説教「福音の僕となる」

2011年1月16日、六浦谷間の集会 
降誕節第4主日

説教・「福音の僕となる」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記18章13-27節、
   使徒言行録16章11-15節
   ルカによる福音書5章1-11節
賛美・(説教前)讃美歌21・289「みどりもふかき」、
   (説教後)507「主に従うことは」

 今朝はドレーパー記念幼稚園の教職員の皆さんが、この六浦谷間の集会で、共に礼拝してくださり、懐かしさがありますが、緊張も伴いつつみ言葉に向かうのであります。この六浦の家は5年前に建て替えていますが、それまでは60年を経た家がありました。そこで私が成長しました。生まれは横須賀市浦郷というところですが、近くに日本軍の追浜飛行場があり、戦争が激しくなることにより、危険であるからと強制的に転居させられたのです。そこでこの所に住むようになったのでありますが、私が4歳の時でした。23歳で神学校に入り、その時点で寮生活になりますので、約20年間、このところで成長したのであります。もっともその後も家はここにあり、両親が住んでいたわけですから、何かとこの家には来ていました。
このような成長の過程をお話しているのは、今朝の聖書は「最初の弟子たち」がテーマであり、そのことから私たちもイエス様から与えられた福音に仕える者として示されるからであります。すなわち、この家が私をして伝道者、牧師になって行く場所でありました。六浦の家が伝道者を生み出し、送り出したということであります。私がキリスト教と結びつくことについては、今までもお話しています。しかし、今日は実感的に受け止めていただきたいのです。日本の国が戦争に負け、敗戦宣言をしたのが1945年8月15日でした。戦争により日本人はどん底の生活を余儀なくさせられたのであります。戦争中、小学生以上の子供たちは学童疎開をさせられました。私はまだ就学前でしたので行きませんでしたが、二つ上の兄が姉と共に疎開させられたのでした。戦争が終わり帰ってきましたが、やせ細って帰ってきました。しばらくして兄は風邪をひき、肺炎となり、死んでしまいました。栄養失調でもありました。その後、2年くらい後になりますが、母は入院するようになります。ここから歩いて15分のところに横浜南共済病院があります。昔は共済会病院と称していました。ある日のこと、見知らぬ子供たちが病室に入って来ました。そして花を贈ってくれるのでした。6月の第2日曜日です。すなわち教会の「子どもの日・花の日」であり、近くの関東学院教会の教会学校の子供たちでした。皆さんはキリスト教保育連盟の夏期講習会で、その関東学院に行かれたでありましょう。ここから歩いて15分で行かれる場所です。私は毎日散歩していますが、その関東学院の前を通って野島方面に行くこともあります。花を贈られ、お見舞いをいただいた母、その後退院すると、私を連れて関東学院教会の教会学校に連れて行ったのであります。ここから15分くらいですから、遠い距離ではありません。そして、花の日のお見舞いの礼を述べ、これからは息子が来ますからよろしくお願いしますというのです。私の意志ではなく、母の意思で教会学校生活が始まったのであります。日曜日になると母は私を教会学校に送りだすのでした。この家の道を隔てた家には、私より一つ上の男の子がいました。いつも一緒に遊んでいたのですが、日曜日に教会学校に行くようになった私をひやかしたりしたものです。遊びたい誘惑を持ちながらも、母の言いつけにより通ったのです。皆さんが通ってきた道の半分は、私の教会学校への道でした。
このような話をあまりしている訳には行きません。中学生になり、私は二人の姉が清水ヶ丘教会に出席していましたので、私もそちらに出席するようになったのです。六浦駅から南太田駅にある清水ヶ丘教会に通っていたのです。そして高校生の頃、私の歩むべき道は牧師の道であることが導かれたのでした。それは主イエス・キリストの福音を示され、この福音に生きることが喜びであり、その喜びを人々に示す使命を与えられたということです。そうした使命を与えられるのは、この六浦の家での成長であり、教会の導きであるからなのです。このお話は今までもお話していますが、今日は実感的にお話させていただきました。

