説教「基となるお恵み」

2014年12月28日 六浦谷間の集会バルセロナ礼拝
降誕節第1主日」(歳晩礼拝)

説教・「基となるお恵み」、鈴木伸治牧師
聖書・イザヤ書61章1-11節
    マタイによる福音書2章1-12節
賛美・(説教前)讃美歌21・259「いそぎ来たれ、主にある民」、
    (説教後)讃美歌1・278「暗き闇に星光り」


 今回の礼拝は2014年の最後の礼拝となりました。この世のカレンダーのことであり、私たちは主イエス・キリストのご降誕により新しい歩みが始まっています。今年は現在スペイン・バルセロナに滞在していますので、カレンダーについてはあまり深く考えないでいます。日本におりますと、クリスマスが終われば、クリスマス飾りは全て取り除けられ、新しい年の松飾りに変わりますので、やはりカレンダーが変わること、新しい年を迎えるという思いが深まっていくのであります。このバルセロナでも12月31日の年の終わりの行事等があるようですが、基本的にはクリスマスは次年の1月6日まで続いていますので、クリスマスの飾りはまだ続いています。クリスマスのために屋台が出て、それは24日には全て撤去されましたが、社会の全体的にはまだクリスマスの歩みということであります。
 今日が2014年の最後の主日礼拝でありますが、この一年を振り返った時、やはり神様のお導きをいただきつつ歩んだことを示されます。もはや隠退していますので、教会の職務はありませんが、神様はこの様な私達にも導きを与え、お恵みをくださっているのです。1月24日、連れ合いのスミさんが胸の痛みを訴えましたので、救急車を呼ぶことも考えましたが、そうすると大げさになるからと、私の車で小澤医院に行きました。いろいろと検査してくれましたが、原因がわからず、能見台にある県立循環器呼吸病センターを紹介してくれて、救急車で運ばれたのです。そこでもいろいろと検査をした結果、肝臓関係の数値が悪いと指摘されました。そこは循環器なので、消化器科関係の病院、すなわち横浜南共済病院を紹介してくれました。その日は金曜日であり、横浜南共済病院は土曜日、日曜日はお休みなので、27日の月曜日に診察を受けに行きました。9時に行き、診察を待つ間にも、採血、検尿等をしていましたが、診察になるのは11時を過ぎていました。そして肝臓関係の数値が悪いことをここでも指摘され、黄疸まで出ているので即入院となりました。結局、堪能の管に石が詰まっているということで、まず悪い膿みを取り出す治療が行われ、胆嚢に至る管の石を取る手術が2月6日に行われました。その後、一時退院しましたが、最終的には胆嚢に石が詰まっているので、胆嚢を切除する手術が3月6日に行われました。そして3月17日に退院して、自宅静養をするうちにも普通の生活へと戻ることになりました。そのような手術をしていますので、今年の10月21日以来、スペイン・バルセロナに滞在し、生活が祝福のうちに導かれていることを思うと、本当に神様の大きなお恵みであると示されます。
 礼拝は六浦谷間の集会として導かれていますこと感謝です、連れ合いのスミさんが入院していた2月2日には、星子、優、弥生さんが礼拝に出席しました。2月9日は横須賀上町教会であり、16日は三崎教会でしたので、六浦谷間の集会はありませんでした。毎月第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝、聖餐式を担当させていただいており、これも大きなお恵みであります。三崎教会は定期的ではありませんが、2月、3月、4月とお招きをいただきました。さらに6月、7月、8月と三ヶ月続けてお招きをいただきました。娘の羊子がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしていますが、4月18日に一時帰国しました。そして4月26日に東京芝にありますパークホテルでディナーコンサートのピアノ演奏をいたしました。横浜本牧教会の藤沢尚子さんが企画してくださったのです。70名の皆さんが出席してくださいました。羊子が帰国していますので、間もなく解体となる大塚平安教会に行き、まだ残されている屋根裏部屋のものを拾い出したり、庭に埋葬してあった犬のチェリーの遺骨を掘り出し持って来たりしました。羊子は5月1日に戻っていきました。
 叔母の竹内ミシロさんが8月に95歳で亡くなりました。バルセロナ滞在中ですが角田敏太郎さんと真澄さんの娘さん、東啓子さんが12月6日に召天されました。2009年6月に倒れられ、今日まで意識不明のまま療養されていました。54歳でした。さらにバルセロナ滞在中ですが、星子と共に暮らしています宮田さんのお父さんが12月20日に、お母さんが12月23日に逝去されました。相次いでのご両親を亡くされた宮田さんには心から哀悼の意を送ります。それと共に星子もいろいろと大変であったろうと思います。今はバルセロナにいて何もできませんが、帰りましたら対応させていただくことにしています。
 この様な悲しみがありましたが、大きな喜びがありました。娘の羊子がスペイン人のイグナシさんと結婚することになりました。10月25日にサグラダ・ファミリアで結婚式を行いましたが、私もまた神父さんと共に司式を司らせていただきました。10月21日に連れ合いのスミさんと娘の星子の三人でバルセロナにきましたが、星子は10月29日に帰国しました。私達夫婦はこちらのクリスマスを体験するために、次年の1月7日まで滞在します。今までも羊子のピアノ・リサイタルやいろいろなクリスマスを体験しています。そしてフィレンツェへの旅も大変お恵みの多いときでした。これらのお恵みを基にして新しい年を歩みたいと示されています。今までの歩みを振り返りましたが、主イエス・キリストとの出会いは新しい示しを与えられるのであります。救い主をいただき、喜ぶということは、新しい一歩であると聖書は示しているのであります。

