説教「導きの知恵をいただきつつ」

2017年4月30日、六浦谷間の集会
「復活節第3主日

説教・「導きの知恵をいただきつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・列王記上17章17-24節
    コロサイの信徒への手紙3章1-11節
     マタイによる福音書12章38-42節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・155「空はうららに」
    (説教後)522「みちにゆきくれし」


 本日は4月の最終の礼拝になりました。前週は、多くの教会が総会を開かれたと思います。2016年度の歩みを振り返り、2017年度の歩みを確認して歩むのであります。横浜本牧教会でも前週の礼拝後に総会が開かれました。本来、横浜本牧教会付属の早苗幼稚園園長を担っていますので、陪席して幼稚園の報告をしなければならないのですが、当日は三崎教会の礼拝説教に招かれており、総会は失礼いたしました。幼稚園の主任さんが園長に代わって報告をしてくれたのです。キリスト教プロテスタントの教会は、会議制であり、教会の総会決議が歩みとなっています。決議のもとに、選ばれた役員さんが、日常の歩みを担うことになっています。ですから、役員会は毎月開かれ、総会決議に基づく歩みを担っているのであります。教会の包括団体であります日本基督教団も会議制の教会です。日本基督教団は2年に一度の教団総会を開いています。そこで教団としての歩みが決められます。そして、総会で選ばれた常議員の人たちが、常議員会を開き、総会に基づく歩みを担っているのです。常議員会は年に三回の開催です。日本基督教団には17教区があり、それらの課題を含めながら協議しているのです。
 私は、この日本基督教団の総会書記を4期8年間担いました。2002年に書記に選ばれました。教団総会では議長、副議長が議場によって選ばれます。400人の議員から選ばれるのです。しかし、書記は選ばれた議長と副議長が選任し、議場の承認を得るのです。従って、総会の議場の選挙によって選ばれるのではなく、議長が選んだ人を議場が承認するということになります。私が書記に選ばれたとき、議長になったのは山北宣久牧師でした。この山北宣久牧師とは、特別に親交があったわけではありません。私が神学校を卒業して、最初の教会は東京の青山教会でした。青山教会は東京教区の西南支区の中にある教会です。山北牧師も西南支区の中にある教会でした。同じような時代に伝道者になったのです。ですから山北牧師も、その頃は副牧師、伝道師であったと思います。同じ支区ですから、何かと集会で一緒でした。特別なお交わりはありませんでした。その後、年数がたち、私は神奈川教区の教区議長であり、山北宣久牧師は日本基督教団の副議長を担うようになりました。教区議長は日本基督教団の常議員会に陪席しなければなりません。ですから、常議員会においてはお会いしていましたが、特別にお話しをしてはいませんでした。そして、2002年の教団総会に出席したとき、教団議長に選任された山北宣久先生は私を書記に選任されたのでした。その後、8年間、教団書記としての務めを果たすことができたのも、山北議長の協力があったからだと思います。しかし、そこには神様のお導きの知恵が与えられていたと思います。私の存在が、大きな舞台で働くようなものではないことは認識しています。しかし、自分の思いを超えたお導きがあったということです。神様のお導きの知恵が与えられ、重い職務を担うことが出来ました。教会総会にしても、日本基督教団の総会にしても、会議制によって決められることではありますが、やはり神様のお導きの知恵が働いていると示されています。
 それは今でも示されています。2010年3月に30年間務めた大塚平安教会を退任し、4月から9月まで、横浜本牧教会代務者及び付属の早苗幼稚園の園長を務めた後は、10月からは無任所教師になりました。そして11月から六浦谷間の集会として礼拝をささげるようになりました。そして、今でもこの集会が導かれていますが、神様のお導きの知恵が与えられているからであります。礼拝を始めて本日で196回目になります。200回目の礼拝は節目でありますので、感謝の礼拝をささげたいと示されています。