 聖書は福音の働き人を示し、働き人への召しを与えているのであります。旧約聖書は最初の働き人を示しています。聖書の人々、イスラエルの人々はエジプトの奴隷の時代がありました。それが400年続いたと言われます。神様は聖書の人々をモーセと言う指導者を立てて脱出させたのです。今日の聖書は18章ですので、それまでが脱出物語であるのです。脱出物語は割愛しますが、モーセが救い出した人々の先頭に立って、神様が示す約束の土地カナンへと向かっているのです。ところが、エジプトを脱出し、モーセを中心にしていますので、旅の途上、いろいろな問題が出て来ます。人間関係もあり、生活の問題もあり、人々はそれらの問題をみんなモーセのところに持ってくるのです。従って、モーセは一日中人々の問題処理に当たらなければなりませんでした。
 それらの状況を見たエテロはモーセに助言するのです。エテロはモーセの奥さんの父親です。一人で裁いているのではなく、裁き人制度を作りなさい、と言うことでした。モーセに相談に来るのではなく、21節に示されるように、「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、50人隊長、10人隊長として民の上に置きなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があった時だけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができる。この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう」と助言するのでした。モーセはこの助言を受け止め、実行します。モーセは指導者として全体の人々を見るのであります。
 聖書は福音の働き人は一人の人に求めるのではなく、人々がそれぞれ使命を与えられ、それぞれの福音の職務へと導かれることを示しています。出エジプト記モーセにより奴隷の国から脱出し、一路カナンへと目指すことが記されていますが、今朝の聖書の示しのように、そこにモーセと共に働き人が選ばれ、共に使命を担いつつ約束の地へと旅をすることが示されているのです。約束の土地出エジプト記では「乳と蜜の流れる土地カナン」でありました。その示しが基本になっています。現代に生きる私たちも「乳と蜜の流れる土地」すなわち天国に導かれるための歩みをしているのであります。その導きを与えてくださっているのが主イエス・キリストであります。そして働き人として選ばれている私たちが、人々を「乳と蜜の流れる土地」へと導く使命を与えられているのです。

 主イエス・キリストが具体的に働き人をお選びになっておられます。新約聖書ルカによる福音書5章にはお弟子さんをお選びになることが記されています。クリスマスにベツレヘムマリアさんを通してこの世に出現したイエス様です。聖書はその後の成長としてヨセフさんとマリアさんに抱かれてお宮参りをしたこと、12歳になって両親と共に過越しの祭りを祝うために都エルサレムに行ったこと、バプテスマのヨハネさんから洗礼を受けたこと、荒れ野で悪魔から誘惑を受けて戦うことを記していますが、その他は割愛して人々の前に現れるイエス様としています。まず、ガリラヤ地方で伝道を開始します。しかし、育った故郷では受け入れられなかったことが記されています。ガリラヤ地方の町や村で神様の御心を人々に示し、神様の力の証をされたのでした。5章1節以下はイエス様がゲネサレト湖畔に立っていたと記しています。このゲネサレト湖畔は別名ガリラヤ湖とも言われています。かなり広い湖になります。
 水辺にいるイエス様のもとへ大勢の人が、神様のみ言葉を聞こうとして集まってきました。あまりにも接近しているので、少し離れた所からお話することにし、一艘の舟に乗り、その舟からお話をしたのです。漁師たちは舟から上がって網を洗っていたのです。漁師たちが舟の後片付けをしているのですから、これは朝の時間帯です。この地域の漁師さん達は夜に漁をするのです。日中は暑いので魚が湖面に上がってこないのです。それで夜に漁をすることになるのです。イエス様が神様の御心を人々に話し終えると、イエス様は漁師さん達に、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。すると漁師たちは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言うのです。漁師さん達は、イエス様が人々に神様の御心をお話するほどの偉い人だと思っています。自分達は苦労しながら一晩中漁をしたのですが、何も取れなかったのです。それなのに、舟を漕ぎだしなさいとは、考えられないことでもあります。しかし、権威ある方のお言葉として従ったのでした。すると、一晩中取れなかったのに、今はたくさんの魚が網に入りました。偉大な奇跡を見る思いでした。そこでペトロはイエス様の前にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白するのです。
 思いもよらないことを経験した時、そこにおられる存在が偉大な方であることを示されたのでした。その偉大な存在の前で、自分が罪深い者であると、告白せざるを得ないのであります。ペトロの他にヤコブヨハネの兄弟、そして名前が記されませんが、ペトロの兄弟アンデレもいました。彼らはペトロと同じように告白をしたのであります。その時、イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる」と言われました。その招きの言葉をいただくと、彼らはイエス様に従い、お弟子さんになったと示されています。こうしてイエス様も働き人をお選びになりました。このほかに8人選び、12人のお弟子さん達に御心をお示しになられたのであります。
以前、聖地旅行をしました。このガリラヤ湖のほとりのホテルに泊まりました。朝起きると、何の鳥か、カモメのような水辺で生きる鳥が一列になって湖を旋回していました。とても印象的な情景です。このガリラヤ湖に着いて舟に乗りました。イエス様が漁師さんたちと漁をした体験です。舟に乗ると漁師さんが網を水に投げ入れます。写真を写しやすいように、スローモーションで行います。そのうち日本の国歌と言われる「君が代」が流れてきます。女性のガイドさんは日本人でしたが、しかもクリスチャンであるということですが、私たちに一緒に歌うよう促し、一人大きな声で歌っていました。陸に上がると、食事になりましたが、ガリラヤ湖で取れるピーターズフィッシュという魚を食べさせられました。非常に淡白な魚で、ヒラメとかタラのようでした。イエス様が水辺でお話した場所にも行きましたが、そんなに広くなく大勢の人がここにいた状況を思ってみるのでした。
神様の御用のために、モーセが役割分担をしましたが、主イエス・キリストもお弟子さんを選び、働き人の養成を始められたのです。ですから、お弟子さんに選ばれましたが、まだ役割り分担ではありません。これから養成され、次第にイエス様の福音の僕として訓練されて行くのであります。

