説教「お恵みによる人生」

2012年8月12日、横須賀上町教会
「三位一体後第10主日

説教、「お恵みによる人生」 鈴木伸治牧師
聖書、申命記8章1〜10節
   ヨハネによる福音書1章14〜18節
賛美、(説教前)讃美歌21・355「主をほめよ、わが心」
   (説教後)讃美歌21・459「飼い主わが主よ」

 前週の8月第一日曜日は、日本基督教団では「平和聖日」として定めており、平和を祈りつつ礼拝をささげました。今週はまた15日の敗戦記念日があり、いっそう平和への祈りが深められるのであります。ところが、今はオリンピックが開催されており、日本選手への応援で、平和への祈りをともすると忘れてしまうのであります。金メダルを取ることは願いでありますが、力を出し合って競技をすることに重きを置くべきであると思っています。メダルに届かなくても、出場者を称えてあげたいと思います。オリンピックの報道で、陸上競技の200m競争であったか、サウジアラビアの選手が一番最後になり、他の選手はとっくにゴールしているのに走り続けている姿に、観客は大声援を送っていました。これがオリンピックであると思いました。スポーツの祭典を繰り広げている今も、特にシリアでは残酷な戦争が展開されており、また国と国がにらみ合っている現実があります。前週も示されたのですが、平和の基は主イエス・キリストの十字架の贖いであることを深く示され、世の人々に平和の実現を叫び続けなければならないのです。平和の働き人になること、神様の御心であります。
 例話集の中で紹介されているお話を再び示されたいと思います。
 第二次世界大戦の時、連合軍の飛行機は、ドイツの町々を猛爆撃しました。ある町の古いカトリック教会も、その爆撃によって、すっかり破壊されてしまいました。やがて戦争が終わり、人々は教会の復興に取り掛かりました。くずれ落ちた煉瓦や石の柱、粉々になったステンドグラスの破片を取り除いていくと、下から大理石の彫像が出てきました。それは有名な彫刻家が造ったキリストの像で、この教会の大切なものになっていました。あの爆撃で下敷きになって倒れてしまったのです。「あまりひどく傷ついていなければいいが」と心配しながら、注意深くそれを掘り出したとき、人々はがっかりしてしまいました。キリストの頭の部分と胴の部分は、ほとんど損傷を受けていませんでしたが、両手は完全にもぎ取られ、しかも粉々になっていました。教会の人々は集まって、これをどうしたら良いかを相談しました。ある人は「こんなみっともないキリストは、新しい教会には置けない」と言いました。他の人は「何と言っても由緒ある芸術作品なのだから、補修して置くことにしよう」と言いました。また別の人は「同じ彫刻家に頼んで、新しい像を作ってもらおう」と言いました。議論はなかなかつきませんでした。今まで無言のまま、みんなの意見に耳を傾けていた一人の人が「わたしは、この手のないキリスト像をそのままの形で、教会の中に置くのがいいと思います。教会に集まるとき、わたしたちはこのキリストを見るたびごとに、だれがキリストの手となり、足となって働かなければならないかを考えさせられるでしょう。この教会が、御旨を行う主の手とならないならば、キリストは手のないまま立ちつくされるにちがいありません」と言ったのでした。この意見は賛同を得、そのままの形で、教会の中に置かれることになったのでした。
 平和の働き人になること、それは私たちが神様のお導きを示され、お恵みをしっかりと受け止めることから始まるのです。まず、私に与えられているお恵みを示されましょう。