 聖書は神様のお導きの知恵を証しするのですが、本日は、旧約聖書に登場する預言者エリヤについて記しています。エリヤは預言者と言われていますが、むしろ「神の人」といわれるほど、神様の知恵をいただき、力を表した人でした。エリヤが登場したころのイスラエルの王様はアハブであり、彼ほど悪い王様はいないとまで言われています。偶像礼拝を行い、偶像の神殿まで造り、人々に偶像礼拝をさせたのであります。神様はこの状況を深く受け止め、審判を与えます。すなわち、イスラエルにはしばらくの間、雨が降らないということであります。まず、神様はエリヤをヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに住まわせます。神様はカラスに肉とパンをエリヤのもとへ運ばせるのであります。水はケリトの川から飲んでいましたが、雨が降らないので、その川も涸れてしまいます。そこで神様はエリヤをサレプタに行かせます。そこには一人の女性とその息子がいました。エリヤはその女性に水を所望します。そして、付け加えてパンも要求するのでした。それに対してサレプタの女性は「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壷の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」と言うのです。それに対してエリヤは、「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持ってきなさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい」と言うのです。女性は一握りの小麦粉とわずかな油しか無いと言っているのに、まず私のために作りなさいと言っているのですから、人道的にもよろしくないことを要求しているようです。しかし、女性はエリヤの言うとおりにしたのであります。その時エリヤはこうも言いました。「主が地の面に雨を降らせる日まで、壷の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」ということでした。女性はこの言葉を信じたのではありません。エリヤのために残っている一握りの粉で、パン菓子を作ったら、もうそれでお終いであることはエリヤに述べた通りであります。しかしエリヤの要求どおりパン菓子を作りました。ここに聖書の救済の深い意味が示されるのであります。
 このエリヤ物語は18章で始まるエリヤと偶像の預言者の戦いの導入の部分なのであります。偶像の預言者たちは権力を欲しいままに振舞っています。それに対して、一人の女性とその息子は、もはや一握りの小麦粉しかありません。死ぬのを待つばかりの親子にエリヤが遣わされたということです。ここに聖書の救済があるのです。女性は人々から相手にされない存在でした。死を待つばかりでありました。その女性が預言者エリヤを受け入れたということです。およそ権力には無縁であり、社会の中にあって忘れられているような存在でありました。しかし、預言者エリヤを受け入れたとき、それは神様のお導きの知恵が与えられたということですが、神様の恵みと力がこの親子に与えられたのです。今朝の聖書は、神様の恵みと力がこの親子に現されたその後で、さらに神様の力が示されたと言うことを報告しているのです。
 この女性の一人息子が死んでしまうのです。夫は既に何らかの状況の中でおりません。女性にとって、一人息子が頼りです。「あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか」と言わざるを得ませんでした。それほどの悲しみを持っているのです。エリヤは神様にお祈りしました。「主よ、わが神よ、この子の命をもとに返してください」と祈ったとき、子どもの命が帰りました。神様は苦しむ人、苦境に生きる人、悲しむ人を決して見過ごしにはいたしません。世の人々から忘れられている存在をしっかりと受け止め、導いてくださるのであります。