 キリスト教主義の幼稚園はイエス様のお心を土台とした幼稚園です。イエス様のお心とは、「自分を愛すると同じようにお友達を愛する」人になるということです。これはどこのキリスト教幼稚園でも同じであります。ドレーパー記念幼稚園もそのイエス様の土台をもって、今日まで約50年間立てられているのであります。そのうちの30年間、園長として仕えることができ感謝しています。いろいろな子供たちと出会いました。そしていろいろな教職員の皆さんとの出会いがありました。皆さんは本当に心からドレーパー記念幼稚園を愛し、その使命に立っておられると思います。先生達の採用試験を行いました。面接とピアノの実技です。昔は作文を書いてもらいました。題は「私のお母さん」ということであったと思います。しかし、その後、そのような題で作文を書いてもらう幼稚園が多かったようで、県の指導が入り、そのような題であると人権に関わるという指摘がありました。それで作文はやめてしまい、ピアノの実技だけにしたのです。キリスト教主義の幼稚園は讃美歌をたくさん歌うのでピアノが弾けることが条件です。そういうことでピアノを弾いてもらいますが、あなたはピアノを弾くのが下手ですから採用しませんと断った人は一人もいません。では上手であったのか、そうとも言いませんが、皆さんは、それからは夢中でピアノを練習してくださり、先生として頑張ってくださるのです。
 昔になりますが、綾瀬市の幼稚園協会が公開保育としてドレーパー記念幼稚園を選び、その日は市内の先生たちが保育の見学に来ました。終わってから協議会が開かれましたが、礼拝を行うことが評価されました。先生がピアノを弾けば、すぐに静かになり、お祈りをすれば、みんな静かに目を閉じていること、そういうことは他の幼稚園では見られないので、素晴らしいことであるというのです。ピアノにより大きな声で讃美歌をうたうことも評価されていました。
 こうしてキリスト教主義の幼稚園はイエス様のお心を子供たちに示し、子ども達はしっかりと土台を据えられて成長していくのであります。キリスト教主義だから信仰を与えるということではなく、イエス様の土台を据えるということです。それは一人の存在を尊重し、共に生きるということです。「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」とイエス様が教えられていますが、それが土台なのです。イエス様の福音の僕として選ばれている皆さんです。改めて使命を深めることを示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。福音の僕として私たちをお選びくださり感謝致します。いよいよ喜びの福音を子どもたちに示す力を与えてください。主イエス・キリストの御名により。アーメン。