説教「宣教の開始」

2011年1月23日、六浦谷間の集会 
降誕節第5主日

説教・「宣教の開始」、鈴木伸治牧師
聖書・民数記9章15-23節、コリントの信徒への手紙<一>1章1-19節
ルカによる福音書4章16-30節
賛美・(説教前)讃美歌21・281「大いなる神は」、(説教後)403「聞けよ、愛と真理の」

 今朝は「宣教の開始」との説教題ですが、主イエス・キリストがいよいよ福音を宣べ伝え始めたことが示されているのであります。イエス様による十字架の救いは、普遍的なことであり、私達はイエス様の十字架の救いを多くの人々に示し、その救いへと導かなければならないのです。人はこの世に生きて、ただ生きるのではありません。生きるなかで主イエス・キリストの福音を与えられ、真に喜びつつ生きることが大切なのです。祝福の人生になるよう、私達はいよいよイエス様の宣教へと招かれ、福音を宣べ伝えて行かなければならないのであります。前週はイエス様の僕となることを示されていますが、僕として宣教の使命を深めたいのであります。「宣教」と「伝道」との言葉がありますが、ほとんどは同じ意味と理解して良いでしょう。中には使いわけている場合もありますが、伝道すなわちイエス様の福音を伝えることです。宣教すなわちイエス様の教えを宣べ伝えることです。同じ意味なのですが、「宣教」と言う場合、大きな枠づけで言う場合があります。学校教育を通して、病院の医療を通して、福祉の業を通してイエス様の福音を示す場合に宣教と称するとしています。それは伝道と言う言葉でも良いのですが、広範囲の伝道と言うことでありましょう。
 毎年、大塚平安教会の子どもの教会は、1月の第4日曜日、午後からは「餅つき大会」を行っています。二三日前に横浜本牧教会の方から電話があり、同教会でも本日の午後に「餅つき大会」を行うということを伺いました。大塚平安教会は教会学校・子どもの教会が主催ですが、教会上げての行事になっています。そして、幼稚園にも呼びかけますので、園児も多く参加するのでした。保護者の皆さんも、お父さんたちはお餅つきに参加してくださり、またお母さん達はお餅の加工などのお手伝いをしてくださるのです。多い時は200名近く集まり、それはそれは楽しい集いでした。
 餅つきは、当初は幼稚園が行ったのです。私の実家に臼と杵の餅つき道具がありましたので、それを幼稚園に運び、保育の一環として行いました。従って、保育中に行うので、教職員で臨んだのでした。昔は男の教職員がおりませんでしたので、お餅をつくのは園長とお手伝いの教会の女性でした。二年ほど続けましたが、やはり無理があったようです。それから数年後、教会学校が主催して行うことになったのです。その頃、副牧師がいて、彼を中心に企画され、全体的な教会の業になったのでした。以後、毎年開催するようになっていますが、一度インフルエンザが流行して、中止にしたことがありました。やはり、この時期に「お餅つき大会」が無いと、活気が出て来ない印象でした。何よりも教会学校の子供たちと保護者、幼稚園児と保護者、そして教会の皆さんが礼拝と共に始める主の集いなのです。これはまさしく「宣教」と言うものであります。この宣教を通して、福音の喜びをお伝えしたいのです。しかし、何事も神様の御心に従わなければなりません。中止にするにしても、開催するにしても、神様のお導きに委ねることが大切であります。

