説教「福音の使者となる」

2016年1月17日、六浦谷間の集会 
降誕節第4主日

説教、「福音の使者となる」 鈴木伸治牧師
聖書、サムエル記上3章6-14節
    ガラテヤの信徒への手紙1章11-24節
     ヨハネによる福音書1章35-42節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・120「いざうたえ友よ」
    (説教後)讃美歌54年版・517「『われに来よ』と主は今」


今朝は主イエス・キリストが世に現れるとき、最初に弟子になった人々を示されながら、私たちも弟子としての歩みを導かれたいのであります。弟子は師である先生を見つめ、指導をいただき、次第に師である先生に近づいていくのであります。しかし、まったく師である先生と同じになってしまうのではなく、師である先生の真理を受け止めつつ、私に与えられた賜物により、師である先生の教えと真理に生きることであります。イエス・キリストが福音を与えてくださいましたが、選ばれた最初の弟子たちも、イエス様の福音を人々に伝えながら歩んだのであります。今朝のヨハネによる福音書によりますと、最初にイエス様に従ったのはアンデレと言われます。そのアンデレが兄弟のペトロをイエス様のところへ連れて行きました。そして、ペトロは選ばれた12人のお弟子さんたちの中心になって、イエス様に従い、その後は人々にイエス様の福音を宣べ伝えたのです。イタリアのヴァチカンの中心はサン・ピエトロ大聖堂ですが、そこに祀られているのはペトロであります。ペトロの信仰を中心にしているのがカトリック教会であるのです。
 今年は私が在任した大塚平安教会において湘北地区の新年礼拝が行われたということです。以前は各教会でそれぞれ新年礼拝をしていましたが、やはり皆さんが集まり合同の新年礼拝をささげるようになりました。私は1979年9月に大塚平安教会に就任しました。そして迎えた新年礼拝は大塚平安教会で行われ、しかも就任したばかりの私が新年礼拝のメッセージを取り次いだのでした。新任牧師が担当することになっているのです。その時、どのような説教をしたのか忘れましたが、強烈に心に示されたことがありました。新年礼拝では聖餐式も執行されます。その聖餐式で配餐を担当したのは相模原教会の伊藤忠利先生でした。その聖餐式では配餐すれば、皆さんはすぐにいただくことにしていました。配餐を終えて戻ってきた伊藤忠利先生は、最後に聖餐をいただくことになります。伊藤先生は、聖餐のパンをいただき、そこにひざまずき、パンを押し頂いて聖餐に与ったのでした。杯も同じように押し戴いて聖餐を受けたのです。私はそれまで、伊藤先生のような姿勢で聖餐に与る姿を経験していませんでしたので、感銘深く示されたのでした。聖餐をいただくことは、イエス様の十字架の救い、福音をいただくことなのです。
 2014年10月からバルセロナに滞在したとき、娘の羊子がサグラダ・ファミリアでミサの奏楽をしており、私達もミサに出席しました。カトリック教会ではミサの中で、必ず聖餐式が行われるのです。ですから私達も聖餐をいただきました。サグラダ・ファミリアのミサは午前9時からです。そして、今度は12時からパロキアの教会に出席します。そこでも羊子が奏楽しているからです。その合間に六浦谷間の集会バルセロナ礼拝をささげました。そこでも聖餐式を行ったのです。両方のカトリック教会のミサで聖餐をいただくので、六浦の集会の聖餐式はしなくても良いのではないかと思いましたが、娘の羊子に促されて執行したのでした。聖餐のお恵みをよくよく示されたのであります。聖餐をいただくことはイエス様の福音をいただくことなのです。イエス様の弟子になることなのです

 今朝は、旧約聖書ではサムエル、書簡ではパウロ福音書ではアンデレとペトロ、フィリポとナタナエルというお弟子さんを証ししています。いずれも神様の召しをいただき、弟子としての人生を力強く生きたのであります。これらの人々を示されながら、私たちもまた、神様の御旨としての人生へと導かれていることを示されたいと願うのであります。
 サムエル記上3章に記される少年サムエルのお話は意味深く示されます。サムエルの母ハンナは子どもが与えられないので、神殿に行ってはお祈りをささげていました。そのことは1章の初めの部分に記されています。1章10節、「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。『万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭に決してかみそりを当てません。』」とお祈りするのでした。この祈りを神様は聞いてくださり、ハンナに男の子が与えられ、サムエルと名付けたのでした。そして、ハンナはお祈りしたとおりに、サムエルが乳離れすると共に、まだ幼いのでありますが、神の宮にいる祭司エリのもとへ連れて行ったのでありました。サムエルは幼くして宮に仕える者となり、エリの指導で成長するのでありました。