 旧約聖書申命記8章1節以下からの示しです。申命記はエジプトから奴隷の人々を導きだしたモーセの説教集であります。400年間、エジプトにあって奴隷の苦しみの中にいた人々を救い出すために、神様はモーセを立てて脱出させました。エジプトを出て三ヶ月、荒れ野の道を辿りながら、ようやくシナイ山の麓に到着しました。シナイ山モーセが奴隷の民を救い出す使命を与えられた場所です。そのため、モーセシナイ山に登り、その務めを果たした報告をするのでした。すると神様は、今度は聖書の人々を神様の御心によって導く使命を与えるのです。十戒を与え、その戒めに生きるならば祝福の民となること、神様の約束の土地で平和に生きることを示すのです。モーセは与えられた十戒を中心にして、さらに荒れ野の旅を続け、ついに約束の土地、乳と蜜の流れる土地カナンを前にするのです。「乳と蜜の流れる土地」と言われていますが、「乳」は酪農であり、「蜜」は果樹、作物であります。そのような恵みの土地へと導くと言われているのです。その時、モーセは人々を集め、40年間の荒れ野の旅を導いてくださった神様のお恵み、お守り、励ましを示しながら説教をするのです。それが申命記の内容です。
 「今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる」と教えています。「乳と蜜の流れる」土地では、神様からいただいた十戒、戒めを守りながら歩まなければなりません。何よりも祝福の土地に入ることができた神様の歴史の導きを覚えなければならないのです。「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」と示しています。この40年を振り返ったとき、食べる物、飲む水が欠乏して、いつもモーセに詰め寄っていたのです。「あなたは我々を荒れ野で死なしめるために導きだしたのだ。荒れ野で餓死するくらいなら、奴隷でも良いからエジプトにいるべきだった。あのときは肉がたくさん入った鍋の前に座り、食べることには事欠かなかった」と言うのです。その時、神様はマナとウズラを与え、人々を養いました。そのようなお恵みをいただいているのに、今度は飲み水が無いと言ってモーセに詰め寄るのでした。それがマサ・メリバの出来事ですが、その時も神様は岩から水を湧き出させ、人々の渇きを満たしているのです。「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた」と歴史を導く神様のお恵みを示しています。そして、そこで言われた言葉、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」と人間が生きる基本的な意味を示しているのです。
 この言葉は主イエス・キリストの宣教の中心となっています。世の人々に現れる前に、イエス様は荒れ野で40日間、断食をして過ごします。それは悪魔の誘惑を受けるためであったと説明されています。その通り「誘惑する者」が現れます。空腹であるイエス様に、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と誘惑するのです。イエス様はこれから世に出て行き、宣教を深めて行くのですが、その場合、体力が必要です。そのためにも食べることが課題でした。そういう状況ですが、イエス様は申命記モーセの言葉を引用します。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えたのであります。この言葉は旧約聖書の人々の不信仰をきつく戒めているのですが、イエス様ご自身も、社会に生きる者としての姿勢を示しているのです。
 人は何のために生きるのか、と言われます。冗談ながら「食うために生きる」とか「趣味のために生きるため」等の答えがありますが、必ずしも冗談ではなく、真実であるのです。私たちは人生の目標を持ち、それに向かって生きているのですが、結論としては美味しい物を食べることであり、趣味の喜びを満喫することでもあります。「人はパンだけで生きるのではなく、神様の言葉によって生きる」とは、私たちが永遠の命をいただくことなのです。今与えられている人生は、永遠の命への入口であると言うことです。そのために、神様の御言葉によって養われ、祝福の永遠の命へと導かれるのです。