 旧約聖書のメッセージは、一人の存在に神様のお導きの知恵を与え、顧みてくださることであります。そしてそのメッセージを確実に示しているのが新約聖書の主イエス・キリストの救いなのであります。ルカによる福音書7章11節以下に「やもめの息子を生き返らせる」ことが記されています。イエス様はナインと言う町に行かれました。その町の入口の門まで来ると、埋葬に行く行列に出会います。ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところであったのです。イエス様はこの母親を見て哀れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われたのであります。そして、近づいて棺に手をふれ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われました。すると、死んでいた若者は起き上がったのでありました。このイエス様の御業は、まさにサレプタの女性にしたエリヤの神の力であります。悲しみの傍らに立つ主イエス・キリストなのであります。
 サレプタの女性は聖書の人ではなく、外国の人でありました。外国の人をも顧みてくださる神様が証されていたのであります。主イエス・キリストもカナンの女性を顧みています。カナンの女性の娘が悪霊に取り付かれて苦しんでいます。それで、このカナンの女性はイエス様に懇願するのです。イエス様はこのカナンの女性の信仰を祝福しました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と言われたとき、その娘の病気が癒されたと聖書は示しています。(マタイによる福音書15章21節以下)。
 このようにして主イエス・キリストは救いを人々に与えています。しかし、人々は真にイエス様に求めるのではなく、保証を求めているのであります。今朝の聖書、マタイによる福音書12章38節以下は、人々がしるしを欲しがることが記されています。イエス様に「先生、しるしを見せてください」と言うのです。イエス様に感心を示しているようでありますが、それには「しるし」が必要なのであります。保証となるものがあれば、イエス様を信じると言うことであります。直接、主イエス・キリストを信じるのではなく、むしろしるし、保証を信じるという姿勢なのです。それに対して、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」とイエス様は言われました。
旧約聖書におきまして、ヨナは神様のご命令を受け、ニネベの都に行かなければなりません。ニネベは悪徳に栄え、このままでは滅びるのであります。神様はヨナを預言者とし、悔い改めを導く使者としたのであります。ところがヨナは、この働きを不本意とし、ニネベ行きの船ではなく、別の方角に向かう船に乗ってしまうのでした。ところがヨナが乗っている船に大波が押し寄せ、今にも沈みそうになりました。船の人々は積荷を捨てたりして船が沈むのを防いでいるとき、ヨナは人々に言いました。これは神様の私への審判だから、私を海の中に放り投げなさいと言いました。人々は躊躇しますが、ヨナの言うとおりにします。すると大波は静まるのでした。ヨナは海に放り投げられると、大きな魚がヨナを一飲みにします。ヨナは三日間魚のお腹の中にいたのです。そして、神様のご使命に答えようと思ったとき、魚はヨナを吐き出しました。そこはニネベでありました。ヨナはニネベの人たちに神様の審判を宣告します。するとニネベの人たちは心から悔い改めたのであります。これが「ヨナのしるし」であります。主イエス・キリストはニネベの人たちが悔い改めたのに、人々が神様のお心に反する生き方をしており、救い主が現れたのに、そのメッセージを聞こうとしない人々を示しているのです。ヨナが三日間魚のお腹にいたこと、それは主イエス・キリストが墓の中に三日間いたことでもあります。それは、この後になりますが、復活の主イエス・キリストを信じない人々を示しているのです。
南の国の女王についても示されています。旧約聖書においてダビデの後を継いだソロモンは知恵のある存在でした。その知恵は神様のお心でありました。その知恵を求めて外国人の女王がやってきたのであります。ソロモンが神様の知恵に満たされていたとすれば、主イエス・キリストは神様の救いとして世に現れた方でありました。今や現実に救い主が現れているのに、しるしを求め、イエス様を信じることにおいて保証を求めている人々でありました。神様のお導きの知恵をいただくこと、主イエス・キリストを信じる信仰であります。

 神様は一人の存在に新しい命を与えられています。主イエス・キリストは新しい命を与えるために現れたのであります。特に社会の中で弱き存在、小さき存在が新しい命を与えられ、力を与えられたのであります。今朝は「導きの知恵をいただきつつ」として示されていますが、説教で示されることは、いずれも主イエス・キリストの十字架の贖いであります。毎週、いろいろな題を付けて聖書から示されていますが、示されることは一つであります。主イエス・キリストの十字架による救いをいただくことなのです。十字架の救いを信じることが、神様のお導きの知恵をいただくことなのです。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力なのです」(Ⅰコリント1章18節)と示されていますが、この愚かな十字架こそ神様のお導きの知恵なのです。「それは神の知恵にかなっています。神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救われるのです」と示さしています。
 7年前に横浜本牧教会付属の早苗幼稚園園長を担い、昨年10月から再び早苗幼稚園の園長を担っています。先日、卒園する園児のお母さんが言われていました。7年前に就任したとき、4月でしたから入園式を行いました。その時、入園したお子さんは卒園していますが、下のお子さんが3月に卒園式を迎えました。お子さんが兄弟ではありますが、入園と卒園をしていただき、感銘深く受け止めています、と言われました。たまたまそのようになったのでありますが、ここに神様のお導きの知恵が与えられているのではないでしょうか。この知恵が、祝福の人生へと導いてくださるでありましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架によりお導きの知恵を与えてくださり感謝いたします。この知恵により豊かな祝福の人生となりますよう。主イエス様の御名によりお祈りします。アーメン。