説教「救いはここに」

2012年12月23日、六浦谷間の集会
降臨節第4主日」クリスマス礼拝

説教、「救いはここに」 鈴木伸治牧師
聖書、 サムエル記上16章1〜5節、
フィリピの信徒への手紙4章2〜7節
    ルカによる福音書2章1〜7節
賛美、(説教前)讃美歌54年版108「いざうたえ」
(説教後)讃美歌54年版111「神の御子は


 クリスマスおめでとうございます。西暦は主イエス・キリストがこの世にお生れになってから始まっていますので、今年で2012回目のクリスマスということになります。もっとも歴史的にはいろいろな問題点がありますが、素朴にそのまま受け止めたいと思います。2012年間も歴史においてクリスマスをお祝いしてきたことは、人類の恵みであり、神様の深いお導きであると示されます。それも、今朝のルカによる福音書の示しによれば、ベツレヘムの宿屋さんの馬小屋でお生れになったというのですから、こんなところから救いが始まったんだ、と思うのです。こんなところに救いが、今朝はそのようなテーマで御心を示されているのであります。
 クリスマスは世の人々も喜びであり、何故か喜びあっているのです。楽しく過ごせるからです。クリスマスのお祝いを友達同士で行う中にも元気が出て来て、新たなる歩みが導かれたということも聞いています。別にイエス様のお生れになったという信仰的なお祝いでなくても、ただクリスマスということで喜びあうことも、一つの意味があると思っています。クリスマスが一つのくぐりということも言えるのです。クリスマスで示される物語はアンデルセンの「マッチ売りの少女」です。
物語は年の瀬も押し迫った大晦日の夜でありますが、クリスマスのお祝いも続いている状況です。小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていました。マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべて売り切るまでは家には帰れないのです。しかし、人々は年の瀬の慌ただしさから、少女には目もくれずに通り過ぎていったのです。夜も更け、少女は少しでも自分を暖めようとマッチに火を付けました。マッチの炎と共に、暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えていきました。流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言った事を思いだしました。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れました。マッチの炎が消えると、祖母も消えてしまうことを恐れた少女は、慌てて持っていたマッチ全てに火を付けました。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていったのでした。新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいたのです。   
良くご存じの物語ですが、クリスマスに一つのくぐりを与えられ、この少女にとって祝福のときとなったのです。この物語を示されながら、このクリスマスに神様を信じる一人の方が天に召されました。大塚平安教会の井上フサ子さんです。今年で90歳になられていると思いますが、お一人で生活されていました。私達が30年間、大塚平安教会で過ごしたとき、井上フサ子さんには何かとお心にかけていただきました。私達家族の一人一人を心にかけてくださっていたのです。大塚平安教会の草創期からの方で、教会と共に歩まれた人生でありました。大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園のためにはいつもご尽力くださっていたと示されています。思い出は語りつくすことができませんが、以前は新年初週祈祷会は井上フサ子さんのお宅で開催されていました。集会が終わるとたくさんのご馳走を出されて、お正月料理はこちらで堪能するという思いでした。大塚平安教会の50周年記念誌には歴史を記しながら神様のお導きを感謝されています。「大きな限りないお導きとみ恵みを、どのように書き記せば良いのでしょうか。ふさわしい言葉も浮かんでまいりません。祈りなさいと示されます。祈りには、いたみが伴うものだよ、との言葉がよみがえってまいります。会堂の屋根の上に立つ十字架を仰いで、つまずきつつも、50年の歩みを支え、導いてくださった主に『有難うございました』を繰り返しながらペンをおきます」と記されています。90年間の人生に対して「有難うございました」と言いつつ天に召されたと示されています。井上フサ子さんの歩みを思うとき、「救いはここに」と言われつついろいろな人々にお証を示されたと思っています。