 「主はわたしに油を注ぎ、主なる霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」とイザヤは宣言しています。このようなメッセージを伝えなければならない社会的情勢がありました。まさに社会的には中心がなく、いわゆる拠り所がない生き方でありました。聖書の民はバビロンという大国に滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕囚として連れて行かれたのであります。約50年、異国の空の下で、捕われの身として過ごしたのであります。ところがバビロンの勢力が弱まり、ペルシャによってバビロンは滅ぼされたのであります。それにより聖書の人々は解放されてユダの国に帰るのであります。しかし、多くの人々はもはや住み慣れたバビロンに残っていました。帰還しても生活することは困難であることを知っていたからであります。まして50年は、もはや老人になっているのであり、力を弱くしているのであります。50年の空白を取り戻すことはできないと思ったのです。従って、都のエルサレムに帰ったのは、そんなに多くの人々ではありませんでした。都に帰った聖書の人々はまず崩された神殿の修築を致します。そして都の建て直しをするのであります。しかし、バビロンにつれて行かれなかった人々がいます。さらに周辺の人々がいます。50年もいなかった人々が帰って来た時、現地の人々は冷たくあしらったのであります。
 不安定な、中心が定まらない社会に生きる人々へのメッセージを伝えるのが今朝の第三イザヤなのであります。神様は困難な状況に生きる人々を決して見過ごされることはないのです。「貧しい人々に良い知らせ」を、「打ち砕かれた心を包んでくださる」とイザヤは示しているのであります。だから、新しい思いをもって歩みなさい、神様のお心を知りなさいと示します。「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる」と言うのであります。今までの生活は、たとえバビロンの捕囚という苦しい生活でありましたが、人々はそれなりに捕囚の生活にも馴染んだ生き方でありました。しかし、今また新しい歩みをする時、戻りたいという思いもあり、新しい歩みへの不安がありました。そういう不安に対して、神様の導きによる新しい歩みに、勇気をもって委ねなさいと教えているのがイザヤなのであります。新しい歩みとしての「晴れ着」を神様がくださるのです。神様の御心こそが基なのであり、それは今まで歩んだ恵みの導きを示されるということです。そして恵みの歩みを基にして、新しい歩み出しが導かれていくのであります。クリスマスのメッセージはそのことです。今まで与えられた恵みを基にして新しい歩みが導かれるのです。