 今朝の聖書は、もはや少年になっているサムエルです。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」という時代でした。サムエル記の前はルツ記、その前は士師記であります。士師記は、一時的に現れた強い人が聖書の人々を救ったという記録です。聖書の人々はエジプトから脱出し、40年間荒野を彷徨し、ようやく神様の約束の地・カナンの土地に定着したのであります。定着したものの、もともとそこに住んでいた人々が、聖書の人々を攻撃してきますので、そのようなときに、地域的に強い人が現れ、敵から守ったのが士師といわれる人たちでありました。これらの士師たちは聖書の民の全体を救ったというのではなく、地域的な救済でありました。「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることはまれであった」と言っているのは、そのような時代的な背景であったからです。つまり、全体的には平穏な社会であったということなのです。しかし、サムエル記をもって今までの12部族宗教連合は終わりを告げ、一つの王国となるのであります。風雲急を告げてきたからでありました。周辺の国々は王国であり、結束して攻めてくることにより、連合体としての聖書の人々は対抗できないのであります。サムエルの時代に王国となり、サムエルは王国の見張り役として生きたのでありました。
 少年サムエルに主の御心が示されることが今朝の聖書であります。今、少年サムエルに神様の呼び声が聞こえてきます。夜、寝ているサムエルは呼び声を聞いたので、祭司エリのもとへ行きます。「お呼びになったので参りました」というと、エリは「わたしは呼んでない。戻ってお休み」と言います。そのようなことが三度あったとき、エリはサムエルを呼んでいるのは神様であることを知るのでした。従って、今度呼ばれたら、神様に向かって答えなさいと示すのです。そして、サムエルを呼ぶ声がしました。その時、サムエルは「どうぞお話しください。僕は聞いております」と神様に向かって答えたのでした。神様は少年サムエルに、これから神様が行うべきことを告げます。3章19節に記されるように、「主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」のであります。「どうぞお話しください。僕は聞いております」との姿勢こそ必要な生き方なのであります。
3.
 ヨハネによる福音書の今朝の聖書は「最初の弟子達」であります。いずれもイエス・キリストから言葉をかけられ、その言葉を聞いて、そしてイエス様の弟子へと導かれたのでした。ヨハネによる福音書によれば、最初に弟子になったのはアンデレでありました。彼は、最初はバプテスマのヨハネの弟子でしたが、師であるヨハネイエス・キリストを指して、神の小羊だと言ったので、そのイエス様の後をついて行くのです。すると、イエス様が「何を求めているのか」と声をかけてくれるのです。そのアンデレが兄弟シモンをイエス様のところへ連れて行きます。すると、イエス様はシモンに声をかけます。「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩という意味)と呼ぶことにする」というのでありました。このシモンがペトロと呼ばれるようになります。そして、イエス様は、今度はフィリポに出会い、「わたしに従いなさい」と声をかけます。フィリポは友達のナタナエルをイエス様のところに連れて行こうとします。するとナタナエルは、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言って誘いを断るのですが、フィリポと共にイエス様のところに行きます。するとイエス様はナタナエルを見て、「まことのイスラエルの人だ。この人には偽りがない」というのです。「どうしてわたしのことを知っておられるのですか」と言うナタナエルに、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われたのでした。するとナタナエルは、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言います。イエス様は言われます。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われ、「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われるのでした。「人の子」とはイエス様のことです。天が開け、天使たちが主イエス・キリストのもとに天を昇ったり降ったりするのを見る、つまり、神の国がこの世に実現するのを見ることになりますよ、と示しているのであります。旧約聖書・創世記で、ヤコブが石を枕にして野宿しています。その時、夢を見るのです。天にまで達しているはしご・階段があり、御使いたちがその階段・はしごを上ったり下ったりしているのです(創世記28章10節以下)。このことは、神様の御心の国が実現することを意味しているのです。天が開け、天使たちがイエス様のもとに昇り降りする様は、まさに神の国の実現なのであります。そのために声をかけられたのがアンデレ、ペトロ、フィリピ、ナタナエルでありました。そして、旧約聖書はサムエルを示しているのです。これらの人々はイエス・キリストの声、招きの言葉を聞いたのであります。そして、彼らはイエス様の弟子として、イエス様に従うことになりました。「主よ、お話ください。僕は聞いております。」と神様に向かうことこそ、私たちに求められていることなのです。
 大塚平安教会は大工さんが「はしご」を忘れていったので、いまだに「はしご」がかかっているとユーモアを交えて言われる人がいます。創立40周年のとき、礼拝堂を改修しました。講壇の両端には小部屋があったのですが、それらを撤去して講壇を広い空間にしたのです。それまでは比較的に小さい十字架がかけられていました。広い空間になったとき、講壇を象徴的にまとめることで12本の柱と「はしご」を掲げることにしたのでした。柱は十本しか見えませんが、「はしご」と柱を兼ねたので10本にしか見えないのです。12本の柱はイエス様の12人のお弟子さんであります。イエス様の柱となるとの意味もあるのです。イエス様のお弟子さんとして神の国を広めていく使命を与えられているのです。
4.