 旧約聖書も「救いはここに」と示しています。今朝はサムエル記上16章1節以下からです。その頃、聖書の国イスラエルはサウル王の時代でした。もともと聖書の人々は国ではなく、神様を信じる12部族の宗教連合体でした。しかし、周辺の国々は一人の王様を中心にして勢力を持っていたので、聖書の人々も12部族の連合体よりも一つの国になり、一人の王様を中心にして諸外国と対応した方が良いと考えるようになり、王国となったのでした。最初に選ばれたのはサウルでした。当初は神様の御心に適う人であったのですが、次第に自分を中心に国を治めるようになり、神様から見放されることになったのです。それで神様は次なる王様の選任を祭司サムエルに命じるのです。それが今朝の聖書です。神様は祭司サムエルに言われました。「いつまであなたは、サウルのことで嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした」と神様の御心を示しています。しかし、サムエルはサウル王がこのことを知れば、自分は殺されると恐れるのですが、神様は密かに実行することを命じるのでした。
 もしベツレヘムからダビデ王が出なければ、ベツレヘムは知られることのない寒村であると言われています。ダビデの家系として主イエス・キリストベツレヘムでお生れになるのですから、世界の人々がベツレヘムに注目しているのです。当時はまさに寒村でした。だから、サムエルがベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えたと記されています。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか」と尋ねているのです。国の中心的な存在であるサムエルが寒村であるベツレヘムに来たのですから、町の人たちは心配でならなかったのです。サムエルも「こんなところに」来たことの意味が良く分からなかったのです。今朝の聖書はそこまでですが、この後に次なる王様の選任が記されています。エッサイには8人の息子がいました。サムエルはエッサイの一番上の息子が次なる王と思いますが、神様にそうではないと言われるのです。7人の息子がサムエルと対面しますが、結局誰も神様の御心ではなかったのです。ところが、「こんなところ」に神様の御心があったのでした。まだ8番目の息子と会っていません。この息子は羊の番をしていたのです。それでサムエルはその子を呼び寄せました。まさに神様の選任の人であったのです。サムエルの目には7人の息子の中に、この人ではないかと思う人がいましたが、「こんなところ」に御心に適う人がいたということです。
 旧約聖書は神様の御心は、人間的に思えば「こんなところ」の場所であるベツレヘムであり、兄弟たちからは除外されていた「こんなところ」にいるダビデであったのです。人間的には考えも及ばない「こんなところ」に救いを準備されていることをメッセージとして示しているのです。

 新約聖書も「こんなところ」に救い主がお生れになったことを証ししています。ルカによる福音書2章1節以下が今朝の聖書です。イエス様がお生れになった状況が記されています。イエス様がこの世に生まれるということは、もちろん人間として生まれるのです。イエス様の母となるマリアさんと父となるヨセフさんは、まだ婚約中でした。その関係でマリアさんが身ごもったのです。これは聖霊マリアさんに身ごもらせたと聖書は証ししています。二人とも当初はこの事実に困惑します。ヨセフさんはマリアさんとの関係を絶つことまで考えます。しかし、この二人に天使が現れ、聖霊の導きを伝えるのです。二人は恐れながらもこの事実を受け止めたのでした。
 二人がそのような事実を知った後に、ローマ帝国は人口調査をすることになります。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」と記しています。しかし、歴史的にはアウグストゥスの時代には住民登録はないとされています。キリニウスのシリア州総督も歴史的には存在しないとされています。しかし、聖書の記者がこうした背景を記録しているのは、イエス様も住民登録をして一人の人間として存在したことを証ししているということです。さらに皇帝アウグストゥスを登場させているのは、「アウグストゥスの平和」とまで人々から称賛されているので、人間の作りだす平和に対して、神様の平和がイエス様によって始まったことを聖書は示しているのです。
 さて、ヨセフさんとマリアさんは自分達が所属する町はベツレヘムであり、ガリラヤから赴いたのでありました。旧約聖書時代はベツレヘムは寒村であったと示され、しかしベツレヘムからダビデ王が生まれたので、重要な町となり、「ダビデの町」と言われるようになっていました。そのダビデの町ベツレヘムには人々が住民登録のために上って来ていますので、どこの宿屋さんにも泊まるところがありませんでした。聖書には馬小屋に彼らが泊まったとは記していませんが、生まれたイエス様を飼い葉桶に寝かせたということで、馬小屋に泊まったということになるのです。世の救い主として、聖霊によりマリアさんから生まれてきたイエス様は、こんなところ、「飼い葉桶」に寝かされているのです。こんなところですから、誰も知ることはありませんでした。満員の宿屋さんの中では、人々が楽しく語りあい、食事をしていたのでありましょう。こんなところですから、天使のお告げを受けた羊飼いさん達が来ることが出来たのです。野原で羊の番をしている羊飼いさん達に天使が「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生れになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と告げたのです。「救い主」とのイメージは、羊飼い達も王様のような存在として考えていたのです。それが「飼い葉桶に寝かされている」というのですから、「そんなところ」にと思ったでありましょう。羊飼いさん達はすぐにその「飼い葉桶」に行ったのであります。まさに「こんなところ」に救い主がおられたのであります。