 イエス様が生まれたという知らせは多くの人々に不安を与えました。今朝の聖書はマタイによる福音書2章1節以下でありますが、登場する人々の不安が示されています。イエス様がベツレヘムでお生まれになった時、東の方から占星術の学者たちがイエス様に会いにやってきました。占星術の学者とは星占いの人々です。毎日、空を見上げては星を見つめていました。星の現れ方により世の中の指針を与えていたのであります。その彼らが不思議な星を見つけ、その星を目指して都エルサレムにやってきたのであります。占星術の学者たちは、不思議な星が救い主出現の意味であることを知り、まさに不安を持ちつつ会いにやってきたのであります。彼らがエルサレムで述べたことは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言っています。ユダヤにはヘロデ王がいます。それなのに、はっきりと新しい王様について述べているのでありますから、占星術の学者たちも不安があったはずです。しかし、新しい王様にぜひお会いしたいとの思いが強かったのであります。不安が思いを強めたということです。
 一方、占星術の学者たちの言っていることを聞いて不安を覚えたのはユダヤの人々、都エルサレムの人々でした。ヘロデ王がいるのに、また新しい王様が現れたとなると、これはいったいどうなるのかと不安を覚えました。なかでも不安におののいたのはヘロデ王自身あります。占星術の学者たちを呼び、ことの次第を聞き、送り出しました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と占星術の学者たちは確かに言っているのです。穏やかではありません。王様は祭司長、律法学者たちを集め、その事実を確かめさせるのであります。彼らは旧約聖書に示されている預言の言葉を王様に示すのでありました。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者達の中で、決していちばん小さい者ではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」と旧約聖書ミカ書5章1節の預言の言葉を王様に示したのであります。それにより王様は学者たちをベツレヘムに送りだしたのです。
 不安を覚えると言うことは、新しい歩みに対する不安なのであり、新しい事実が分からないままに動揺するのであります。マタイによる福音書はヨセフさんを中心にイエス様の降誕物語が記されています。ヨセフさんはマリアさんとは婚約の仲でありました。ところがマリアさんは身ごもったというのです。ヨセフさんは不安を覚えました。こういうことがあってはならないということです。それでマリアさんとの関係を断つ決心を致します。しかし、天使に示されたことは、新しい事実を受け止めることであったのです。新しい事実は不安にならざるを得ないのです。しかし、その不安を励ましたのは神様でありました。これはルカによる福音書マリアさんにおいても同じであります。自分から子供が生まれる、しかも神の子が生まれると言うこと、非常に不安を覚えました。マリアさんの不安を励まし、新しい状況に一歩を踏み出すよう導くのは神様でありました。
 クリスマス物語は実に不安を突き破って、新しい状況へと歩み出す示しなのであります。占星術の学者たちは不安のままにお生まれになったイエス様とお会いしました。そして、もってきた宝物を贈り物としてささげたのでありました。まさに不安のままにイエス様とお会いしましたが、今や新しい歩みが始まったことを確信し、ヘロデ王に報告しなければなりませんが、報告することなく帰って行ったのでありました。不安はなくなりました。4
 この一年間はお恵みの年であったことを最初に述べました。特に10月21日以来、スペイン・バルセロナに滞在して、新しい体験を与えられ、それが大きなお恵みとなっています。バルセロナには過去二回滞在しています。今までも新しい体験のお恵みをいただいていますが、今回は更に大きなお恵みを与えられました。今までは羊子の父親として皆さんとのお交わりでしたが、もちろん今までも私がプロテスタントの牧師であることは紹介されていましたが、今回の滞在は羊子の父親であると共にプロテスタントの牧師のとしての存在が明確に人々に覚えられたということです。10月25日に羊子の結婚式がサグラダ・ファミリアで行われることになったとき、サグラダ・ファミリアの神父さんが、羊子の父親がプロテスタント教会の牧師であることを知り、それなら一緒に結婚式の司式をしましょうと言ってくれました。サグラダ・ファミリアカトリックプロテスタントの神父と牧師が結婚式の司式をすることは前代未聞であります。今後はこの様なことはありませんし、私自身もこの様なことはないことなのです。さらにクリスマスのミサをプロテスタントの牧師として担当させていただいたことです。25日に羊子が親しくさせていただいているホセ・ルイス神父さんのカトリック教会のクリスマス・ミサの奏楽をすることになり、私達夫婦も羊子と共に出席したのであります。するとホセ・ルイス神父さんがクリスマス・ミサを共に担当するように求められたのです。戸惑いましたが、これも神様のお導きであり、お恵みであると受け止め、神父さんのガウンを羽織って担当したのでした。日本語で聖書を読み、短く奨励を行いました。奨励は羊子が通訳してくれました。さらに26日は羊子の友人に食事の招待をいただきましたが、食前のお祈りを友人のマルがさんから求められたのです。過去の滞在でもマルガさんに招かれて食事をしましたが、今回は牧師として皆さんが私達夫婦を受け入れてくださっていることを示されたのでした。
この様な体験を与えられた2014年を示されるとき、まさにお恵みの多い一年であったと示されるのです。新しい年もまた新しい出会いがあるでしょう。与えられているお恵みが新しい歩みの基なのです。主イエス様が基ですから、喜びつつ歩みましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。ご降誕により新しい歩みが導かれていることを感謝致します。勇気をもって新しい歩み出しができるよう導いてください。主の御名によりささげます。アーメン