 何事も神様のお導きに委ねて歩んだのは旧約聖書の人々、モーセに牽きいれられて荒れ野の旅をしているイスラエル人々でありました。民数記9章が今朝の示しであります。民数記は題名のごとく、民族を数える書です。1章と26章に人口調査の状況が示されています。エジプトで奴隷として苦しみ、神様はモーセを通して救い出しました。そして、一路神様の約束の土地、乳と蜜の流れる土地カナンへと向かっています。神様はシナイ山の麓で宿営している人々の人口調査をするようにモーセに命じるのです。それにより数えられた人々は603,550人であったと言われます。最もこの数は兵役に就くことのできる20歳以上の者と言いますから、女性を含めれば100万人を超えるわけです。そんなに大勢の人が荒れ野を旅してカナンに向かっているのです。前回も示されましたが、モーセ一人では到底治めきれません。それでモーセの奥さんの父・エテロの勧めで、それぞれの責任者を立てることになったのであります。これは当然なことでありますが、多くの民族が一つになること、それはモーセを中心にそれぞれの責任者の導きでありますが、しかし、やはり司令塔は神様でありました。神様の御心によって100万人の人々が整然として動いていることを今朝の聖書は示しているのです。
 聖書の人々は常に幕屋を中心にしていました。幕屋の中には神様がくださった十戒が箱に納められているのです。そして、旅する時はいつも十戒の箱を先頭にして進んでいたのです。幕屋とはテントのことですが、いわば移動式お宮さんと言うことになります。旅をしてきて宿営をする時、まず幕屋を建てます。そこに十戒を安置し、そして自分たちのテントを張るのでした。今朝の9章15節は幕屋を建てた日としています。旅を進めてきましたが宿営することになり、早速幕屋を建てました。すると雲が天幕を覆ったのであります。幕屋の上にあり、朝まで燃える火のようであったと言います。この雲が天幕を離れて天に昇るとイスラエルの人々は旅立ち、雲が一つ場所にとどまると、そこに宿営するのです、雲が幕屋の上にとどまっている間、人々はそこに宿営していました。その雲が一ヶ月でも何日でも幕屋の上にとどまっている間は宿営を続けていました。しかし、昨日宿営したばかりなのに、朝になったら雲が離れたので、すぐに旅立つのでした。雲の動きが神様の御心であったのです。いわば雲の動きこそ神様のご命令であり、自分たちの判断では動かなかったことを示しているのであります。これは既に出エジプト記40章34節以下で示されています。出エジプト記が終わるにあたり、著者は出エジプト後の人々の歩みに示しているのです。「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちていた。雲が幕屋から離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。雲が離れて昇らないときは、離れて昇るまで出発しなかった」と示されています。従って、出エジプト以来、雲の動きを神様の御心としていたのであります。何事も神様のお導きに委ねていたことを示しているのであります。
 民数記では幕屋と天幕と二つの言い方があり、それは一つのことなのですが、本来は異っていました。本来、天幕は宿営の外に建てられ、神様がモーセにお語りになる所なのであります。それに対して、幕屋は宿営の中央に建てられ、神様にお伺いを立てる場所がこのところであったのです。しかし、その後は天幕も幕屋も同じように言われるようになっています。とにかく、雲が覆い、雲の導きを与えているということです。神様の御心に従う基本的な姿を旧約聖書は示しているのであります。