「こんなところ」とは思っても見ないところです。常識では、このようなところ、あのようなところと思っていますが、思っても見ない「こんなところ」に救いがあるということです。余談でありますが、救いではなく苦い体験があります。大塚平安教会在任中のことですが、お巡りさんに交通違反で捕まったことがありました。教会の駐車場を出て、大塚本町の信号手前の道は右折禁止になっています。そのとき、急いで車で出かけたので、つい右折禁止の道を曲がってしまいました。少し行くと玉川カメラ屋さんの脇からお巡りさんが現れて、警察手帳をかざしながら止められました。右折禁止の交通違反です。その時、思わず「こんなところで見張っていたの」と言ってしまいました。お巡りさんは笑いながら「はい、職務ですから」と言ったものです。まさか、そんなところで見張っているとは思わなかったわけです。「そんなところ」、「こんなところ」と思いつつ過ごしている訳ですが、そこが大事なことであることを示されるのです。
日本基督教団の書記をしていましたので、大宮教会牧師の疋田国磨呂先生との出会いが与えられ、先生の証しを何度か伺っています。先生は18歳の青年の頃、自分は母の40歳のときに生まれた子供であり、本当に望まれて生まれてきたのかと悩むようになったということです。いつの間にか自殺を考えつつ過ごすようになりました。あるときラジオのルーテルアワーを聞いて近くの教会に出席したということです。小さな教会で、こんなところに教会があることを改めて示されたということです。出席しましたが、牧師と数人の人だけでした。そのとき、牧師から「人間はみな、神様の祝福を受けて生まれて来ているのです」と聞かされて驚いたということです。神、仏と言えば、罰を与えると教えられて育っているので、自分を祝福してくれる神様を知ることになったのです。それからは小さな教会の少人数の礼拝ですが通い続け、ついに洗礼を受けることになったのです。こんなところと思っていた教会によって、救いが与えられ、今は大きな教会で救いを人々に伝えているのです。この証しについてはインターネットでも読むことができます。
今朝のフィリピの信徒への手紙4章2節に記される二人の婦人に対して、手紙を書いているパウロは、フィリピの信徒の人々に支えるようにと頼んでいます。エボディアとシンティケという婦人達ですが、パウロの伝道を何かと助け、協力していた婦人たちでした。しかし、パウロが二人の名を上げて紹介しているのは、ともすると人々は二人の存在を忘れてしまうからです。「そんなところ」にいた婦人達の働きこそ、パウロの大きな働きになったのです。そこにいる存在、ここにいる存在、こんなところにいる存在こそ、そこに救いが存在しているということです。主イエス・キリストが飼い葉桶に寝かされていた、こんなところでありますが、そこから救いが始まって行ったのであります。今も十字架が存在しています。その十字架の、こんなところに救いがあるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。私達の小さな場所に救いを与えてくださり感謝致します。十字架こそ救いの場であることを世の人々に証しさせてください。主の御名によりささげます。アーメン。