 イエス様の福音、喜びの導きを私達もいただいています。そして、この福音を人々にお伝えしているのです。皆さんのお証を示されますが、時々お話しをしているバルセロナの人々の伝道の姿を示されたいと思います。バルセロナには、バルセロナ日本語で聖書を読む会があります。下山由紀子さんが中心になって集会を開いています。その下山さんはお連れ合いと共に、年末から新年にかけて一時帰国しました。そして1月4日には私どもの家にお出でくださいました。お連れ合いのカルロスさんもバルセロナプロテスタントの教会に所属しています。久しぶりにお交わりをいたしました。私たちは2014年10月21日から2015年1月7日までバルセロナに滞在していましたので、下山さんやカルロスさんとも親しくお交わりをさせていただきました。丁度一年ぶりの再会でした。2015年の1月7日に帰国するのですが、その前日、下山さんとカルロスさんのお宅でバルセロナ日本語で聖書を読む会が開かれ、私が説教を担当させていただきました。過去、三度バルセロナに滞在していますが、その都度、集会でお話しさせていただいております。集会は月に一度でありますが、バルセロナに滞在している日本の皆さん、あるいは一時的に訪れている皆さんが出席します。多い時は10名にもなりますが、通常は7、8名の皆さんで集会を続けているのです。このところ下山さんのお宅で集会を開いていますが、以前は娘の羊子の家でも集会を開いていました。ところが最近、猫アレルギーの方が出席するようになり、羊子の家では集会を開けなくなりました。羊子の家には犬3匹、猫2匹がいるのです。
 集会にはヨーロッパで伝道している牧師が来てくれる時がありますが、原則は皆さんが集会を守っているのです。下山さんが聖書のお話しをしたり、メンバーのお証があったり、信仰に関するDVDを鑑賞したりして集会を続けているのです。2011年に滞在したときには、集会は20周年ということでした。マドリッド日本語で聖書を読む会もあります。バルセロナからマドリットまで車で6時間もかかりますが、昨年の2日、3日に訪れ、集会でお話しをさせていただきました。2011年にも訪れています。東日本大震災が起きたばかりで、マドリッド日本語で聖書を読む会の皆さんが復興支援チャリティーコンサートを開き、羊子がピアノの演奏をしたのでした。そして集会が開かれ、説教をさせていただいたのです。こちらの集会の中心になっている方は吉川祥永さんとお連れ合いのフェルナンドさんです。こちらも集会出席者は7、8名ですが、やはり月に一度は集会を開いているのです。ヨーロッパのそれぞれの国には日本人教会があり、牧師が在住しています。しかし、バルセロナにしてもマドリッドにしても牧師はおりません。皆さんがイエス様の福音の使者となって集会を開いているのです。一時的に滞在する皆さんは、集会を喜び、信仰の交わりを深め、それぞれがイエス様の福音の使者としての使命を深めているのです。
<祈祷>
聖なる神様。主の弟子へと導かれていますことを感謝します。いよいよ師である主イエス・キリストを仰ぎ見つつ歩ませてください。主の名によっておささげします。アーメン。