 このように雲の動きが神様の導きであるとは旧約聖書の示しでありますが、そのような現象を求めなさいと示しているのではなく、私達は主イエス・キリストの導きに委ねることが示されているのです。旧約聖書は雲の導きなのですが、聖書の人々が神様の導きに委ねていることがメッセージなのであります。私たちにとって神様の導きは主イエス・キリストの示しであります。
 ルカによる福音書は4章16節以下でありますが、標題にありますように「ナザレでは受け入れられない」イエス様について記されています。ルカによる福音書は2章39節以下で、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」と記されています。ナザレで成長したことが記されています。その後の成長は12歳の時、両親と共に都エルサレムに過越しの祭りを祝うために行きました。ヨセフさんとマリアさんは我が子を見失い、再びエルサレムに戻ってきますが、我が子が学者たちと話しているのを見て不思議に思うのです。その後はバプテスマのヨハネから洗礼を受け、そして荒れ野で悪魔の誘惑と戦うことが記されています。その後はガリラヤに帰り、人々に神様の福音を教え始められたのであります。今朝の聖書はまさにイエス様の宣教の開始なのであります。まず、宣教を開始したとき、イエス様は育ったナザレに行きます。会堂で教えを始めるとき、預言者イザヤの巻物が渡されたと記しています。ユダヤ教におきまして会堂で礼拝をささげますが、まずモーセの律法書が読まれ、次に預言書が読まれることになっています。既に律法の書は読まれたのでしょう。イエス様はイザヤ書を渡されると、その中でも61章の言葉を読まれました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」との言葉を読まれました。これらはイザヤ書61章に記されているのではなく、他の場所からも合わせて読んでいるのです。このイザヤの言葉を読み、まさにイエス様ご自身の使命をお話されたのでした。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」とはっきりと述べるでありました。
エス様の福音とは何なのか。貧しい人に福音を告げ知らせるためであると申します。ルカによる福音書はイエス様が「貧しい人への福音」を述べるとき、そこにはいつも「飢えている人」、「泣いている人」、「迫害される人々」と貧しい人の意味が示されています。7章22節では「目の見えない人」、「足の不自由な人」、「らい病を患っている人」、「耳の聞こえない人」と述べています。14章21節では「貧しい人」、「体の不自由な人」、「目の見えない人」、「足の不自由な人」とここでも並べて述べているのです。イエス様の福音は貧しい人へ宣べ伝えられるのでありますが、貧しい人とは「飢えている人、泣いている人、迫害されている人、目の見えない人、足の不自由な人、体の不自由な人、病気の人」なのであります。それらの人々にこそイエス様は福音を宣べ伝えられるために宣教を開始したのでありました。
 しかし、イエス様はそのようにご自分の使命を述べてから、ナザレの人々がイエス様を歓迎しないことを述べるために、サレプタの女性、シリア人ナアマンのことを引用しています。サレプタの女性もナアマンも外国人です。この外国人だけが神様のお心をしっかりと受け止めたからでした。その時代、人々は神様のお心を受け止めなかったのでありました。外国人が神様の御心をしっかりと受け止め、神様の選民と言われるイスラエルの人々が神様の御心を受け止めなかったことを示されたのであります。何事も神様の御心を求めて歩まなければならないのに、自分思いで生きている人々に反省を求めたのでありました。ところが、はっきりとイエス様が人々の姿を指摘するものですから、ナザレの人々は怒りを現しました。そしてイエス様を追い出したと聖書は記しているのであります。
 主イエス・キリストは「貧しい人」に福音を告げ知らすためにお出でになられたのです。従って、人々は自分が「貧しい者」であることを受け止めなければならないのです。「貧しい者」であることより、いつも「豊かな者」になろうとしているのです。自分は貧しいものではないと思っています。ヨハネによる福音書9章に「生まれつきの盲人を癒す」イエス様のことが記されています。人々は生まれつき目の見えない人が見えるようになったことで不思議に思います。何故、見えるようになったのかと問い続けています。こうしたやり取りの最後で方で、イエス様が「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言われました。すると、そこにいた人たちは「我々も見えないということか」と反論します。イエス様は言われました、「見えなかったのであれば罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」と言われたのであります。私達はイエス様の示される「貧しい人」にならなければならないのです。私達は「飢えている人、泣いている人、迫害されている人、目の見えない人、足の不自由な人、体の不自由な人、病気の人」であります。それなのにどうしてその貧しさを否定して豊かな人になろうとしているのでしょうか。

 私達は自分が「貧しい人」であることを知らなければなりません。目が見えないで真実を見失っている自分を知らなければならないのです。病気であるのに、その痛さを隠そうとしているのです。泣いているのに、人に分からないように笑っているのです。自分の弱い姿、それが貧しい姿なのですが、その貧しさを隠すことなく、主イエス・キリストの前に差し出すことが必要なことなのです。イエス様はそのために現れたと言われているのであります。神様の御心をしっかりと受け止めることは、自分が貧しい者であることを知ることであります。人と比較して、どうして自分の弱い姿を悲しむのでしょうか。人より遅れているということで、どうして自分を嘆くのでしょうか。この世に生かされているのは私なのです。神様は私に生きる力を与えてくださっているのです。その生き方は私の生き方なのであり、他者と比較する必要はないのです。人は皆違う生き方があるのであり、同じように生きる必要はありません。人間は皆「貧しい者」なのです。その貧しさを導くために主イエス・キリストは十字架にお架りになって人間を導いておられるのです。私の貧しさのために、イエス様が十字架によって担ってくださり、私を導いてくださっているのです。もう、人を超えて「豊かな人」になる必要はありません。
 イエス様が宣教を開始されました。そのイエス様の宣教をしっかりといただきましょう。「貧しい人」への福音が、イエス様の宣教であることを示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様により、貧しい人をお招きくださり感謝致します。私の貧しさを主に委ねることができますよう導いてください。主の御名によりささげます。アーメン。