におられる井馬美恵さんに申しあげますが、あなたは栄光に輝くお顔でしたよ。私達夫婦でお訪ねしては、井馬さんの輝くお顔に励まされました。主イエス・キリストの十字架の輝かしいお言葉をいただいていたのでありましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架の光を与えてくださり、感謝致します。この光を世の人々に証しできますよう御導きください。主イエス・キリストによりおささげします。アーメン。