 旧約聖書を読む限り、お恵みの終着点への歩みを示されます。「乳と蜜の流れる土地」カナンに定着することがお恵みの終着点でありますが、しかし、人間の社会は「自己満足」と「他者排除」でありますから、終着点にはならなかったのです。そこで、本当の救い主、メシアの到来を待ち望むようになったのです。主イエス・キリスト旧約聖書の救いを土台にして現れたのです。その救い主を、まず予告したのがヨハネと言う人でした。ルカによる福音書にはイエス様より先に現れたヨハネの母エリサベトとイエス様の母となるマリアは親類であると記されています。しかし、そういう関係ではなく、ヨハネは神様から選ばれた預言者として、まことの救い主の出現を世の人々に知らせたのでした。
 ヨハネによる福音書1章6節以下にヨハネのことが紹介されています。「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである」と記されています。ヨハネは自分の後から出現する「光」について証しすることでした。その「光」が主イエス・キリストであります。さらに遡って1章1節以下を示されなければなりません。「初めに言があった。言は神と共にあった」と記されていますが、この「言」をイエス・キリストと読み替えることによって、イエス様の「光」としての到来が示されるのです。「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と証しされています。このことを更に理解するために、創世記1章1節以下から示されなければなりません。そこには、「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして光があった」と記されています。最初は何が何だかさっぱり分からない状況でした。その状況に「光あれ」と言われたのであります。その「光」を私たちは「明るい、暗い」で理解しますが、そうではないようです。神様が太陽や月、星を造るのはこの後の第四日目になるのです。太陽がまだ造られていない状況における「光」なのです。この「光」は明るい、暗いではなく、神様の御心の輝きということです。混沌、闇、深淵、そのような状況に神様の「光」、御心の輝きが現れたということなのです。
 そのような関連で、ヨハネによる福音書1章1節以下に記される「光」としてのイエス様は、神様の御心を人々に与える方として世に現れたと証ししているのです。そして、神様の「言」として世に現れたイエス様は、この世に存在し、神様の恵みと真理を与えてくださったのであります。ヨハネによる福音書16節、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」と証しをしています。主イエス・キリストが「光」として世に現れ、人々に神様の喜びの福音を示しました。マタイによる福音書によれば、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」とイエス様の福音を示しています。まさにイエス様に出会った人々は新しい歩みが導かれたのです。「恵みの上に、更に恵みを受けた」と言われていますが、さらなる恵みとは、主イエス・キリストの十字架による贖いであります。これこそ、旧約聖書では実現できなかった「自己満足」、「他者排除」を滅ぼすことでした。十字架こそ人間の原罪を救ってくださる救いなのです。イエス様が十字架にかけられて死なれたとき、人間が持つ原罪、自己満足と他者排除を共に滅ぼしてくださったのです。この主イエス・キリストの十字架による贖いが「恵みの上に、更に恵みを受けた」と言うことなのです。

 この度、御教会の「横須賀上町教会」(100年のあゆみ)を贈呈され、感謝致します。100年の歩みを読みますときに、それは神様のお導きとお恵みの歴史であることを示されます。皆さんのお証を読ませていただく時にも、やはり神様の深い御導きがあることを示されます。1954年に幼稚園を開設されています。初期の写真をみますと、園児も大勢いて、盛んな幼稚園であったようです。昔は幼稚園は少なかったので、それだけ多く集まっていたのです。しかし、その後、幼稚園が多く存在し、朝の時間帯は幼稚園の送迎バスを多く見かけたものです。1959年にそれまでの横須賀中里教会から横須賀上町教会に、聖心幼稚園がめぐみ幼稚園に改称され、今日に至っています。それらの歴史を示されながら、教会と幼稚園は世の人々に主イエス・キリストの「光」を放ち、証ししている歴史を示されました。そして、その歴史を示されるときにも、神様のお導きが不思議なめぐり合わせで与えられていることを知るのであります。
 記念誌の巻頭言は代務者であった金子信一牧師が記されていますが、金子牧師が横須賀上町教会と深い関わりがあること、金子牧師も初めて知ることとして、感動を持って記されていました。それは、横須賀上町教会設立認可承認申請書の書類を作ったのは湯河原教会牧師の金子益雄牧師、つまり金子信一牧師の父上であったということです。申請者は当時の代務者、目白教会の篠原金蔵牧師ですが、書類を作成したのは金子信一牧師のお父さんと言うことでした。金子信一牧師も、ご自分が今、横須賀上町教会の代務者になっており、歴史の導き、神様のお恵みを深く示されたと記されています。加えて申しあげれば、斎藤雄一牧師の就任式に、その頃は青年であった私自身も出席しております。また、主のお導きと信じて森田裕明牧師を斎藤牧師の後任に推薦したのも私であり、当然就任式に出席しております。私も歴史の導きの中で、この横須賀上町教会に関わらせていただき、現在も礼拝説教、聖餐式を司らせていただいていることは、神様のお導きであり、お恵みであると示されています。上町と言うところから、主イエス・キリストの「光」を横須賀の人々に放ち、イエス様の十字架の救いへと人々を招いているのであります。十字架によって生きる「お恵みの人生」へと人々をお招きする使命が与えられているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架の「光」を賜りまして感謝致します。人々を「お恵みの人生」へと導かせてください。主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。アーメン。